掌編小説

□梅雨の気配
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<梅雨の気配>





 寒かったり、暑かったり、気温が安定しない日が続く。しかし天気は快晴続き。空は綺麗なスカイブルーの天幕を広げていた。こんなにも晴れた日が続いていても、梅雨が近付きつつあるはテレビの天気予報が示していた。
 それは必ず訪れる。毎年毎年。程度の差こそはあれ、この日本国において梅雨の無い年は無いのだ。
そしてそれと同じ様に、終わりの無い恋愛なんて無いんだ。



 五月の始め。ころころ変わる気温に振り回されて、俺は衣更えが終わらないでいた。まだ暫く長袖のままでいいのか、もう半袖で大丈夫なのか分からない。おかげで中途半端に衣更えは放り出されたまま生活を送っていた。スパッと物事が決められない質なのだ。そんな俺の部屋に遊びに来た君はいつも「いい加減片付けなよ」と言って笑っていた。
 そう、その時は俺も笑っていた。こんな些細なことが幸せで、それは永遠だと信じていたから。
だけど、この時はもう全ては始まっていて、知らないのは俺だけだった。
 俺が鈍感だったのかな? それとも君が嘘をつくのが上手かったのかな?
 別れ際君は泣いて俺の鈍感さに腹を立てていたから、きっと俺が悪いんだね。それを友達に話すと、「お前は馬鹿だ」と呆れられるけど。俺にはよくわからないよ。だけど、どっちが悪いかなんて、結局は関係無いんだろうな。きっと二人とも悪かったんだ。何処かでボタンを掛け違って、それに気付かなかったんだ。



 五月の半ば。ようやく夏服に衣更えしたというのに、肌寒い日が数日続いて、俺は何だか機嫌が悪かった。だけどしまい込んだ長袖を取り出す気にはなれなくて、結局そのまま過ごしていた。
 「季節の変わり目は風邪ひきやすいから気をつけてね」と君は心配していたね。だけど、君の看病を受けられるなら、風邪をひくのも悪くないなんて思ってたんだ。本当だよ。例え君がそれを望んでいなくても。



 五月の終わり。空は相変わらず晴れているのに、何だか雨の気配を感じていた。それは臭いなのか、湿度の変化なのかは分からない。ただ漠然と梅雨を感じ始めていた。
 そしてそれと同時に、この恋の変化も感じていた。もしかしたらそれは、恋愛の終わりだったのかもしれない。
 この頃から急に君との間に距離を感じた。本当はもっと前からあったのかもしれない。いや、実際あったのだ。ただ気付いていなかった。始めは枝で線を引いた位に些細な溝だったのに、気付いた時には埋められないくらい深く、回り込めないくらい大きなものになっていた。
 曇りが続いた日。電話が通じないことが増えた。今までなら直ぐに繋がったし、君からも沢山かかって来たのに。
 声を聞かない日が増え、会えない日も続いた。
 忙しい君の事だから、仕方ないって思ってた。
 だけどいくら鈍い俺でも、不安に押し潰されそうだった。
 そして、喧嘩が増えた。それは至極当然のこと。
 二人とも心が荒れて、酷く醜かった。



六月の始め。決定的な事が起こった。俺との約束に断りを入れた君が楽しそうに街中を歩いていた。俺の知らない男と腕を組んで。いつもより化粧の濃い君が、お気に入りだと言っていたワンピースを着て。
直ぐさま走り寄って、相手の男を殴り飛ばし、「誰だよこいつ!」って君に詰め寄っていたら、少しは変わっていただろうか? だけどそんなのその時は考えもつかなかった。そんな修羅場、ドラマでしか見た事無い。
俺は頭が真っ白になっていた。何も出来ずにただ君の笑顔を見ていた。あんな顔最近は俺の前ではしたことがなかったから。
それからずっとそのことばかり考えていた。あの笑顔を思い出すと、激しい怒りは内にあるのに、何だか怒る気になれなくて、君に連絡をすることすら出来なかった。
数回目の君からの連絡にようやく返事をし、二人で会うことになった。その時に既に終わりを感じていたよ。
馴染みの喫茶店。一番奥の窓際の席。君の大好きな場所。俺の友達から事情を聞いたらしい君は、もう修復を諦めていたよね。俺を待っていた君の顔がそれを告げていたよ。
「ごめんなさい」開口一番、君の口から出たのは謝罪の言葉。それを聞いてもう駄目だと核心した。泣き出した君は鳴咽混じりの声でイイワケを始めた。

大学に入って、サークルで仲の良い男友達が出来たの。始めは本当に唯の友達だったの。お願い、信じて。だけどいつからか向こうが好意を持ってくれて……。勿論彼氏が射るのは言っていたから知っていたわ。だけど……だんだん……。ごめんなさい。二股する気なんてなかったの。いつも罪悪感でいっぱいだったわ。だけど貴方は私の変化にちっとも気付いてくれなかった! 貴方が叱ってくれたら、直ぐにでも切れたのに。唯の友達でいれたのに! なのに貴方は……。街で二人で居るとこ見られたって……。だけど貴方は何も言ってきてくれなかった。私って何なの? 貴方にとって何なの? 他の男と居ても別に気にしない程度の女なの?

学校が違うということは、そんなに大きな障害なんだろうか? たった三ヶ月で俺達の一年半続いた恋は終わった。
君のイイワケはいつの間にか俺への愚痴になっていたね。これまで溜まっていた鬱憤が雪崩を起こしたんだろう。
いろいろ言いたい事があったはずなのに、何だかどうでもよくなっていた。
この崩壊は止められない。なるべくしてなったのだ。そんな思いが頭を過ぎった。
大好きだったはずの君の顔は醜く歪み、涙で化粧は落ち、ドロドロだった。
勿論今まで喧嘩も沢山した。愛していた頃はその顔すら愛しく思えたが、もう無理だ。呪いともとれる毒を吐きながら、俺を非難する君の顔は見ていられなかった。

「別れよう」

その言葉だけ残して席を立った。君はまだ何か言っていたけど、もうそこに居たくなかった。思い出の中の君まで全て毒で汚したくなかったんだ。



帰り道。空を見上げれば曇り空。雨の臭いは強いのに、まだ降り出しそうには無かった。
一緒に泣いてくれればいいのに。空は意外と薄情だ。

大好きだった君。俺の弱さで傷付けて、君の弱さで傷付いて、ボロボロになった君。
人生で初めて同士。愛しい愛しい人。きっとお互いこれから恋する大多数のうちの一人になってしまうのだろうけど、それでも初めて付き合った記念すべき人。君は忘れてしまうかもしれないけれど、俺はきっと覚えているよ。楽しい思い出も、悲しい思い出も。

ありがとう。さようなら。



その日の夜、気象庁が梅雨入りを宣言した。




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