side M
□Everyday
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会場から抜け出した、いや、私が一方的に彼女を連れ出したといえるのかも知れないが、そんな私達は掛け合う言葉を持ち合わせてはなかった。
ただ驚き、そして様々な感情が渦巻いていたんだ。
ピエールとのデュエットは本当に素晴らしかったと思う。それは純粋に音楽を愛する気持ちからだ。
だが同時に嫉妬もした。私は…間近で彼女の歌を聞いたこと自体ほとんどない。毎朝歌っているのを遠目に聞くだけが多いのだから。ましてやデュエットなんて…。彼女の甘美な歌を間近で聞いてみたいということすら、日常を壊してしまうのではないかと恐れていた私に、そんな願いは夢のまた夢だった。
連れ出すときに握った手が無意識に繋がれたままになっていたのに気付いて、どちらからともなくパッと外す。手のひらに残る名残惜しい熱は、すぐに外気に触れて失われた。
「帰るぞ」
有無を言わせないトーンでそれだけを言うと、彼女は無言でついてきた。表情は俯いていて見えない。
2人が暮らしているマンションのエレベーターに乗り込んだ時、指先が不意に触れ合った。私はその熱を追いかけて、指先を捕らえる。彼女も拒みはしなかった。
私は感じていた。
もう、隠せないこと…。
住まいにしている最上階に着いて、玄関を開けるまでが理性の限界点だった。
「…っ」
引き寄せた躯、捕らえた指先を絡ませ壁に縫い付け口付けた。
こんな風に火を着けられるなんて思わなかった。かつて私がクリスティーヌの音楽の天使であったように、彼にとってレジーナがそうだなんて…。そして私と違い、まさしく天使のよう。脳裏に焼き付いた2人とその音楽。
彼女を縫い止めた指先を華奢な指が握り返す。私の口付けに彼女もまた情熱的に応えてくれた。そこにあるのは…感じたことのない喜びだった。
「レジーナ…」
呼ぶ声は掠れていたと思う。
自ら仮面を剥いで、彼女と額を合わせた。
仮面で覆われた部分は長らく温かさなど知らなかった。いや、もしかしたら一度もそうだったのかもしれない。彼女に出会うまで、何一つ知らなかった。
でも、彼女は素顔を怖がらなかった。触れて、口付けをくれた。あの夜の出来事が蘇り、あの熱を思い出すと引き返せなくなる。
「愛している…心から」
それは、抱えていた想い。
過ごした時間では測れない。
どれほど大切で、愛しいかなんて。
「エリック…」
外された手が、私の爛れた肌に触れる。
感覚を失ったかと思っていたそこも彼女が触れていると熱を感じられた。
「貴方から、そんな言葉を聞けるとは想ってなかったわ。ずっと、その言葉は彼女の…クリスティーヌの為の言葉だって。」
華奢な指先が、唇に触れた。
「愛してるわ、エリック」
それは、人生で決して聞けないと想っていた言葉。
焦がれ、憧れ、そして絶望を連れてきた感情だったから。
回された腕に甘やかされて、私はもう一度キスを贈ると、彼女の躯を抱えて、あの夜をやり直す為に踏み出した。