にじのおはなし

□だいっきらいです/そんなの関係ねえ
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「パチュリー様、だいっきらいです」

 午後のティータイム。
 読書の手を止め、疲れた目を休ませながら。
 香り高い紅茶と、甘いクッキーに舌鼓を打つ。
 密かに楽しみにしている、穏やかな時間。
 咲夜が、瀟洒な笑みを浮べてそう言い放った。

「……え?」
「嫌いです。大嫌い。顔も見たくありません」

 呆然としている間に重ねられる言葉達。
 じわじわと、沁み込むように理解が追いつく。

「……っ!」

 あ、やばい、泣きそう。

「世界で一番だいっきらいです」

 ずくずくずくずく。
 胸が痛くて、動悸が速い。
 やっぱりあれかな。
 レミィとのことかな。
 椅子に腰掛けたまま、地の底に沈んでいきそうな感覚を覚える。
 見下ろしてくる咲夜の視線が重たく感じて立ち上がった。
 けど、やっぱり見下ろされたままだ。
 だって、咲夜のほうが私より背が高いから。
 ――追い抜かされたのは、何年前だっただろう。
 昔は、私のお腹くらいのところに頭があったのに。



 今でこそ、完全で瀟洒などと言われているけど。
 レミィに拾われて来た当初の咲夜は、栄養不足の発育不全で、小さくてやせっぽちで。
 飼い主にだけ懐く、傷付いた犬のような子供だった。
 低い唸り声はあげないけど。
 毛を逆立てたりもしないけど。
 牙の変わりのナイフを肌身離さず持ち歩いて。
 レミィに世話を押し付けられた時は、ひどく戸惑った。
 拾ってきた者が面倒をみるのが当たり前だろうと突っぱねたりもした。
 けど、眉を下げて笑いながら、レミィは言った。

「名を付けて、寝床を与えて。餌を食わせて、頭を撫でる。それくらいは私にもしてやれるわ。咲夜が本当に犬だったなら、それでよかったのだろうけど。犬っぽくても、犬じゃないから」

 だから、お願い、と。
 その時の私は、言葉の意味を完全に理解してはいなかったのだけど。
 レミィにそこまで言われては、断ることも出来なくて。
 溜息を吐きながら了承したのだ。

 だけど、日々を過ごす内に私は知る。

 甘いものを食べれば年相応に頬を緩めること。
 字を一生懸命憶えるのは読みたい本があるからだということ。
 その読みたい本が、子供向けの童話だということ。
 紅茶を淹れる練習に余念がないのは、ただ褒められたいからだということ。

 寝る時でさえナイフを持ったままなのは、そうしないと眠れないからだということ。

 寝付きが悪くて、ようやっと眠りについても。
 泣いてはいないけど、泣く寸前のような寝顔で。
 それでも、小さく丸まって眠るその背を、ぽんぽん、と緩やかに叩いてやれば、ほんの少し安らいだ表情に変わるのだということ。

 ――咲夜は、誰よりも『人間』だった。
 弱くてちっぽけな、だからこそ愛らしい人間だった。

 愛らしいが、愛しいに変わるまで。
 そう時間はかからなかった。



「だいっきら」
「だからどうしたのよ」

 咲夜の言葉を遮って。
 胸を張って、私は叫んだ。


「私は、貴女が大好きよ!」


 嫌われたって、関係ない。
 そのくらいで揺らぐような、安っぽい愛情など持ち合わせていないのだ。

「時が経って。貴女がしわくちゃのおばあちゃんになったって」

 手を伸ばす。
 届かないから、ほんの少し背伸びをして。
 丸くて形のいい咲夜の頭。
 僅かに硬質な髪の感触。
 わしゃわしゃと撫で回して、自信を持って言う。

「こうやって頭を撫でて、可愛いって言ってやるわ」

 いくつになったって、目に入れても痛くないくらい可愛い。
 ――それが、親心というものでしょう?

 ……でも、やっぱり。

「思っていても、きらい、なんて。口に出していうのはやめて。ホントに泣くから」

 もー限界。
 泣くわよ、ガチ泣きよ。

 だばあっ、と溢れ出す涙。

 ぼやけた視界。
 それでも歯を食いしばって視線を逸らさずに咲夜の顔をまっすぐ見据え続けていると。

 みるみる、その顔が真っ赤に染まっていった。

「へ?」

 驚いて、涙が止まる。
 咲夜は真っ赤になった顔を右手で覆って、

「……〜っ」

 それでも足りなかったのか、しゃがみこむと膝に顔を埋めた。

「さ、咲夜?」

 躊躇いながら声を掛ける。
 数拍の間の後、消え入りそうな声で咲夜は言った。

「嘘です」
「え、なに?」
「嘘です。前に言ったじゃないですか。嫌いになれなかった、って」

 ええ?
 え、うん、確かにそう言っていたけども。

 よくわからない展開に、頭上にクエスチョンマークが乱舞する。
 それでも、一つだけハッキリさせておきたくて。
 私は咲夜にあわせるようにしゃがみこんで問い掛ける。

「咲夜は私のこと、嫌いじゃないのね?」

 咲夜は。
 膝から少しだけ顔をあげて。


「嫌ってなんかいません。大好きです……お母様」

 耳まで赤い顔で、そう答えた。


 泣いた。
 嬉し泣きである。


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