指に触れる愛

□指だけ、そっと side.yz
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空港の国際線ロビー。

トロントに戻る便を待っていた。
すごく疲れていたから一人になりたくて。
スタッフも誰も連れずに一人で、そっとしていれば騒がれることもなく一安心。



「すみません、これ落としましたよ」

突然声をかけられてしまった。

振り返ると、その人は、両手に乗せたイヤホンを掲げて、差し出してくれる。
そこに乗っているのは間違いなく自分のもので、特に愛用しているものだ。


「すみません、ありがとう」


イヤホンを受け取ろうと伸ばした手。
傍によると、印象的な香りを感じた。

そして僅かに手と手が触れた瞬間、何か。
とがっていた自分の感情が解けていくような気がした。

僕の指を追って、見上げてきた彼女の視線。
その瞳が驚きで見開かれた。

僕に気付いたんだろう。
いつの間にか覚えた笑顔を無意識に作っていた。


「これ、一番お気に入りのやつなんです、無くさなくてよかった」


ありがとう、ともう一度伝えた。


「いえ・・・お役に立ててよかったです。がんばってください」



「ありがとう」


彼女は僕に気付いていた風だったが、確認することもなく。
こういう反応は珍しくて、すごくありがたいと同時に、気になった。



「蓮さん、こっちですよ」



「待たせたな、佐倉」


僕の後ろで、誰かが彼女を呼んだらしい。
他の人に見られても困るから、もう少し会話してみたい気持ちを殺して。


「じゃ、本当にありがとう」


帽子を目深にかぶりなおすと僕は歩き出した。



でもこっそり、彼女が、呼ばれた人の所に向かうのをふり帰りながら眺めた。
細身のスーツに、柔らかそうな手。
連れ合いが呼んだ彼女の名前を、呟いてみて。
忘れないように、携帯にいれていた。漢字が分からないから、ローマ字表記で。


拾ってくれたイヤホン。

さっき感じた、あの手の感触。


それが、僕たちの出逢いだった。





それから。

なぜかどうしてもそれが気になって、忘れられなくて。

「ゆづ、落ちたよ」

「ごめん」

知らない間にボーっとするときが増えて、リンクサイドでタオルを落とした。
それをリンクメイトが拾って手渡してくれたけど、何も感じない。

リンクサイドだけじゃない。
試合に出て、いろんな選手やコーチや関係者の人と握手したり、ハグしたりする。
でも、なんなんだろうな、そういう衝撃はうけたことがない。
あの出会いを意識したら、それ以外が逆に味気ないというか、違うんだなと改めて感じた。

どきどきじゃない。
表現するとなると、癒し…と思う。


シーズン中は毎日がプレッシャーとの戦いだったりする。
ジャンプが上手くいかないとか、メンタルが出来を左右するスポーツだということもあって、緊張の中でも冷静に、いつもの滑りをしないといけない。



いつからか。
知らない間に。

いつものルーティンに交じって、もう一つ。


手をぎゅっと握りしめて。
あの感触を思い出して、大丈夫と呟く。
それだけで落ち着けるような気がしたから。


もし、運命があるなら。
もう一度会えればいいのに。

自分で道を切り開きたいタイプなのに、これだけはどうしようもなくて、悔しかった。



***

yz目線。


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