inside of a glass
□Moulin Rouge
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「誰と電話してたの?」
僕がバスルームから出てくると、名前さんが電話を切るところだった。
ふたりの時間を少し邪魔されたようで、なんとなく気になって聞いてしまう。
そんな僕には気づかずに、何事もないように『信成の奥さんよ』と言った。
「仲良いんだね」
「チケットの話よ」
「チケット?」
「NHK杯のチケットの発売日の情報が出たの。競争率がすごくて協力し合わないととれないでしょ。昔からそうやってるのよ」
名前さんは、のぶくんの大学からの親友。奥さんとも面識があって、すっかり意気投合して今じゃ奥さんとも親友らしい。のぶくんの試合だって、アイスショーだって見に来るような仲。だから、昔というのは現役だった頃の話なんだろう。
「NHK杯は、俺を見に来てくれるんだよね?」
「まだ見に行けるかも分からないのよ。」
いつも、返事がつれない。
自立してるから、大人だから、変に期待を持たせないようにと考えてくれているのかもしれないけど、もうちょっとなんてゆうか。
小さく溜め息をついてしまう。
「疲れてるでしょ?ベッド使ってくれていいから」
「ぇ、名前さんは?」
「布団敷くから大丈夫」
「でも、」
「お風呂入るから。飲み物は冷蔵庫から好きに飲んで」
「うん」
名前さん、俺のこと男だって思ってないのかってくらい。
もう、何回かはそういう関係になってる。だから、ひとつのベッドに寄り添って寝たいし、くっつきたい。
これじゃあ、友達が泊まりに来たのと大差ない。まぁ、僕のところには友達なんて来ることないから想像だけど。僕がひょんなことから初めてここに泊まったときも、名前さんが布団で寝てた。
「もう、なんだよ」
冷蔵庫から炭酸をだして、流し込む。
ひとりで緊張して、そわそわしてる自分に腹が立ってくる。
まだこの雰囲気に慣れてないというか、もっとスマートに誘えたらいいのに。
ベッドには名前さんと同じ、温かみのある香りが漂っていて、その大人っぽさがふたりの距離のように思えた。
ゲームを開いているのは子供っぽいと思われたくないから、読みかけの本を開く。少しでも、いつもの自分を取り戻して、次の展開をうまく進めたい。
「なに読んでるの?」
「レポート用の本」
バスルームから出てきた名前さんが、僕の横に座って問いかける。
さっき取り戻したはずの自分らしさも、パジャマの襟元から覗く鎖骨と素肌の前にはもう崩れ落ちそう。
「他の試合のチケットも取るの?」
「どうして?」
「他の試合も来てくれるのかなって」
僕が素朴な疑問を口にすると、名前さんは暫く僕の目を見て黙った。
「信成の時は、近場の試合やショーだったら見に行くようにしてたの。大きな試合はテレビでも応援できるし。だけど、」
一呼吸置くと、名前さんは僕から視線を外した。
「正直、試合に行くのは今回で辞めようかと思ってる」
「どうして?応援してくれないの?」
驚いて僕が少し大きな声を出してしまった。自分で驚いてごめんと謝ると、静かに大丈夫、が聞こえた。
「ふたりの人気の種類が全然違うもの。応援は、テレビの前でも出来るから。」
人気の種類。
そういわれたことに、少し傷つく。
僕の人気は、アスリートを通り越してアイドルのそれに近いと言われることには気づいてる。
アイドルは恋愛しちゃいけない、みたいな風潮があって、僕もそこにカテゴライズされているんだろうか。
「誤解しないで欲しいんだけど、一緒に居るために、だから」
ほんとは、名前さんの言いたいこと分かってる。
でも、やっぱりちょっとだけ寂しい。
「のぶくんのアイスショーは?」
「まぁ、それは行くかもね」
「そっか」
そんなことに拘るなんて、バカみたいだって自分でも分かってるけど。
僕が出てなかったから、リスクはない。のぶくんを見に行ったっていいわけで。
「ねぇ、」
「ん?」
「名前さん、俺の事、好き?」
「急にどうしたの?」
「だって、いつも布団ひくし。」
「だって、狭いところで寝ると身体に悪いと困るでしょう?」
「一日くらい平気だよ。だから、俺はさ、一緒に寝たいしさ。そんなこと考えてるの、俺だけなのかなって。」
「わたし、ちゃんと好きよ。結弦のこと…」
僕を見つめる名前さんの表情は、少し悲しそうな、複雑な表情だった。ふたりでいるのに、こんな顔をさせたいわけじゃなくて、なんでこんなことになっちゃったんだろう。
埋められない距離とか、少しの嫉妬心とか。
色々がごちゃまぜになってしまった。
僕は名前さんの手を取って、指先を絡めた。
「じゃあ、俺が好きなこと、態度で示してよ。」
僕がそういうと。
少し驚いたような顔になった後。
「どうなっても知らないから、」
その言葉の意味を図りかねているうちに。
ふたりの唇が、重なっていた。
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