50のお題

□6. 扇風機
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 ……それは、ある暑い日の、平穏な一コマ……

「……暑い」
「うん、暑い」
 どこの世界だろうか。「光写真館」はどうやら夏真っ盛りの「どこかの世界」へ到着したらしい。
 窓の外から見える景色は陽炎が揺らめき、「士の写真」をそのまま表現したような世界が広がっている。
 そんな、外に出かける気力さえ失せるような暑さの中。門矢士と小野寺ユウスケは、二人揃ってホールにある椅子の上でぐったりと身を倒していた。
 ホールは広いが、窓を閉めきっているせいか風が流れずに蒸し暑さだけが空間を支配する。
 汗が流れ落ちていく感覚が気持ち悪いが、それを拭う気力も沸かないのか、二人とも四肢を投げ出してだらりと脱力しきってしまっている。
 彼らを嘲笑うかのように、窓の外でジワジワと元気に鳴いている蝉の声が、本気で鬱陶しい。鬱陶しいがそれを追い払う気力など、当然ない。
 今の彼らが出来る事と言えば、椅子に身を預けただ文句を言うだけだった。
「何故だ……」
 士がポツリと、この日何度目かの文句を放つ。
 既に苛立ちも頂点に達しているのか、今の彼は「大ショッカーの大首領」としての彼や「ライダー大戦」の折に見た彼に通じる所がある。今の彼なら本気で世界を破壊しかねないと思える程に、その目は据わっている。
 その据わりきった瞳で見ている物は……このホールに設置されているエアコンだった。しかし、普段ならこの部屋を適温に保つ為に「涼しい空気」を吐き出すはずのそれは、今日は何故か薄灰色の煙だけを細々と吐き出している。
「何故よりにもよってこんな猛暑の中エアコンがつかない!?」
「仕方ないじゃないですか。誰かさん達がエアコンを酷使したせいで壊れちゃった挙句、修理の業者さんは社員旅行中で、戻ってくるのは一週間後らしいんですから」
 苛立たしげな士の声に返しながら、黄色い表紙の分厚い冊子をぼふんと閉じて、夏海は恨めしげな視線を彼らに送る。
 士達ほどではないとは言え、彼女の額からも滲み出した汗が珠となり、顎を伝って床に落ちていく。
 汗がべたついて気持ち悪いのだが、それを改善する手段が、今のところ存在しない。恐らくシャワーを浴びても一時しのぎにしかならないだろう。
 こんな暑い……それこそ業者にとっては掻き入れ時とも言える時期であるにも関わらず、エアコンの修理業者が揃いも揃って社員旅行に出ているなど……正直、「そんな話があるのか?」と疑いたくなる。疑いたくなるのだが、現実として起こっているのだから仕方がない。
 夏海の答えに、ユウスケが小さく「嘘だろぉ」と呟いていたが、それは夏海が言いたい台詞だ。
 時刻は正午を少し過ぎたところ。暑さのピークはまさにこれからという時に、エアコンは突然断末魔の悲鳴をあげて黒煙を吐き出したのだ。
 幸いにも大事には到らなかったが、どこかの基板が壊れたのか、それ以降何をしても反応はなく、ただのオブジェと化してしまった。
 太陽が無駄に頑張っているせいで、ホールの室温はあっと言う間に上昇し、ヒトの体温に近しい温度にまで達している。熱を孕んだ空気というのは、既に一種の凶器。普段なら元気に飛び回っているキバーラは早々に熱中症にかかり、今は水桶の中で静養中だ。
「この状況が一週間……!?」
「……悪夢だ」
 悲鳴じみたユウスケと士の声に、夏海も反射的に首を縦に振って同意する。
 今日だけならまだ我慢しようと言う気も起きるが、「これ」が一週間も続くとなるとそうはいかない。暑さは正常な判断を失わせ、人を愚考へと導く習性がある。
「……その業者の連中、大ショッカーの息でもかかっているんじゃないのか? この暑さで俺達を殺す作戦だ、多分な」
「あー……だったらその業者、倒しておかないとなー。あるいはこの異常気象こそ、大ショッカーの作戦だったりして」
「二人共、何を言ってるんですか」
「ナツミカン、お前は知らないだろうがな。世の中に起こる不可思議現象の大半は大ショッカーの仕業と言う、『ゴルゴムの法則』ってのがあるんだ」
「初耳です、そんなの。そもそも何ですかその『ゴルゴムの法則』って」
 本格的に訳の分らない事を言い始めた士とユウスケに、今はまだまともに頭が働いているらしい夏海が呆れ顔でツッコミを入れる。
 とは言え、この暑さだ。彼女としてもそれを誰かの……それこそ大ショッカーのせいにでもして八つ当たりをしたい気持ちはある。
 そんな、若干剣呑な雰囲気が漂い始めた中。今まで姿が見えなかったこの写真館の主、光栄次郎が、大きなダンボールを抱えてひょこひょことそれをホールに運び込んだ。
 そうかと思えば、彼はその箱を開けて、中に入っていた「部品」をせっせと取り出し始めた。
「……何やってるんだ、爺さん」
 士の声に、栄次郎は取り出した「何か」についた埃を雑巾で拭き取りながら、好々爺然とした笑みを返す。
 ……何故だろう。他の面々よりも動いているはずなのに、彼の額には汗の珠一つ浮いていない。まさに「涼しげな顔」をしているのは。
 てきぱきと埃を拭い、そして「それ」を組み立てながら、栄次郎は楽しげな声で答えを返した。
「見て分らないかい? 扇風機を組み立てているんだよ」
 言われ、士とユウスケは、それまで椅子と半ば同化していた体を起こしてそれを見やる。
 組みあがっていくそれは、確かに栄次郎の言う通り扇風機だ。プラスチックで出来た三枚の羽に、それを覆うようにして網……というか柵のようなカバーが被せられる。
 一般家庭にある物よりもやや大きめのそれは、おそらくこの部屋でかつて使われていた物なのだろう。デザインこそ少々古臭いところはあるが、栄次郎によって組み上げられたそれは、まだまだ現役のように思えた。
 実際、まだ使えるからこそこうやって栄次郎が引っ張り出してきたのだろう。プラグを挿し込み、スイッチを入れると、最初はゆっくりと……しかし徐々に早く、羽が回転を始めた。
 栄次郎はそれを満足気に見つめると、拭くのに使った雑巾を洗いにどこかへ消えてしまう。
 エアコンのように空気の温度を下げる物ではないが、風が起きる事で体感的には涼しさを感じる。
 その風の源に誘われたのか、ユウスケはフラフラと体を進め……
「あ゙ー」
 回る羽に向って彼は無意味に声をあげた。声は羽に切られ、反射し、奇妙な音に変換されて扇風機の向こう側にいる夏海とこちら側にいる士にも届く。
 そんな彼を呆れ顔で見つめながら、士はやれやれと溜息を吐きながらユウスケに向って言葉を投げた。
「……正面を陣取って何を馬鹿な事やってるんだ、ユウスケ」
「ああ、いや。条件反射って言うか? 扇風機が回ってるのを見てるとさ、やりたくならないか?」
「子供か、お前は」
 そう言いながらも、士は扇風機の恩恵に与るべくユウスケの体を少しだけ脇に退かし、自身もまた扇風機の前にどっかりと腰を下ろした。
 送られてくる風のお陰か、汗は引いて先程よりは思考も少しはっきりしてきたように感じる。
 はたはたと羽越しに見える景色は、陽炎の揺らめきとは異なる揺らめきがあり、これもまた「士の写真」を髣髴とさせる。
 そんなふうに思いながら、ユウスケは何気なしに「向こう側」にいる夏海に視線を向ければ、色のついた羽越しに、どこか物憂げな表情でこちらを見つめる彼女の姿があった。
「? どうしたの、夏海ちゃん?」
「いえ。なんか、扇風機越しに景色を見ていたら……現実味がないなって」
 言いながら、彼女はゆっくりと扇風機に近付き、そこに顔を寄せる。
 ただし、士達のいる「風が来る側」ではない。その反対方向……「風を送る側」に。そしてそっと羽から守る為の網に掌を当てると、彼女はぼんやりとした顔で言葉を続けた。
「近いような、遠いような。つながっているような、途切れているような。そして囚われているような、捕えたような……何だか、扇風機の向こう側が……士君とユウスケの姿が、幻みたいに思えてしまって」
「夏海ちゃん……」
 たかが扇風機一つ。だが、その「たかが」が大きな隔たりのように見えた。
 色の付いた羽越しに見える景色は、近いはずなのに遠くに見える。くるくる回る羽が、景色を細かく刻んでいるように思える。そして何より、今触れている網が、囚人を捕える格子のように感じる。
 手を伸ばしても届かない。今すぐにでも二人が消えてしまいそうな錯覚に陥り、夏海は軽く目を伏せる。
 この感覚には、覚えがある。彼女がかつて見た「悪夢」……「ライダー大戦」の景色と似て非なる光景を「夢」とした見た時の感覚に似ていた。
 あの夢の時も、近いような遠いような、つながっているような途切れているような、そして……囚われたような捕えたような、不思議な感覚があったのを覚えている。
 こんな風に感じてしまうのは、夏の暑さのせいだろうか。
 そんな事を考えながら、夏海は「向こう側」の士達をぼんやりと眺める。
 ……そんな彼女に何を思ったのか、士は一瞬呆れたような視線を夏海に送り……
「あ゙ー」
 唐突に、先程ユウスケがやっていたのと同じように、扇風機の羽に向って声を投げた。
 パタパタと回る羽に切られ、断続的に聞こえる士の声に、夏海はぎょっとしたように目を見開く。
「つ、士君!?」
「ああ、偶には悪くないな。こうやって『馬鹿な事』をやってみるのも」
 驚く夏海に対し、士はニヤリと不敵に笑う。その隣では、ユウスケがにこやかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「ナツミカン、お前は今、暑さで頭がボケてるんだろ。……まあ、いつもボケているって話もあるが」
「…………失礼ですね」
「よく見ろ。俺は……俺達は、ここにいる」
 そう言って、士とユウスケはすっくと立ち上がる。
 たったそれだけの事で、それまで扇風機の羽越しでぼやけて見えていた顔が、はっきりとした輪郭を持って見えた。
「夏海ちゃんもこっちに来て、一緒に涼まない? そこじゃ暑いでしょ?」
「ユウスケ……」
 おいで、と招くユウスケに誘われるように、夏海は扇風機の「後ろ」から「前」へ回り込む。
 「送る側」から「送られる側」に回りこんだ事で、夏海の体に心地良い空気がぶつかった。
「涼しい……」
「下らない考えも吹き飛んだか?」
「……はい」
――遠いと思ったなら、近付けば良いだけですよね――
 言葉にはせず、夏海は心の内でのみ呟きを落とすと、口元に朗らかな笑みを浮かべてその場にしゃがみ込み……
「あ゙ー」
 彼女もまた扇風機が送り出す風に向って、声を投げたのであった。

 ……それは、ある暑い日の、平穏な一コマ……


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出展は「仮面ライダーディケイド」。
辰巳が夏海ちゃんを書くとネガティブモード全開になるのは何故なんだろう。それは恐らく、辰巳が根っからのネガティブさんだからに違いない (黙れ)。
そして扇風機の前で「あ゙ー」は、誰しもやった事がある……はず! 最近はエアコンが主流ですが、扇風機だってまだまだ現役だ!!
って言うか夏場に修理業者がいなくなるとか、そもそも根本の設定が無理。いや、そこも恐らくは「ゴルゴムの法則」が働いt (何者かによる襲撃)。
身の回りの物も、ちょっと見方を変えると不可思議ワールドへの入り口に早変わりって事で一つ (無理矢理!?)
と言う訳で、お題その六、「扇風機」。団扇じゃなかっただけありがたい。
……残り、四十四題……


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