side M

□Something There
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オペラを見たい。

その気持ちは以前から持っていた。
しかし、以前メトロポリタン・オペラハウスの人目に付かない席を確保出来なかったために、今まで叶わずに来た。

しかし、念願の想いを実現すべく私は今動いている。

きっかけは、マダム・ジリーからの手紙にある。

その手紙を読むと、かつて愛した…想い出せば、今も愛している女性のことが蘇る。その名声は、海を越えたマンハッタンにも届いている。
ただオペラを見るだけではなく、見るなら完璧なものでなくてはならない。だから、私はオペラの建築、スコア、配役…全てに完璧を求め、情熱を捧げる。

気付けば、私の思考にいるのは彼女。

そう、クリスティーヌ・ド・シャニー。

ヨーロッパ一の美しきプリマドンナ。

彼女を呼ぶ為なら手段は選ばない。
金か、権力か、オペラの魅力か…どれに彼女が頷くのかは分からないが、必ず呼び寄せなければならないのだ。





そんな時、ある夜に出逢ったのがレジーナ。

レジーナは、私とは違った意味で普通ではなかった。
現実にそんな事が起こるものなのかは甚だ疑問だが、彼女は異世界の…おとぎの国の住人だったのだ。

ただ彼女に興味を持った、それだけの理由で手を差し伸べた私に付いてきて以来、私の同居人となったのだ。

朝食と夕食は共にし、あとはお互いのスケジュールと気まぐれ次第。
レジーナには、昼は出歩いてもよいことにした。ただし、必ず夜には戻ることを約束させる。全く外出出来ないようにすることは出来るが、それはあまりにおかしいだろう。多少散財しても問題はないので、いくらかの現金とカードを渡した。使い方はきちんと説明してやったし、問題ないだろう。
こういう時に、彼女を頼めるような誰かが居ないのは困る。かつてのマダムの様な存在が居れば…。私は、昼間の外出が出来るようなタイプではないので、仕方がないのだ。



私の新しいオペラ座「ザ・マンハッタン・オペラハウス」はあともう少しで完成する。





今朝は少し目覚めが遅くなってしまい、ダイニングに出ると彼女は出かけ、テーブルには朝食が乗っていた。以前なら、こんなことは考えられなかった。誰かが私の為に、何かをしてくれるだなんて。知らず、頬が少し緩む。珈琲を淹れながら、ふと彼女が何処に出掛けたのか考えた。


最近、自分の中で何か違う。

私が今考えることは、オペラ座、オペラ、クリスティーヌ…そして、他にも色々と。

新聞を取り、珈琲を片手にバルコニーに出て椅子に腰掛ける。いつからか、花々が植えられ、居心地がよくなっている。他人の手が入っているにも関わらず、それが嫌と思わない自分に驚く。このバルコニーに出ると、彼女の気配を感じられる。新聞に視線を落とすと、新設のオペラ座の記事があった。

やがて、リビングの奥に気配。レジーナが帰ってきたのだろう。何故かそれだけのことなのに、振り向いて彼女を確認したくなった。それを、らしくないと我慢する。気配は濃くなり、彼女がこちら側にやってくるのが分かる。

「おはよう、今日はおねぼうさんなのね。」

レジーナの腕が、私の首元に回され後ろから抱きしめてきたのだ。

振り向き見上げると、斜め上に彼女の顔がある。自分の躯に回された腕、背中に当たる熱と柔らかさが信じられない。


私は知らない。



こんな怯えても、震えてもいない包み込むように穏やかに私を見る眼差しも、優しい抱擁も。馴染みがないものだった。
こんな優しさを欲しいと思っていた頃もあった。今は…此処にあるというのか?彼女と共に。彼女が回した腕に、そっと触れてみた。柔らかい。

彼女と居ると、時々、胸の奥が熱くなる気がするのだ。

「新しいお茶を淹れましょうか?」

「あぁ、頼む。」

「リクエストはあるかしら?珈琲、紅茶…それとも。」

「紅茶にしよう。あとは任せる。」

「分かったわ。」

彼女の腕が離れるのが、名残惜しい。
あの抱擁にどんな意味があるのだろう。
自分のこの熱さは何だというのか。もう一度、あぁしたいなんて。

キッチンでお茶の用意をする彼女を見ると、目が合い、彼女は微笑んだ。

…本当に私はどうしてしまったのだろうか。


私の考えるべきことに、彼女のことは入っていないはずなのに…。別の人を愛しているのに。











真夜中。


オペラハウスの配役がやっと大詰めで、眠れない私は水でも飲もうとキッチンに向かった。
その足が止まったのは、バルコニーの椅子に腰かけた彼女が居たから。
眠れないのだろうか。こちらからは表情は見えず、後ろ姿で豊かな黒髪が肩を流れて、彼女のハミングに合わせて揺れていた。

気配を消して、バルコニーに向かう。

どこか物悲しい、けれど優しい音楽。
ただのハミングだから、歌詞も、何も分からないけれど。普段の彼女は、哀しい歌は似合わない。


知らず、私は彼女がしたように、後ろから抱きしめていた。


「眠れないのか?」

「…少しね、でも大丈夫。」


それは、強がっているような声だった。
少し振り向いて、斜め上に見えるであろう私を見上げてくる穏やかなアメジストの瞳。
抱きしめていた片方の手で、黒髪に触れる。少しだけ湿った髪を流れるように梳いた。

温かいものが、胸に込み上げる。


私に抱きしめられて、触れられて、こんな風に穏やかで居てくれる人など居なかった。なのに、彼女はそう居てくれる。温かい体温、柔らかい肌。華奢な躯・・・全てを今囲っている。



何かが、私の中で芽生えていた。





***


「美女と野獣」から「Something There」です。日本語版は「愛の芽生え」。

ハミングしているのは違う曲設定ですけどね。

美女と野獣では、やっぱりダンスシーンの曲がもっとも有名ですが。

ファントムはどっか野獣につながるところがあるんじゃないかなぁと思いますよ。うん。





 

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