クロスシリーズ

□過去の希望、未来の遺産
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【閑話:依頼、元オーナーから】



「おや?」
 いつもの如く旗の立ったプリンを食べていたオーナーが、食堂車に入ってきた女性を見て声をあげた。
 オーナーの反応からすると、彼の知り合いらしいが……ナオミには見覚えがない。
 限りなく白に近い銀髪は腰まで伸びており、その髪色に合わせるかのような白のパンツスーツ姿。キリとした表情と言えば聞こえは良いが、はっきり言ってしまえば無愛想だ。
「コーヒー、いかがですか?」
「……貰う」
 ナオミのにこやかな呼びかけに、女性は淡々と答える。
 笑顔の可愛いナオミとは対照的に、笑うと言う事を忘れてしまっているかの表情。
 一度見ていれば、間違いなく記憶に残る美女であるが、ぴりぴりした雰囲気と無愛想さのためにその魅力が半減している。
 ひょっとすると、ただ無愛想に見えてしまうだけなのかも知れないが、第一印象としてはあまりよろしくはない。
「珍しいですねぇ。貴女がここにいらっしゃるなんて」
「少々お前に手伝って欲しい事ができたのでな」
 彼女は無表情のままオーナーに言いつつ、窓側の席からその外を眺めた。
 視界の先に広がる光景は、時の砂漠と線路のつながらぬ無数のトンネル。それを見て、彼女の眉間に寄っている皺が更に深くなる。
「……トンネルの数が増えているな」
「今、この列車の乗客に調査をお願いしているところです」
 溜息混じりに放たれた、問いにも似た言葉に、オーナーもプリンから……正確にはそこに立っている旗から目を離さずに声を返す。
 彼女の方はそんなオーナーを気にする様子も見せず、窓から見える一番大きなトンネルに視線を注ぎ続けている。
 そのトンネルは、どの路線ともつながっていない。ナオミもここ最近になって急に大きくなったその存在を、少々不気味に感じていた。
 ……まるで、この「時間の中」さえも飲み込もうとしているかのような、そのトンネルに。
「まずは『こちら側』の西暦二〇〇五年一月から、か。随分と持って回った事をする」
「彼らにはその少し前の時間から調査してもらっています」
 トンネルの入り口は、この時間で言う二〇〇五年一月二十三日に限りなく近い所に存在している。
 彼女はそれを知っていて、そう言ったのだろうか。
「……それにしても『月の子』らに行かせるとは。随分と思い切ったことをする」
「意外、ですか?」
「いや、適任だろうな。実際に、私の知る歴史とほぼ変わりなく動いている」
「モモタロス君が烏丸さんを助ける事も……?」
 そっとプリンを救い上げながらオーナーが言った瞬間、薄くではあるが彼女の口の端に笑みが浮く。
 だからと言って優しいとは言い難い。どちらかと言えば不敵と言う表現の似合う表情だ。
「烏丸啓が死ぬのは二〇〇四年ではないからな。時間そのものが、もっとも自然な流れとなるべく彼らを引き合わせたんだろう」
「では、ジーク君がケルベロス……いえ、天王路さんを弱らせたのも、起こるべくして起こった事だと?」
「そうだろうな。天王路博史はあの場でヒトの姿に戻る。……ケルベロスの姿のまま、橘朔也達を追いかける事はない」
 まるで全てを……モモタロス達の行動も、そしてその先の未来をも見通しているかのように、彼女はオーナーに言葉を返す。
 確かに、西暦二〇〇八年からすれば、二〇〇四年に起こっている事は「過去」の出来事であり、知っていてもおかしくはないのだが……
 それにしても詳しすぎる、とナオミは感じていた。だが、オーナーの方は彼女が知っていて当然とでも思っているのだろうか。特に怪しむ雰囲気もなく、ただいつも通り飄々とスプーンを掬い上げては口元へと運んでいる。
「それで……私に頼み事、でしたねぇ」
「そうだ。『月の子』と『皇帝の愛娘』に、この時間を見せて欲しい。そうだな、ギラファが封印された後で良い」
 そう言うと、彼女はオーナーの目の前に立ち、二枚のチケットを差し出した。
 日付は二〇〇五年一月二十三日の物と、二〇〇八年四月十八日の物。だが、チケットにはその日付の他に、何かを捕えるような鎖の絵が描かれてはいるが、その鎖の奥には何もいない。
「これは?」
「今回の歴史で『選ばれなかった時間』……そこへ向かう事が出来るチケットだ」
「『選ばれなかった時間』……つまり、あのトンネルの向こう、ですか」
 その言葉で、ようやくプリンから大きく口を開けたトンネルに視線を向けなおし、オーナーは珍しく驚嘆したように言う。
 それだけ、彼女の渡したチケットの特異性が高いと言う事なのか。
「壁の向こうは、異なる時空……異世界のような物。そこに関する記憶がない限り、そんな場所へ向かうチケットがあるとは思えないのですがねぇ」
「フン。私を誰だと思っている。それに、事実そこには正規のチケットとして存在しているだろう?」
 言われても、まだ不審そうな表情を崩さないオーナー。しかし彼女は全く気に来ていない様子で先程まで座っていた座席に戻り、視線をトンネルの方に向け直した。
 憤怒、懐古、悲哀……そう言った感情を視線に混ぜて。
「お待たせしました。コーヒーどうぞ〜」
「すまんな」
 普通の人間なら一瞬でドン引きできる、カラフルなクリームの乗ったコーヒーを差し出されても、彼女は特に驚いた様子もなくそれを眺める。
 ……眺めるだけで、口をつける事に関しては躊躇っているようだが。
「しかし……これは本来、貴女が動く事ではないはずです。統制者が動けば良いのでは?」
 そろそろ倒れそうなプリンの旗と格闘しつつ、オーナーは彼女に問う。
「残念な事に、モノリスを通じた干渉は封じられている。故に統制者……陛下ではなく、その下僕である私が動くしかない」
「それはまた、異例な事ですねえ」
「そう、今回の歴史は異例な事だらけだ。ほぼ全てのアンデッドが『彼の者』に支配されてしまっている上に、支配された達はその事に気付いていない」
 この時初めて、彼女の表情があからさまに変化した。先程までの薄い変化とは明らかに異なる。
 眉根を寄せ、心の底から不快そうな表情に変わる。まるで、憎い相手を目の前にしたかのようなその顔。その感情が周囲の空気にも伝わって、そこだけ気温が下がったようにすら感じられた。
「それに、常に『他者』からの干渉を受けるなど、今までにはなかった事だ」
 ようやくコーヒーを一口含んだ後、彼女はまたトンネルへと視線を向けた。いや、向けたと言うのは正しくない。カップから視線を反らした先が、偶々トンネルだったと言うべきか。
 コーヒーの味に関して、特に感想はなさそうであるが……それ以上カップに口を付けない所を見ると、彼女の味覚には合わなかったのかも知れない。口元を押さえ、うろうろと視線が彷徨っているのは、吐き出すか吐き出すまいか迷っている証拠だろう。
 ……線路のつながっていない、無数のトンネル。その中でも一際大きい二〇〇五年一月のもの。
「あのトンネル……この時間を、飲み込もうとしてるんですかね?」
 つい口をついて出てしまったナオミの問いに、彼女は初めてナオミの方を向いた。口の中のコーヒーをようやく嚥下できたのか、ふと口の端で軽く笑い……
「それは違うな。あれが飲み下したいのは時間ではない」
「じゃあ、何なんですか?」
「この世界、その物だ」
 それが当たり前だと言わんばかりに、彼女はあっさりとそう言った。
 世界その物を飲み下そうとするトンネル。それが何を意味するのかは理解しにくいが、とんでもない事なのだろうと言うのは本能的に理解出来る。
 時間の中だけでなく、時間の外……「今、起こっている事」までもを飲み下し、変える。それは大規模な時間の変換と同じなのではなかろうか。
「まあ、そうはさせないための私なのだがな」
「……笑うと綺麗なんですから、怒った顔は勿体ないですよ」
「そうか? 自分では意識していないのだがな。とは言え、この顔もこれで固定されているような物だからな……今更表情筋を鍛えるのも難しかろう」
 ナオミに言われ、彼女は困ったように声を返す。
 その声に、ナオミは彼女の頬を摘み、無理矢理その顔を笑みの形へと変形させる。ナオミの中から、最初に抱いた「怖そうな女の人」という印象が消え、どことなく可愛さすら感じられる「不器用な女の人」と言う印象に置き換わる。
 最初に見たあの無愛想な表情は、ひょっとすると真剣に物事を考えていたからなのかもしれない。
 それに、トンネルの事を快く思っていないようだ。嫌いな物が目の前に沢山あったら、誰だって不機嫌になるだろう。きっと、最初の表情はそのせいだ。
「……そろそろ、相川始が目を覚ます頃だな」
 ナオミの手をそっと外すと、彼女は自身の腕時計を見つめてそう呟いた。
 時の中にいるにも関らず、何故そんな事が分かるのか……そもそも、彼女はどうしてその事を知っているのか。その時間、その場所にいなければ分からないはずなのに。
「……では、頼んだぞ。私は次の準備がある」
「次、ですか」
「そう、次だ。奪われた『自己』の奪還、破壊された『石』の修繕、現在に残る『未来の遺産』の回収、消し去られた『記憶』の修復。それらを同時にせねばならん。……あの連中がサボらなければ、私とてこれ程苦労せんものを」
「人の記憶を修復するなど、おこがましい事では……?」
 オーナーの言葉に、彼女は一瞬寂しそうに笑い……
「フン。承知の上だ。だが全ての咎は『彼の者達』を止められなかった自分にある。彼らが受けるべき罰はない」
「傲慢ですねぇ」
「それが私だ」
 堂々と言い放つと同時に、彼女は席を立つ。
 その顔に、不安や迷いはない。むしろ慈愛に満ちた笑みさえ浮かべている。
「消えなければ、また来る」
「……またのご利用を、お待ちしております」
 オーナーに言われ……小さく笑って、彼女はデンライナーの停車とほぼ同時に時の中に降り立った。
 その堂々とした後姿が、一瞬だけ異形の者のように見えたのは……ナオミの気のせいだったのだろうか……


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