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□大嫌いと、ちょっと好き
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可愛いだの罠にかけてはプロにも引けをとらないだの、そもそも仙蔵があまりにもあいつを褒めるのが悪い。
しかも文次郎の奴まで話にのるような事を言いやがるから余計質が悪い。
だから、だからだ。
だから俺は、あいつに優しくしてやれなくなる。

『どこがいいんだか。あんな愛想もへったくれもねぇような可愛い気ない奴』

そんな事を口にした数日前の自分を今すぐぶん殴ってやりたい。
何であんな事を言ってしまったのだろうと頭を抱えても言ってしまった事は取り消せず、全ては後の祭り。

『そうですか。しょくまん先輩が私をどう思ってらっしゃるのかよく分かりました。ご安心ください。今後一切あなたには近づきませんから。尤も私からあなたに近づいた事など殆どないに等しいですけど』

あいつの気配に気づかなかった俺も俺だが、あいつもあいつだと思う。
用があるのなら(仙蔵にだが)もっと早く声をかけるとかするのが当然だろう。
そうすりゃああんな事を聞かれたりはしなかったはずだし、俺だって言い返したりはしなかったはずだ。

『ああそうかよ。そりゃあ好都合だ。大体俺は人の名前もまともに覚えられないような奴は嫌いなんだよ』

売り言葉に買い言葉。
いつもと変わらず淡々とした態度にかちんときて、思わず口から出たのは喧嘩をしかける餓鬼の台詞そのもの。

『あなたなんか、大嫌いです』

去り際、ゆるりと揺れた瞳は見間違えではなかっただろう。
違うそうじゃないそんな事思ってない。
その細腕を掴んで弁解する事が出来ればどんなによかったか。
馬鹿みたいなプライドが邪魔をして、先輩という立場が足枷になって、小さくなる紫の背中を呆然と見送る事しか出来なかった。

「っ…、くそっ…」

普段ならそこかしこを穴だらけにして迷惑をかけるくせに。
外にいれば必ず見かける、灰色がかった桃色の髪を何日見ていないのだろうか。
他の委員会から修理を頼まれた物が日に日に増えていく。
全くと言っていい程進まない作業。
実習も演習も失敗続き。
仙蔵に焙烙火矢を投げられるわ、文次郎との喧嘩には負けるわ、伊作に呆れられるわでいい事なんざ一つもない。
もやもやとした苛立ちは募る一方で、時間が経てば経つ程どうしたらいいのか分からなくなってくる。

「…………はあ…、」

無意識についた溜息。
今日だけでもう何度目なのかも分からない。
いい加減切り替えなければと考えていると、ふと感じた気配に顔を上げた。

「──、綾部…」

猫目がちの大きな瞳がじっと俺を見つめる。
途端、早鐘を打つ心臓と手に滲む汗。
ここ数日ずっと頭を占めていた人物との願ってもない対面に柄にもなく緊張している。
急速に口の中が渇いて声を出すのすらまごつくが、この好機を逃しては本当にもう駄目になる、そんな気がした。

「…あ、その……何だ…」

ごめん、悪かった。
たった一言言えばいい。
なのに、ただそれだけの事が上手く出来ず言葉が続かない。
煮え切らない俺に見かねたのか(かっこ悪いなんて十分分かってる)綾部の凛とした声が俺の耳に届く。

「言い訳があるのでしょう?」

たった数日聞かなかっただけで懐かしく感じる澄んだ音。

「弁解時間を十秒差し上げます。その間に仰ってください」

こちらの返答など聞かず突然始まったカウントダウン。
突拍子もなく一方的な事なんざいつもの事だが、唐突すぎると人間というものは上手く頭が働くなるものだ。
その間にも時間はどんどんなくなる訳で、あいつの口から紡がれる数字が小さくなるにつれ焦りが増す。

「いち、ぜ「嫌いじゃねぇ!」

自分でも思った以上に大きく出た否定。
一瞬だけ見開かれた色素の薄い目は普段無表情なあいつには珍しく、驚愕の感情を露にさせている。

「お前の事、嫌いじゃねぇから」

一度出てしまえば堰を切ってすんなりと思っていた言葉が出てくる。

「すまねぇ…俺が悪かった」
「……そうですか」

飄々としたいつもと変わらない声色。
だがいつもと違い穏やかな表情をする綾部に今度は俺が驚愕に目を見開く。

「なら、許してあげます」

長く同じ学園にいるくせに初めて見たあいつの一面。
固まる俺を気にもせず、綾部はくるりと背を向け柔らかな髪を揺らす。

「しょくまん先輩、私は──」

振り返ったあいつの顔はやはり穏やかなままで。
風にのって届いた呟きに今度こそ俺は岩のように固まった。



──あなたの事、ちょっと好きです。






食→綾はうちの基本形。
むしろ食→→→綾なくらい一方通行。


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