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□Part Of Your World
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マンハッタン・オペラハウス。

競合と言われる幾らかのオペラハウスに比べて少々小規模だと紹介されてはいるが、内部の豪奢さと最新の内装では他に引けを取らない。むしろ、勝っている。

マンハッタンで、私は多くのものを手にした。
富とか、権力…そういったものだ。才能はもともと培われてきたものがあった。

そうして、もうすぐまた成功を手にする。

オペラハウスの杮落しは無名の作品だ。
だが、それは今まであったどの素晴らしい作品にも引けをとらないと思う。クリスティーヌは作品に惹かれて遥々ヨーロッパから初めてアメリカの地を踏みしめにやってきた。彼女だけじゃない、一流と称されるオペラ歌手達がこの作品を作り上げる。

やっと満足のいくオペラを見られる。
いや、見るだけじゃない。




…それで、満足なはずなのだ。

なのに、足りない何か。



長年、見たいと思っていたオペラ。
それが、最高の舞台で、最高の出来でやってくるはずなのに。満たされない気がするのは、まだ終えていないからか?それとも別の理由か…いや、もう隠せない。

本当なら、クリスティーヌの心を取り戻せなかったことを嘆く所なのに。

逆に今しがた、私はクリスティーヌに告げてきた。

新しい愛を見つけた、と。

それを聞いた時のクリスティーヌの驚きと喜び、私にほぼ初めてではないかと思うような穏やかな微笑みで祝福してくれた。だから、私は本当にクリスティーヌへの執着を捨てたのだ。もちろん、プリマドンナとしては一流だし、今でも師弟関係としての愛情はある。だが、それだけ。


レジーナを抱いた夜。
それは一昨日の夜。


色々な感情がない交ぜになって、落ち着かず、不眠に苦しんでいた自分の慰みにと『抱きたい』と口にしてしまった私に。彼女はなんと応えてくれた。キスを交わしてくれた、抱き締めてくれた。私をその躯に受け入れてくれた。それは甘美なひと時。

でも、それは夜が魅せた幻だったのか。

朝、傍に温もりはなく、今までと何ら変わりのない朝だった。

目覚めのキスも、優しい抱擁も、愛の言葉も無い。
私の『愛してる』も本気にされなかった。

私の心は、躯は覚えている。
彼女を愛した、真夜中の出来事を。

視界を塞いだ優しい手、囁き、私に触れてきてくれたじゃないか。組み敷いた躯の細さ、感触、私を受け入れた熱も。あの時、私を抱き締め、縋りついてきた腕が嘘だとは思えない。身代わりでもいいと言ってくれたのは、私を愛しているからだと言って欲しい。

こんな風に考えるのは辞めるべきだ。
彼女の世界に、私がどう映っているのか気にするなんて。


たった一夜の夢。
なのに、昨夜の独り寝が寂しいだなんてどうかしている。今まで幾夜も独り寝の夜を過ごしたというのに…。

そんな感傷はきっと私だけだ。
現に、今朝は二人とも何も変わらない普通の朝を過ごしたじゃないか。

溜息を隠して、オペラハウスに踏み入れる。
リハーサルは大詰めで、明日の準備も着々と進んでいる。自分の為に誂えた、秘密のボックス席に座ってみる。眺めは良く、快適だ。

リハーサルは申し分なく終わり、私はオペラハウスを後にする。19時を少し回る頃には、自宅に着いて食卓を囲めるだろう。



「今日は随分豪勢だな」

彼女の用意した夕食。
傍にワインが添えられているのも珍しい。

「えぇ…だって、エリック…明日はマンハッタン・オペラハウスの初日だわ。おめでとう。貴方の夢が叶う日よ。」

そんな風に言われるとは思っていなかった。グラスに注がれるワインを見つめるふりをして、彼女を盗み見る。穏やかな表情のまま、私のグラスを満たした。カチリとグラスを合わせてディナーは始まった。思いのほか穏やかな調子で進んだディナーの時間は、一見とても楽しいものに思えた。

けれど、楽しい雰囲気の下には…自分に隠しきれない欲がある。



もう一度、彼女に触れたい。

確かめたい、彼女の想いを。


マンハッタン・オペラハウスの前夜。

明日まで待とうと決めたはずなのに、気づけば私は、バスルームから出てきた彼女の手を取っていた。






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