キリリク

□家族
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 賑やかな音楽。人々の喧騒。そして時折聞こえる「楽しい」悲鳴。
 それらを聞き流しながら、俺……灰猫弓は深い溜息を吐き出した。
「……平日なのに、しかも朝一番の時間だっつーのに……混んでるな」
「ですね」
 自分でも分るほどうんざりした声に、隣に立っていた女性、彩塔硝子さんも苦笑いで言葉を返す。
 そんな俺達とは対照的に、彩塔さんの足元にじゃれ付いていた幼稚園児、吾妻霧雨だけは、煌びやかなこの場所に興奮しているようで、目をキラキラと輝かせている。
 多分、彩塔さんが手を離したら、あっと言う間に駆け出し、即刻迷子になるんじゃなかろーか。
 思いながらも俺はちらりと霧雨に視線を送る。すると彼女は、心底嬉しそうににっこりと笑って俺を見上げた。
「弓にーちゃ、ねずみさん!」
「……あそこにいる某ヒゲの土管工と似たよーな格好したネズミは、世界一有名なネズミなんだぞー」
「前半の表現を聞くと、愛らしさが一気に急降下しますね。そしてそう見えてしまうから不思議です」
 「きぐるみ」という概念がない素直な霧雨は、俺達の視線の先で手を振っている世界的魔法ネズミに手を振り返し、彩塔さんは俺の言葉に再度苦笑を浮かべる。
 とは言え、霧雨の方は気にしていない……というより分っていないのか、軽く首を傾げて俺と彩塔さんを交互に見つめ、しかしすぐさま遠目に見える西洋風の青い屋根の城へと注意を注いでいた。
 そんな彼女に、彩塔さんは入り口近辺の売店で買った「ネズミ耳付きのピンクの帽子」を被せ……
「……良かったですね、霧雨さん。遊園地に来る事ができて」
「ん!」
 嬉しそうに笑いながら、霧雨は彩塔さんの言葉にこくりと頷いたのだった。


 「夢の国」を謳うこのアミューズメントパークに来たのは、ほんの些細なきっかけだった。
 偶然にも商店街の福引で、ここの親子チケットを当てたのだ。
 普段の俺なら、こんな物が当たっても使わない。というか、一緒に行く相手もいないし、そもそも行く体力がない。まあせいぜい金券ショップへ持って行って臨時の小遣いにする程度だ。
 だが、今回は違った。俺の体力は物磁さん達から渡された指輪のお陰なのか、最近はすこぶる調子が良いし、親子チケットなら霧雨を連れて行けば良い。たまには遠出をするのも悪くない。
 そこまで思って……思い出した。
 ……霧雨の両親が亡くなる直前に残していた言葉を。
 だから、なのだろうか。普段では決して考えられない程にやる気になった俺は、霧雨に「家族として」このアミューズメントパークに遊びに行く事を提案。それなら彩塔さんも一緒に、という話の流れになり、今に至る。
 休日よりは平日が良かろうと言う事で、霧雨の幼稚園の創立記念日である今日を選び、彩塔さんも仕事を入れず、開園前から門前で待っていたのだが……
 開園三十分前の到着、というのは、「ここ」では(ぬる)かったらしい。やって来た時には、既にかなりの人間が並んでいた。
 自分の事を棚に上げ、世の中暇人が多いものだ。
 おまけに開園と同時に皆、人気アトラクションに向って駆け出し、優先パスを奪い合っていた。
 その様子に、俺も彩塔さんも唖然としたもんだが……まあ、俺達が乗れるものなんてたかが知れている。然程焦りもせず、俺達は霧雨が乗れそうな乗り物を探していた。
 ジェットコースター類は、霧雨の身長の問題がある。霧雨本人は、これまでの……俺や彩塔さんに抱えられ、そのまま全力疾走とか言うのを経験しているから、怖くはないだろうが。
「ああ、あれはいかがです? のんびりしていそうですよ」
 そう言って彩塔さんが指したのは、やたら耳の大きな象の形の乗り物が上下しながらくるくる回っている乗り物だった。
 確かに、あれなら平気だろう。実際、霧雨よりも小さな子供が乗っているし。
「霧雨、どうす……」
 どうする、と聞こうと思ったが……どうも愚問だったらしい。
 彼女は目をキラキラさせて、宙をギコギコ泳いでいるその象をじっと見つめていた。
 籠は二人乗りなので、俺は搭乗を丁重に断り、近くのベンチに腰掛けて二人を見送る。
 ……しかし、アレだな。こうしてみると、何と言うか……あの二人、本当の親子みたいだな。
――いや、お前も充分親子演出に貢献してるから――
 今日は大人しいと思っていたアッシュが、唐突に声をかける。どうやらこいつなりに気を遣っていたらしい。
 まあ確かに、親子チケットで入っている訳だし、そう見えないと困るっちゃあ困る訳だが。
 だが、実際の所は何のつながりもない赤の他人。それどころか、種族さえ違う。彼女達と俺では、生きる時間が違う。
 そう言った面で、やはりどこかで線引きしている部分はある……と、俺は思っている。
 彼女達はこの先何十年、何百年と生きていくであろう存在だ。対照的に俺は、いつ消えるか分らない。
 霧雨と彩塔さんを乗せた象型の籠が、緩やかに上昇と下降を繰り返しているのをぼんやりと見やりながらそんな事を考えていると、俺の姿を見つけたのか、霧雨が心底楽しそうな笑顔でこちらに手を振った。
 反射的に俺も笑みを浮かべ、手を振り返す。
 ……と。
――あーっはっはっはっはっはっは! 何だかんだうじうじと考えてながら、結局「お父さん」やってるんじゃん!――
 頭の中で、アッシュの大爆笑が響く。そこで初めて、自分の行為が周りに居る他の「お父さん」と同じ物だと気付いた。
 笑うなアッシュ、これは……アレだ、条件反射だ!
――条件反射でその行動が出るって事は、やっぱり立派な「お父さん」じゃねえか! 誰が見たって「良いお父さん」にしか見えないぜ! あーっはっはっはっはっはっは!!――
 こっちの言い訳にも大爆笑と共に言葉を返すアッシュ。
 ……多分こいつが実体を持っていたら、腹を抱えて地面を転げまわっていた事だろう。実体のない、「記憶」その物という存在だから、本当はどうなのかよく分らないが。
 頭の中で響くアッシュの声を無視……しきれないが取り敢えず聞き流しつつ、しかし何もしていないとアッシュに更に絡まれそうな気がするので、適当に周囲を見回し……
「お」
 甘ったるい匂いを撒き散らす移動屋台を発見。少し小腹が空いた事もあって、俺はそこで売っている細長いチュロスを三本買ってベンチへ戻る。
 俺だけ「腹が減ったから」という理由で食べるのも、どうかと思う。こういう場では、皆で食べるのが良いと思うし。
 いや、彩塔さん達にとって、チュロスが腹の足しにならないのは知ってるんだけどな。でもまあ、嗜好品みたいな物とは言っていたし、食べられない訳ではないはずだ。むしろ彼女、甘いものは好きみたいだし。
 等と、自分でもどこと無く言い訳がましいと思えるような事を考えながら、俺は籠から降りてきた二人に向かって、軽く手を振る。
 同時に、俺の姿に気付いたらしい。彩塔さんはほんの少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべると、霧雨の手を引いて歩み寄って来た。
「すみません。お待たせしました」
「ただいまなのー」
「お帰り。楽しかったか?」
「ん」
 チュロスを持っていない方の手で、軽く霧雨を撫でてやると、彼女は嬉しそうに目を細める。
 一方で彩塔さんは、手の中にあるチュロスに気付いたのか、不思議そうに首を傾げ……
「あの、それは?」
「ああ。そこで売ってた。そろそろ腹も減っただろうと思ってさ。と言っても、腹の足しにはならないかも知れないけど、まあ形だけでも?」
 彼女の問いに言い訳がましく答えつつ、俺は手の中のチュロスを彩塔さんと霧雨に手渡す。
 買った時も作りたてだったのか、まだほんのりと温かいそれを受け取ると、二人は嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
 それを見て、俺の顔も無意識の内に緩む。折角の遊園地だ、二人には楽しんでもらいたい。
 そんな事を思っていると、全くの見ず知らずの女性がこっちを見てふわりと笑い……
「あら、良かったわね、お嬢ちゃん。優しいパパで」
「ん!」
 …………は?
 一瞬、何を言われたのか分らなかった。だが、当然理解をしてしまう訳で。
「違……」
 違う、と否定しようと口を開いた時には既に遅し。先程の女性は人混みに紛れてどこかへ姿を消してしまっていた。
 こういう場所は、「同じ場所にいる」という仲間意識でも生まれるのか、妙に誰しもがフレンドリーになる。恐らく先の女性もそうなのだろう。だから、霧雨を見て、近所の子供に接するように接した。その結果、偶然にもチュロスを渡している俺の姿を見て、霧雨の父親だと判断したのだろう。
 ……だがしかし。
「……俺はパパじゃねえ」
「でも、先程の姿は、まるで本当の父親のようで、微笑ましかったですよ?」
「彩塔さんまでそんな事を」
「さて、それでは霧雨さん。困っている『パパ』と一緒に、次に行きましょうか?」
「ん!」
 眉間に皺を寄せ、半ば唸るように言葉を紡ぐ俺とは対照的に、彩塔さんは妙に楽しそうな声でそう言うと、彼女の言う「次」に向って歩き始めた。
 …………彼女は分っているんだろうか。俺が「パパ」なら、彼女は……
 何と言うか、気恥ずかしさと人の熱気で軽く紅潮した顔を押さえ、思わず俺はその場に立ち尽くす。
 それを訝しく思ったのか、彩塔さんは少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべて呼びかける。
「どうかしたんですか? ……『パパ』?」
「ぱぱー?」
 わざとらしく強調するように言った彩塔さんとは対照的に、霧雨はごく自然に俺を「パパ」と呼んだ。
 いや、勿論それは彩塔さんにそう言うように促されたってのもあるんだろうが……あ、ヤバイ。顔がニヤケてきた。
 アッシュや他人に言われるとめいっぱい否定したいのに、霧雨や彩塔さんに言われると、何かこう……嬉しいのが半分、くすぐったいのが半分、みたいな感じに陥るのは何故だ。
――オレや他人に言われて否定したがるのは、一種の照れ隠しだろ。って言うか惚気るとかウゼェ――
 誰が惚気て……いるかもしれない。うん、テンションが上がっている事は認めよう。そして、何故か彩塔さんに弄られている事も。
 だが、やられっぱなしというのは俺の性に合わない。ニヤケた表情を必死で引っ込め、彼女達の隣まで歩み寄る。そして、先ほど彩塔さんが見せたような、「意地の悪そうな笑み」を浮かべて……彼女に向って、言ってやった。
「別に、何でもないよ。…………『ママ』」
「…………マっ!?」
 ギョッと目を見開き、驚いたような表情で彼女は俺を見やる。多分、さっきまでの俺も同じような顔をしていたんだろうなぁと思わせるには充分な驚き……というか困惑っぷりだ。危うくチュロスが落ちかけた。
 そんな彼女にトドメを刺すように、俺は彼女の手から落ちかけたチュロスを支え、そのまま彼女の顔を覗き込むようにして更に言葉を紡ぐ。
「俺が『パパ』なら……そう言う事だろ? なあ霧雨?」
「おお、しょこちゃんは『まま』なのー」
 同意を求めた俺に従うように、これまた自然に霧雨は彩塔さんを「ママ」と呼んで笑いかける。
 その単語に、今度は彩塔さんが唸るような声を上げ、顔を背けてチュロスを齧った。足元では霧雨が、口の周りをシナモンパウダーだらけにしながら、彼女と同じようにチュロスを齧っている。
 そして、俺も。彼女達に倣う様にそれを一口齧った。
 ……「夢の国」に相応しい、甘ったるい味が口の中に広がる。普段なら甘すぎると感じるそれも、今だけは「美味い」と思う。
 それは多分……アミューズメントパークという「非日常」と、それがもたらした「仮初の家族」の関係のお陰だろう。
 そんな事を思いながら、俺達は霧雨を真中に、手をつないで歩くのだった。



――小噺・某ホーンデッドなマンションにて――

「霧雨さん、ここはお化け屋敷ですが……大丈夫ですか?」
「ん。ゴーストさんともおともだちになるのー」
「子供騙しの作り物アトラクションだろ。……俺やっぱ外で待ってるわ」
「またそんな夢のない事を。一緒に乗れるチャンスじゃないですか」
「…………歩くタイプじゃないから、目を瞑っていれば終わるか…………」
「? まさか灰猫さん、お化け屋敷苦手ですか?」
「そう言う訳じゃないし、作り物の方は怖くないんだけどさ……」
「??」
「弓にーちゃ、しょこちゃん、じゅんばんなのー」
「……どうか平穏に終わりますように」
「???」

 A few minutes later

「おもしろかったのー!」
「良かったですね。少々設定が甘かったのは気になりますが……って、灰猫さん? 顔色が悪いですけど?」
「…………だから嫌なんだよ、お化け屋敷」
「あ、やはり苦手だったんですね。しかし、そこまで怖くは無かっ……」
「そーじゃなくてっ! 彩塔さんは見えなかったのか!? ダンスのシーンの中、一人佇む武者鎧の男とか、ピアノのシーンで天井からぶら下がりつつこっち見てる貞○似の白襦袢の女とか、鏡のシーンでは霧雨と俺の手ぇ掴んで引き摺り下ろそうとするわ! あー言うアトラクションって、本物がわんさといるんだよぉぉぉっ! (涙目)」
「…………え゙」


猫は人間に見えない物が見えるって言うし




8765番「ある平凡な一日 ―平日―」


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