指に触れる愛
□honey
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「はぁ…」
今日、何度目かのタイプミスに思わずため息が漏れた。
定時はとっくに過ぎて、夏の空も暗くなってきている。
真向かいの席では、同じチームの同期が同じようにキーボードを叩いている。だから、仕方がないのもわかる。
でも、今日位は定時で上がりたかった。
一応、今日はわたしの誕生日だから。
歳をとるにつれ、誰が祝ってくれるわけでも、プレゼントを沢山もらうわけでも、うきうきもしなくなる。二十歳までは、待ち遠しかったかなとおもうけれど、それからはなかなか。
「早く終わらせなきゃ」
よしっ、と気合いを入れ直したらカップに入っていた残りのコーヒーを飲み干した。
「お疲れ様です」
気合いを入れ直したらスムーズに進んで、なんとか帰路。
駅前の百貨店で、せめてケーキだけでも買うか一瞬考えたけれど辞めた。この時間だと、ほとんど売り切れているだろうし、そんなに安くはないケーキを妥協で買うのも嫌だった。それなら、ちゃんとしたタイミングで買おうと割りきって、好きなものを買う方が満足感もあるし、むなしくもならない。
「今日、誕生日だよ…」
電車の中。
スマホを覗くが、唯一祝ってほしい人からの連絡はない。
何人かの友達や親からのおめでとうだけが並んでいた。
誕生日なんて覚えてないかも。
もしかして、時差があるから、気づいてないかも。
哀しくならないように、必死に言い訳をして。
わたしは誕生日を忘れるわけない位、ちゃんと認識しているけれど、相手もそうとは限らない。
そういう温度差は、ありがちだ。
頭の中で、冷蔵庫の中身を思い浮かべながら、鞄から鍵を取り出す。
マンションをぼんやり見上げたわたしの目に飛び込んだのは明り窓。
「えっ」
その瞬間。
ヒールなのを忘れる勢いで、わたしは部屋に急いだ。
鍵は自分以外に後ひとつしかない。
まさか。
鍵を刺して、回す手が焦ってる。
「おっそー」
玄関に入ったわたしの目の前に出てきたのは、わたしのオレンジ色のエプロンをした結弦だった。
からかうような口調で、待ちくたびれちゃったんだけど、と続ける。
「ほら」
手を広げる結弦は笑っていて、ヒールを脱いで少し背が低くなったわたしを抱き締めた。
いつものお帰りのハグは、反対の立場。これって、とってもうれしいものだったんだと気づく。
「じゃあ、最後の仕上げするから、着替えてきて」
キッチンから良いにおいがして、わくわくしながら、スーツから部屋着に着替えた。
意外にも手際よく、サラダとコーンスープ、最後にステーキのプレートが置かれた。
「ごちそうと言えば、肉かなって。」
「こんなに作ってくれたの?」
「焼いただけだよ、スープは温めただけだし。」
「ありがとう」
「じゃあ、食べよっか。あ、その前に、」
結弦が、わたしに身体を向けてきて、真っ直ぐ視線が合う。
「蓮、お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「いっこ歳が離れたね」
「なんでそーゆーことゆうのー」
気にしてるのに、またからかわれる。
でも、結弦にだけは、からかわれてもなんてことないわたしが居て。
「いただきます」
からかいを強制終了したら、せっかくの温かい料理を食べ始めた。
作って貰った料理は、独り暮らしの身には染みるように嬉しくて、さっきまで寂しかったのが嘘のよう。
「ごちそうさま」
「後でケーキもあるよ」
そんな準備もしてくれたんだと思うと、急いで買わなくて良かったとしみじみ思った。
食事の片付けを引き受けて、一旦洗い物をすませる。
「ケーキはもう食べる?」
「いいよ」
「紅茶でいい?」
やっぱり、洋菓子には紅茶との相性が一番だと思うので、紅茶の準備。
暑いのでアイスティーにして、ケーキ箱を持って、テーブルに置いた。
「どっちのケーキにする?」
「じゃあ、こっち」
「そっちかなって思ってた。じゃあ、これ乗せて」
横に置かれていた誕生日プレートを、わたしの選んだ桃のタルトにのせてくれて。
こんなマメなタイプだったとは本当に驚いて、家に来てくれるだけでなくて、もう全てがサプライズすぎる。
「これって、あれでしょ、トロントで買った紅茶だよね?」
アイスティーを一口飲んだ結弦が、当てる。
やっぱ美味しい、と言いながら、ケーキと一緒に紅茶も味わった。
「日本に戻ってきてるって、知らなかった。」
「俺もさ、スケジュールちゃんと把握できてなかったんだけど、撮影で帰ってくる予定だったんだって。ちゃんと祝えたから、すごい良かった」
「今日はどこのホテル?」
「それ本気で聞いてるの?今日はここに決まってるでしょ」
「…じゃあ、お風呂いれてくる」
聞いておいてなんだけれど、とても恥ずかしくなる。
お湯の音を聞きながら、リラックス出来そうなウッド調の入浴剤を選んで放り込んだ。
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45554キリ番リクエストから、ヒロインの誕生日をサプライズで祝う(誕生日夏編)です。
大それたサプライズは最終的にあんまりと聞くので、身の丈にあった?ささやかなサプライズで。