妄想特撮シリーズ

□恋已 〜こいやみ〜
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 「あの日」……ミホの姉であるミキさんが亡くなったと知らされたその日の事を、今でも鮮明に覚えている。
 兄貴の様子がある程度落ち着いて、そしてその兄貴本人から、ミホの様子を見に行ってやってくれと頼まれた。
 確かに、ミホにとってミキさんはたった一人の肉親だ。いくら生意気で気が強いと言っても、肉親を失ってしまったのだから、そのショックは兄貴と同等、もしくはそれ以上だろう。
 きっと、目が溶けるんじゃないかと思えるくらいに泣いているに違いない。意味を持たない言葉を嗚咽と共に口から吐き出して悲しんでいるだろう。俺の兄貴が、そんな風に悲しんでいるように。
 そんな風に、ある程度予測を立ててからミホの元へ向かった。
 ミキさんの訃報が届いたのは午前中、兄貴を宥めるのに約半日。ミホの元に着いた時には既に日は落ち、濃紺の闇と血色の夕日が混ざり合って、空の色を奇妙なグラデーションに染め上げていた頃だった。
 チャイムを鳴らす。だが、反応はない。微かだが人の気配はするから、いるけど反応しないってところか。
 ……そりゃあそうだろう、と思う。兄貴だって同じだった。今は少し安定したが、それは多分、近くに俺という「他人」がいたからだ。
 他人がいれば、どんなに悲しくても慰められてしまう。
 専門分野じゃないからよく分からないが、人間の体温に安堵を覚えるのだと聞いたことがある。無条件に慰められる訳じゃないとは思うし、兄貴の悲しみは俺程度でどうにかできるものではないとは分かっているが、それでも多少は和らげることが出来たと思っている。
 ミホにも同じことが言えるとは限らないが、それでも誰も側にいない状況よりは幾分かマシだろう。気の強いあいつの事だ、誰かがいれば虚勢を張って空元気でも出すだろう。
 ……可愛げは限りなく皆無に近いが、それでも俺にとっては妹みたいな奴だ。それが悲しんでいる姿は、正直見たくない。
 思いつつ、俺は兄貴から借りていた合鍵を使って家の中へ上り込む。
 不法侵入と言うなかれ。ミホに万が一の事があったら……と言う考えもある。いわば、「緊急措置」だ。
 と、自分に言い訳しつつ、静まり返った廊下を見渡す。
 人の気配はある。多分、リビングの方だ。
 だが、音がない。兄貴の様に泣いているとばかり思っていたから、嗚咽や啜り泣きくらいは聞こえると思っていたんだが……
 ……まさか、あいつ……後追いとか考えてないだろうな?
 あまりの静けさに、頭の隅に嫌な予想が過る。
 シスコンと呼んで差支えない程度にミキさんの事を大切にしていたミホの事だ。その可能性がない訳じゃない。
 不安を感じながら、俺はリビングに足を踏み入れた。
 その瞬間、俺の目に映ったのは、電話の前に座り込み、呆然と宙を見上げているミホの姿だった。
 薄暗い中で電気もつけず、ただそこでじっとしているだけ。いつからその状態なのかは容易に想像がつく。ただ……もし、本当に、電話を受けてからずっとその状態だったのだとしたら。
 朝から何も飲まず食わずで、ずっとここに座っていたって事か?
「ミホ……?」
 固まったまま、本当に生きているのか不安になった俺は、軽く彼女の体を揺する。
 ずっと床に座り込んでいたせいか、体はすっかり冷えてしまっているが、一応体温は感じられる。薄闇の中で目を凝らせば、水分不足からか唇が乾燥してささくれ立っているのが見える。
 生きている事に安堵するが、俺の事なんて目に入っていないらしく、これと言った反応がない。ひょっとすると、揺さぶられた事にも気付いていないんじゃないか?
「おい、ミホ!」
 今度はさっきよりも強めに揺する。それでやっと、俺の存在を認識したらしい。それまで一点にとどまっていた視線が、ゆっくりと……本当に緩慢な動きで俺へと向けられた。
「…………あんじ?」
 唇同様、口内も乾ききっているのだろうか。かすれた声で俺の名を呼ぶと、ミホは相変わらず緩慢な動きで室内をぐるりと見渡し、そして再び俺に視線を向け直す。
 その顔に、感情らしいものは見えない。
 アンティークドールの様な、形容しがたい表情が浮かんでいるだけだ。
 そんな顔のまま、ミホは何を思ったのか立ち上がろうとして……しかし半日以上飲まず食わずでいた影響からか、がくりと再びその場に座り込んでしまった。
「あれ?」
「馬鹿、無理するな! とりあえず水持ってきてやるから、そこで待ってろ!」
 立てない事に対して不思議そうに……だが無表情のまま首を傾げたミホに返しつつ、俺は急いで台所に向かう。
 コップに水を注ぎ、ついでに部屋の明かりをつけてからミホに差し出すと、彼女はノロノロとそれを受け取って口元に運んだ。
 条件反射だったのかもしれないが、それでも水を受け取ったと言う事は、生きる意志があると言う事だ。
 その事に軽く安堵しつつ、もう一度台所へ向かう。水だけじゃなく、何か食べさせた方が良いと判断したからだ。
 食材をあさろうと冷蔵庫を開け……そして、中に入っていた「すでに出来上がっていた料理」を見つけて眉を顰めた。
 多分、それはミキさんへの夕食だったのだろう。ラップのかけられた料理の皿と、その上に乗っている簡単なメッセージ。

――おかえりなさい。遅くまでお仕事お疲れ様。何も食べてないなら、これをレンジで温めて食べてね〜 byミホ――

 それを見た瞬間の衝撃は、ちょっと表現しきれない。
 これを書いていた時のミホは、恐らく「いつもより少し遅い」程度にしか思っていなかったはずだ。朝になれば、また「いつもと同じ朝」が来ると、疑ってすらいなかっただろう。
 それは俺も同じだ。まさか、ミキさんが亡くなるなんて……殺されるなんて、考えてもいなかった。兄貴と結ばれて、これからもっと幸せになるんだって、そう思っていた。
 胸の内に湧き上がる、ざらつくような感覚に気付かないふりをしつつ、俺は冷蔵庫の中の材料を使って大雑把な炒飯を作った。
 流石に、ミキさんに宛てた料理に手を付けるのは憚られたし……何より、今のミホにそれを見せるのは良くないような気がしたからだ。
 立てないミホを強引に立たせて食卓の椅子に座らせ、その眼前に先程作った炒飯を置く。
「……食べろ」
「でも……」
「食べないなら、無理矢理その口に放り込む」
 自分でも、強引過ぎると思う。だが、今のミホにはこれくらいしないといけない気がした。実際、こうでもしなけりゃ、こいつは何も口にしなかっただろう。
 ミホも、今の俺が本気である事に気付いたらしく、一瞬だけ躊躇しつつも結局はその炒飯に箸をつけた。ただ、相変わらず緩慢な動きではあったが……でもまあ、食べないよりはマシだろう。
 ほう、と安堵の溜息を吐き出し、炒飯を口の中へ運ぶ様を見る。
 無表情に、淡々と。いつもなら文句の一つや二つ出てくるはずだが、今日は何も言わず、ちまちまと米粒を口の中へ運んで行く。
 そして唐突に、彼女は炒飯に視線を落としたまま、俺に向かって口を開いた。
「……あんじ」
「ん?」
「ねえさん、おそいわね」
「っ! お前……」
 一瞬、何を言っているのか分からなかった。
 訃報を聞いていないとは思えない。
 じゃあ、何でそんな事を言ったのか。
 ……これは、俺の憶測だが。ショックが大きすぎて、一時的に記憶が混乱しているんじゃないだろうか。あるいは、告げられたミキさんの死を、受け入れられていないか。
 何と言っていいか分からず、ただ口をまごつかせるだけの俺に。
 ミホは、今まで以上に緩慢な動きで顔を向け…………
「ゆうべからかえってきてないのよ。……いそがしいのよね、きっと」
 その言葉と同時に、彼女の右の瞳から一筋だけ、涙が流れ落ちた。
 ……ああ、そうか。こいつは、受け入れられていない訳じゃない。記憶が混乱している訳でもない。ただ、ショックが大きすぎて、「いなくなってしまった」と……「死んでしまった」と言葉にしてしまうのが怖いだけなんだ。
 その感覚なら、俺にも覚えがある。両親が亡くなった時、頭では理解していても、口にしたらいけないような気がして……結局、両親の「死」を口に出せたのは、二人の葬儀が終わってから数か月も後だった。
 でも、口に出せないからこそ……悲しみも表に出す事が出来ないんじゃないか?
 誰かが代わりに言ってやらなきゃ、こいつは泣けないんじゃないか?
 だけど、こいつにはもう、それを言ってくれる人間が……守ってくれる人間が、いないんだ。
 ……それを理解した瞬間、俺は不覚にも……そして不謹慎にも、そんなあいつを可愛いと、愛おしいと思ってしまった。


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