<独り芝居> カラカラカラ―― フィルムの無い映写機が回っている。 狭いのか、広いのか。周りは闇。分かりはしない。 私といえばパイプ椅子に腰掛けて、何も写っていない小さなスクリーンを眺めている。 何故こんな事をしてるのか、考えようとすればするほど頭は空になる。脳が拒絶している様だ。 ただ、私はそこから動けない。光りだけが溢れるスクリーンから目が離せない。 カラカラカラカラ―― 空回る映写機の音だけが響いている。 フィルムの無い映写機は何を写していたのだろう。何故フィルムが無いのだろう。何故私は独りなのだろう。 考えれば考えるほどその意味を忘れていく。 私の頭に蟲が住んでいて、大脳に生まれた考えをどんどん食べているようだ。 何だか酷く悲しい……。 埃っぽく、白いスクリーンが心に痛い。 考えたい。考えたくない。 相反する思い。 ああ……おかしくなりそうだ。 カラカラ……ガチャ…………カラカラカラカラ―― 何かが切り替わる音。それと同時に映写機がスクリーンに何かを写し出した。 映像は白くぼやけ、画像は不鮮明。フィルムが劣化しているのか茶色の染みや無数の線が現れては消えていく。 辛うじて確認出来るのは広がる灰色と白。 海だ、と思った。白黒フィルムに焼き付けられた夏の海だと。 色を奪われた海は灰色の波を白い砂浜へと打ち寄せては引いていく。 波の音が聞こえた気がした。 部屋はただ映写機が回る音だけ。 だけど耳の奥から波の音が聞こえた。映像を見て脳が思い出しているのだろうか。先程から潮の匂いも鼻孔を刺激している。 色だけを失った本物の海が眼前に広がっている様だ。 そう思った瞬間に私はスクリーンの中に飛び込んでいた。 ぐにゃり、と視界が歪んだかと思うと、色の無い砂浜の上に着地した。 部屋は消し飛び、ただ無限に広がる海と砂浜。空は色を塗り忘れたかのように真っ白だった。その中で無機的な色を持ったパイプ椅子が不気味に異彩を放っていた。 ふふ、と誰かが笑った気がした。 見渡すと砂浜を誰かが歩いているのが見えた。こちらに近付いてくる。 それは白いワンピースから白い手足を覗かせた長い髪の少女。つばが広い帽子を深く被っているせいで顔は見えない。 笑ったのは彼女だろうか。声が聞こえるにはあまりにも遠い気がした。 コマ落ちした活動写真の様に段々と少女が近付いてくるのを私はただぼんやりと見ていた。 たとえ色が無いとしても海はこんなにも現実味があるのに、目の前の少女は薄っぺらい虚像の様に思えて仕方が無かった。スクリーンごと映像が近付いて来ているようだ。 映像の少女は私の三歩前で立ち止まった。相変わらず顔は見えない。 つばの影から辛うじて逃れた口が、動いた。 『大好きだよ』 無音の映像が伝えた声。聞こえるはずのない声。それは鼓膜を響かせる事なく脳に直接囁いた。ような気がした。 少女が笑った。 カラカラカラ―― その姿は可憐で美しい。しかし悲しい。いや、違う……虚しい? 心が高揚する。半面、落ち込む。澱が貯まったかのようにもやもやと濁る。 何故? 誰だ、誰だ、誰だなんだ、この少女は! 思い出せ、思い出せ、知っているはずだ! 駄目だ! 海馬にも蟲が―― 記憶が―― 私は―― 海、夏、白、白い、白い、青、少女は、笑う、笑う、嗤フ―― 私は酷く狼狽して大声を上げた。 カラカラカラカラ―― 「それはニセモノだ」 声が聞こえた。鼓膜を震わす凛とした声が。 顔を上げると全身真っ黒の男が立っていた。 色の無いその姿は本当ならば白黒の世界に相応しいのだろうが、あまりにも明度の低い、墨で何十にも塗りたくったような黒は異質だった。 「虚像だ、贋物だ、まがい物だ」 白い空と白い砂浜に挟まれた男が異様とも思える存在感でもう一度言葉を放った。 私は白い少女と黒い男に挟まれるようにして立ち尽くしていた。 偽物、偽者、贋物、ニセモノ―― 少女を見た。 相変わらず顔は見えない。 顔の無い少女はにっこりと口を歪ませて音の無い声でこう言った。 『愛しているわ』 鼓膜を震わせることの無いその声は脳髄に甘く響く。 しかし黒衣の男が発する声のような質量は感じられない。 カラカラカラカラ―― 無彩色の世界で黒と白とに挟まれた灰色の私は一人馬鹿みたいに呆けていた。全てを放棄したのだ。思考も記憶も全部蟲が食べてしまった。何も考えられない。何も思い出せない。私は空だ。からっぽだ。 ただ、酷く悲しかった。寂しかった。目の前に二人の人間が居るのに、孤独が私を襲っていた。 そして何故か虚しかった。 「嘘だ」 闇を背負った男が言った。私に言った。彼女に言った。世界に言った。 「全部嘘だ」 ソレハオ前ノ妄想ダ―― 頭の奥で声がした。冷めた声。 ああ、あいつは私だ。私自信なのだ。 安堵した。 眠るように瞳を閉じると涙が一筋溢れ出た。 彼女を思って。過去の私を思って。未来の私を思って。 見すぎて擦り切れたフィルムはカラカラと回る。 パイプ椅子から立ち上がり、映写機の電源を切る。 スクリーンを振り返る事なく、私は部屋を出て行った。 さようなら、私の妄執。 |