Free!
□Jaws!
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珍しい事もあるものだと目を見張る。
本文に「会えるか?」と、それだけのメールを受信した。差出人は「凛ちゃん」。知れば絶対に嫌な顔をするし、呼べば「やめろ」と機嫌を損ねるので、まさか登録名がそうであることは本人には秘密だ。
浮き立つ気持ちと、不安な気持ちが混ざる。彼に会う時はいつもそうだ。
具体的な内容の無いメールに、もしかしたら……と悪い話も想像してしまうが、出来るだけ明るい気持ちを保って、事前に解っていればもう少しマシな恰好も出来るのにと悪態をつきながらも手早く用意を済ませる。
待ち合わせ場所は岩鳶小学校とある。珍しい事というのは続くらしい。
歩くと少し距離があるので自転車で向かう。道中、よくこんな距離を小学生が毎日毎日往復したものだと懐かしさと驚きが生まれた。
多少建て替わった住宅街を抜けると小学校が見える。19時にさしかかろうとしている薄暗さの中人影が見えて自転車を止めると、その人は「よぉ」と片手を挙げた。
瞬間、安堵する。彼から発されている雰囲気からして、どうやら悪い話では無さそうだ。
「「よぉ」じゃないでしょ。随分といきなり、随分と懐かしい場所でどうしたの?」
安心すると次に沸いてくるのは不安にさせた事に対する抗議の気持ちである。
でもそんな事は久しぶりに見るその姿で一瞬にして消えるのだが、それはそれで、私ばかり嬉しいみたいで悔しい。その結果、つい可愛くない言い方をしてしまう。どうか本気に捉えないでと願いながら。
「メンドーだったら来なきゃいいだろ」
「そっちこそ、わざわざ電車に乗ってごくろーさまです!」
「かわいくねー」
そう言いながら頭をポンとされる。
妹がいるせいか、どうもこういう仕草を自然とこなす節がある。
きっとこれ一つに全てが詰まっているのだろう。
「いきなり悪かった」「来てくれてサンキュ」「相変わらずで安心した」
出来れば口で伝えて欲しい事ばかりだが、伝わってしまうのだから仕方ない。同じように、きっと私の態度も伝わっているのだろう。心配するまでもなく彼は解っているのだ。そんな所がたまらなくて、少し憎らしい。
「何かいい事あった?」
「なんで」
「すっきりした顔してるから」
「見分けられるほど会ってねェだろ」と言われ「会ってくれないからね」と言い返すと黙った。日頃の扱いに罪悪感は感じているらしい。
「で、何があったの?」
もう一度訊ねるとプールをじっと見つめた。その表情がいつになく真剣なもので、彼が口を開くまでの時間の空気がピリピリと感じる。
「やりたい事が、見つかった。やらなきゃいけない事が、とりあえず」
「やりたい事って、凛はオリンピックの選手になるんじゃないの?」
昔から言っていた事で、現に今もそれを目指しているはずだ。すると「それは大前提」とはっきり言われる。
「そ?なら、目標に向かってやりたい事、やらなきゃいけない事を一つずつ消化していけば良いんじゃないかな」
「簡単に言うよな、お前。他人事だと思って」
「他人事って、凛の事だからでしょ?それに凛ももうすっきりしてるみたいだし、私から何かアドバイスも特にないみたいだし」
「それに私に何か言われたら、どうせ「知った風に言うよな、お前」とか言うんでしょ?」と続けると「俺のマネのつもりか?それ」と呆れられる。
「そうだよ、なかなか似てるでしょ」
「確かに」
え!認めちゃう!?と驚いたところで二の腕を掴まれる。
「どうせならこっちもマネすりゃ良いんじゃねェの?ぷにぷに」
「ぷ、ぷにぷにじゃないもん!!ほら!」
ムキっと力を入れるも鼻で笑われ微妙に硬く膨れた力こぶを握りつぶされる。細身なのに結構な力なことだ。
「どうしたらそんなに綺麗に筋肉が張り付くわけ?」
「知るか。適当に鍛えろ」
「むー」
ちょっと、いやかなり本気で筋トレを考えた時、ぷにぷにと称された腕をぷにぷにとされる。
「やめてよ!これ以上ぷにぷにになったらどうしてくれるの」
「いや、こうしたからって別にこれ以上どうこうって関係ないだろ」
「いちゃもん付けるな」と文句を言いながらずっとぷにぷにしている。
「なぁ」
てっきり鍛えるよりも痩せろとか、そういう事を言われるのだろうと予想していたのに続いた言葉に驚く。
「二の腕と胸って同じ柔らかさってマジ?」
「なに言ってんの」
冷静な言葉とは反対に勢い良くバッと腕を振り払った。「あっ!」と名残惜しそうな声を漏らす凛が、もう一度「なぁ」と回答を待っている。
「どこ情報よそれ。セクハラね、セクハラ」
「この程度で?」と全く反省していない様子にイラっとして「仮に本当だとしたら、今凛は私の胸を揉みまくったって事なんだから!」と付け加えると「だったら胸揉んどきゃ良かった」としれっと言う。
「おまわりさー……」
「バカか!んな大声で叫ぶなよ、マジで通報されるだろ!!」
大きな手のひらで口を押さえされて、ふごふごと息を漏らして抵抗する事しかできないでいると「うわ色気無ェ!」と驚かれた。
「失礼すぎ!さっきから何なの……」
今度は色気無く息を漏らすことも出来ない。
やや乱暴に押し付けるようにして密着させられた唇が離れると同時に息を吸い込んだところで再び手で蓋をされる。
「だから叫ぶなって」
「だったら、叫ばすような事……しないでよ」
ハァハァと息が苦しい。何故目の前の男は息一つ乱れていないのだ、不公平すぎる。
じとっと見ていると「ん?」と眉をしかめた。
「何だこれ」
言いながら唇に触れる彼をよく見ると、当たり前の話なのだが私のグロスが付いている。
薄暗くても解る、ピンク色だ。悔しいことに、私より似合うかもしれないと思っていると「おい……」と不機嫌な声を浴びせられる。
「余計なもん塗ってんじゃねェよ」
「余計って……人の勝手でしょ!」
久しぶりに会うのに少しでも可愛くありたいと思うのは自然な事ではないのか。それを余計呼ばわりとは何様なのだ。
「まだ付いてるか?」と私を見る凛の口の端にはまだ少し残っていて、なんだかおかしい。
「あはは、なんだか凛、人食いサメみたい!」
滴るように残るそれと、先ほどの凛を思い出すと、凶暴なサメと形容するのが相応しい気がする。
言い得て妙だと一人で笑っていると「いつまで笑ってんだよ」とむすっとしている。
「なんなら、本当に食ってやろうか」
ニヤリと八重歯を覗かせて笑う姿にブルリと寒気を覚え大きく息を吸うと、解っていたように口を塞がれた。