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□貴方といつか笑い合えたら
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「……」
食器に伸ばしかけた手を止めると、XANXUSは幼い顔を歪めた。
九代目はその顔を横から見つめた。
「どうしたんだ……?」
尋ねられた問いには答えず、XANXUSはテーブルクロスを掴み、持ち上げるように引いた。
豪華に盛られた料理は皿と共に宙を舞い、無残な姿を晒した。
テーブルを踏み越え、XANXUSは靴でそれらを踏みにじる。
「XANXUS……」
あまりにも唐突な行動だったので、真意が読めず、九代目は咎めるような声を出した。
しかし聞こえていないのか、まだXANXUSは料理を踏み付けている。
「XANXUS」
僅かに語調を強めて呼ぶと、XANXUSは振り返った。
口がヘの字を描いていた。
「………………」
「やめなさい」
「………………」
ぴょん、とヘドロの上で跳ぶと、白いシャツに濁った液体がこびりついた。
黒い靴もトマトソースやらホワイトソースやらで斑になっている。
足を止めたXANXUSは汚れを気にすることなく、紅い瞳で九代目を見据えた。
「…………ら」
もご
と、口が動いた。
「……が……たから」
不明瞭すぎてさっぱり何を言っているのか分からなかったが、九代目が聞き返すより先に、XANXUSは部屋を出て行った。
小さな肩を怒らせて去った少年に、九代目はため息をついた。
何が気に入らなかったのか。
今日はせっかく新しいコックが来たというのに、彼は手をつけることすらせずに、振る舞われた料理を踏みにじった。
XANXUSが好きなガランティーナや、スプモーネも、つい先ほどテーブルの下にたたき落とされた。
それらは、もうどれが何なのか分からなくなる程、境目なく混ざり、絨毯に沈み込んでいた。
彼には躾が必要なのかと頭を悩ませつつ、後始末を頼むために九代目はメイドを呼んだ。
テキパキと片付けるメイド達を見て、ある事に気がついた。
メイドが一人足りないという事だ。
確か、毒味役のメイドのはずだった。
そして数分後、コックもいつの間にかいなくなっていた事が分かった。
***
XANXUSは自分の部屋に入ると、そのままの姿でベッドに埋もれた。
汚れた靴が白いシーツを醜い色に犯した。
「……っ」
XANXUSは不満に塗れた顔を枕に押し付けて唇を噛んだ。
歯痒い思いが渦巻いている。
枕で視界を覆っているが、脳裏に九代目の悲しそうな表情がちらついた。
料理を台なしにした理由を説明しなかったのが悪いのだ、と理解はしている。
しかし訳を話すのも恩着せがましいかもしれない、とも思っていた。
「………………毒が」
『料理に毒が入っていたから』
「………………」
言えなかった言葉を唇でなぞってみても、心を引っ掻くような虚しさは消えない。
やはり言っておけば良かったのかもしれない。
寝返りをうち、シーツを握りしめた。
だがその時は自分の能力についても説明しなければならないだろう、と思った。
この能力について話すのは避けたかった。
話せば、更に九代目との溝が深まってしまう。
一度、友達に自分の力について話した事があったが、二度と彼は自分に近寄らなくなってしまった。
きっと九代目ともそうなる。
この能力は異常で、異端であると認識していた。
XANXUSが持つ能力とは、人の悪意を読み取れるというものだ。
その力が目覚めたのは、ちょうど手に炎を宿した頃だった。
初めは、目を見て、その人間が自分を嫌っているかどうか分かった。
しかしだんだんと日を重ねるうちにその能力はエスカレートし、今では物質に対しても悪意を感じられるようになった。
「……………………」
九代目に引き取られてからは、この能力はとても役に立った。
九代目の息子として、自分を暗殺しようとする意思を察知でき、身を守ることが出来たからだ。
ただし、その代償としてXANXUSは、自分に向けられる憎悪の篭った声を毎日のように聞かなければならなかった。
幼い心を悪意は目茶苦茶に踏み荒らし、今やXANXUSはすっかり人間不信に陥ってしまった。
信じられる人間は、母と、父である九代目だった。
この二人だけが、自分に対する悪意を持っていなかったのだ。
だからXANXUSは、本当は誰よりも九代目を愛していた。
だがXANXUSは誰よりも不器用でもあったため、その事を伝えられなかった。
このままだといつか九代目も自分を嫌う、と焦れば焦る程に思った事と真逆の行動をとってしまい、結局は九代目をいつも困らせていた。
すれ違う度に胸が掻きむしられたがそれすらも一人で抱え込んだ。
今日だって上手くやれば自分の能力を説明せずに、毒があったことを知らせられたかもしれなかったが、咎められるような声を聞いて、腹立たしくなってしまった。
「………………ごめんなさい…………」
シーツを握る手に、更に力がこめられた。
XANXUSはどうしようもない思いに焼かれ、目を閉じた。
いつしかXANXUSは夢の世界へと引きずり込まれていった。
現実で上手に笑えなくても、夢の中ではきまって、九代目と一緒に自分は笑っていた。
ああ、もっと素直になれたら。
XANXUSは遠い意識の果てで思った。
***
足早に九代目はXANXUSの部屋に向かった。
「XANXUS…………!!」
辛そうに歪む唇から名前が零れた。
彼には謝らなければならない。
九代目が真相を知ったのは、XANXUSが部屋に戻ってから随分経っていた。
すでに逃走したコックとメイドが手を組んで、九代目とXANXUSを毒殺しようとしていた可能性に全く気づかなかった己を責めながら、息子の部屋の前に立った。
扉をノックしてみる。
返事はない。
もう一度ノックしてから、九代目は扉を静かに開けた。
明かりが灯っていない部屋だったが、月の白い光が奥まで差し込んでいた。
月光で淡く浮かび上がるベッドには、何色ともつけぬ靴が見えた。
九代目は足音を立てずに、気配も消して、ベッドに近づいた。
XANXUSは布団を被らず、靴を履いたままで穏やかに眠っていた。
日中の張り詰めた顔よりも、今の寝顔の方がよほど年相応だ。
九代目はXANXUSに布団をかけた。
風邪を引かないように、きちんと首までかけた。
「んん………………」
するとXANXUSは少し眉間にシワを寄せて、それから目を開けた。
布団の感触一つすら敏感に感じたのだろうか。
「………………」
「XANXUS……」
XANXUSはただ黙ってこちらを見ている。
とろんとした目をしているので、まだ寝ぼけているかもしれない。
「父……さん……」
「すまない……。
お前は料理に毒が入っていたのを知らせようとしてくれていたんだね」
「…………」
無言のまま頷いた頭を撫でれば、安々と掌に収まるほど小さい事に気づく。
「オレ……実は……」
XANXUSは掌に勇気づけられたかの様に、恐々と言葉を紡ぎ始めた。
「わかるんだ…………そういうの………………いつも…………」
九代目はXANXUSが何を言いたいのか分かった。
事実、九代目もXANXUSが暗殺を見抜いたのはそれしか考えられなかった。
「超直感だよ。それは」
「え?」
「ボンゴレの血を引く者だけが持つ能力だ。
怖がることはない。
誇っていいんだよ」
徐々に覚醒する脳に、静かな言葉が浸み通っていった。
「そっか…………そうなんだ…………!」
自分の能力は異常でも異端でもなく、ボンゴレの血を引く証だったということに、深い喜びをXANXUSは感じた。
「XANXUS」
「…………?」
九代目が微笑んだ。
いつものような暖かい笑顔だった。
「本当にありがとう」
「ーっ!!」
先ほど知った事実よりも、今の言葉の方がずっと嬉しかったが何も言えず、XANXUSは九代目から出来る限り顔を背けた。
耳まで赤くなかった顔を見られたくなかったからだった。
「………………お、おやすみ…………」
それだけ言うと手を跳ね退けて布団を頭まで被ってしまった。
九代目はそれでも布団の上からXANXUSを撫で、おやすみと告げた。
ドアが閉まると、XANXUSは顔を出した。
九代目に触れられた頭を自分の手でもう一度触った。
もう感じられないはずの温もりが何故か感じられた。
「……………………お父さん」
***
ドアに寄り掛かり、九代目は天井を仰いだ。
瞼を下ろすと、瞳よりも真っ赤になった耳と、小さな頭蓋の感触が蘇った。
「……………………XANXUS」
貴方といつか笑い合えたら
(今はまだ上手く出来ないけど)
次の瞬間、二人が同時に笑った事は、夜空すらも知らない事だった。