キリリク

□カイダン
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 どこかの公園。人の姿もまばらな深夜という時間帯。
 切れかけてチラチラと明滅を繰り返す電灯に照らされながら、一人の女性がブランコに座っていた。
 薄闇の中、口の端から血を流し、顔の左半分を道化のような仮面で覆っている姿は、如何に地の顔が愛らしかろうと恐怖を煽るだけだが、本人は然程それを気にしていないらしい。空に浮かぶ月を見上げながら、軽くブランコを揺らしている。
 その顔からは、何を考えているのか窺い知る事はできない。楽しそうに笑っているようにも見えるし、辛そうに顔を顰めているようにも見える。
 相反する二つの感情を面に浮かべながら、彼女がつまらなそうに一つ、溜息を吐き出した……その刹那。
「やあ。こんばんは」
 どこからか男の声が響き、彼女……クークは一瞬目を見開く。
 やや不気味な印象を抱かせる「闇の時間」である事もそうだが、自身の奇異な格好も自覚している。仮に誰かが通りがかったとしても、声をかける事などないだろうと思っていた。
 それだけではない。クークは基本、人の気配に敏い。しかしその彼女が、声をかけられるまで気付かなかったのだ。驚きに目を開くのは、至極当然の事だろう。
 ゆっくりと声のした方を向けば、そこにはまるで、闇から生まれたような黒衣に身を包んだ青年が、奇妙な笑顔を浮かべ、軽く自身の額に手を当てるような格好で立っていた。
 歳は二十代半ばから後半と言ったところか。その存在に見覚えはない。目を凝らさなければ、すぐにでも闇に溶けて消えそうな印象を抱きながら、クークはきょとんと目を開いたままその存在に向って声を返す。
「……キミ、誰? ボクに声をかけるなんて、随分な物好きだね」
「んっふっふ〜。何しろ、『白衣の変態』なんて呼ばれてるからね」
 グイと自身の口の端に流れる血を拭いつつ、皮肉混じりに言葉を放つクークに対し、男は軽く笑って声を返す。
――白衣なんて着てないと思うけど――
 一瞬、そうツッコミかけて……気付く。彼の右腕に掛けられた、白い上着の様な物に。恐らくは、彼が言う「白衣」なのだろう。随分とボロボロのように見えるが。
 訝しげな表情を向けるクークをものともせず、その青年は彼女の隣に並ぶブランコに腰掛けると、口を三日月の形に歪ませ、言葉を続けた。
「ねえ君、財団Xの人でしょ?」
「……って事は、キミも財団の人かな?」
 「誰だ」という問いには答えてもらえなかったが、そこは然程気にならないらしい。
 クークが「財団」に属する者だと知っていると言う事は、彼もまた「財団関係者」であると考えるのが自然だろう。
 何しろワールドワイドに展開する組織だ。「監査官」という、組織の中でもかなりの上位に属するクークとて、財団関係者の全員を把握している訳ではない。
 そう思って問うたのだが……相手はますます口の端を吊り上げると、軽く頭を振った。
「違うの?」
「違うね。むしろ財団をどうにかして潰せたら面白いかなぁ、なんて思っている方だよ」
「……それ、ボクに言っちゃって良いのかな? これでも財団の偉い人なんだけど、ボク」
 呆れたように言ってやると、相手はフフフと軽く笑う。
 その笑みに、クークは妙な苛立ちを感じた。
 顔は、笑っている。「目が笑っていない」と言う訳でもない。一見してごく普通の笑顔だ。
 だが、何故だろうか。妙にその笑みが空っぽのように見えるのは。そしてそれが、妙に苛立たしいのは。
 ひょっとして、馬鹿にされているのだろうか?
――いや、違う――
 浮かんだ考えは即座に否定できる。何故かは分らないが、彼の考えには確信が持てた。しかし、確信を持ちながらも、クークは軽く眉を顰め、苦笑めいた表情をつくって隣に座る男に向ける。
「何? ひょっとして、ボクが相手なら勝てる……とか思われてる?」
「んー、どうだろう? 勝てないかもしれないけど、負けもしないとは思う。……やってみる? それはそれで面白そうだ」
 どうする? と首を傾げながら問う相手に、クークは少しだけ考えて……そして答えを返す。
「……やめておく。キミと戦って勝った自分を想像出来ない」
「そう? 僕はどっちでも良かったんだけど……ま、『殺戮人形』の君が言うのなら、そうなのかも知れない」
 「殺戮人形」。その単語に、クークの纏う空気が剣呑な物に変わる。
 相手は、自分の事をどこまで知っているのだろう。「殺戮人形」……「Killing Doll」の呼び名は、クークの本来のシリーズ名。
 何も考えず、疑念も抱かず、ただ財団の指定する存在を殺すだけの操り人形。それが、クークの属する……いや、属するはずだった「Kシリーズ」の役割。だが、殺すだけの「使い捨ての駒」としての存在でいる事を、クークは拒んだ。
 実力の点においては「最高傑作」であるにもかかわらず、精神、身体の両面においては「欠陥品」と呼ばれる所以はそこにある。
 彼女には、財団に対する忠誠心が欠片もないのだ。
 それ故に、妄信的に財団につくす「Kシリーズ」……「殺戮人形」と呼ばれる事を、彼女はひどく嫌悪していた。
「あれ? なんか怒ってるって気がする」
「怒ってないよ。……不愉快なだけ」
 自分でも自覚できる程に低い声を出しながら、クークはじろりと相手の男を睨みつけた。
 相手はその視線に気付いたのか、わざとらしく肩を竦め、「怖い怖い」と呟くだけ。本当に怖がっている雰囲気は微塵もない。
 だが、何かに思い至ったのだろうか。唐突に彼はぽん、と手を叩き……
「でもそうか。君は多分、自分が『殺戮人形』である事を認めたくないんだ。僕が『未来を変えられない』事を認めたくないのと同じで」
「何それ」
 言われている事が分からず、クークは顰め面のまま相手に問う。
 すると相手は、ニィと口の端を歪めると、ヒィヒィとブランコの鎖を鳴らし……嗤いながら、口を開いた。
「君と僕は多分、同類なんだよ。イカレていて、それを認めるような言動をとっているのに……心の奥底では、否定したがっている。まだ、壊れてなんかいない、まだ『普通』に戻れるって」
 明滅する街灯のせいだろうか。そう言った男の顔が、ヒトの物ではないように見えた。亀のような、蛇のような……何とも表現し難い、黒い鱗を持った生物に。
 だが、その直後。相変わらず明滅を繰り返す街灯に照らされたのは、無駄なまでににこやかな笑みを浮かべた、「人間」の顔だった。
 そして、気付く。どうしてクークが彼の笑顔に苛立ちを覚えるのか。
 ……自分と同じ……それこそ同類である事を示すかのような、空っぽで……そしてどこかで何かを期待しているような色が見えたからだ。
 自分がそんな、甘ったれた感情を抱いていると言う事を見せ付けられているようで否定したいのに……認めてしまっている自分に腹が立ったのかもしれない。
「……同類、ねぇ? ボクはそんな自覚無かったけど、キミは自覚してるんだ?」
「ま、こんだけ長い事存在していれば、多少はね。とは言え、僕は自分が壊れていようといまいと、どうでも良いけどねー。風虎ちゃんが壊れてなければ、それでじゅうぶ……あ」
 ひょいと男が立ち上がり、一歩だけクークの方へ足を進めた瞬間。
 男自身の間抜けな声が聞こえると共に。ごろり、と男の首から上……即ち頭部が、音を立てて地に落ち、転がった。
 口の端から血を流している仮面娘の自分(クーク)も充分ホラーだろうが、正直に言えば首が転がる彼の方がホラーだ。その昔、自分の部下の一人が聞いてきた「赤いネッカチーフの女」の怪談を思い出す。
 その頃は子供騙しの怪談だなぁと聞き流していたが、実際に目の当たりにすると相当な恐怖を感じる。
 柄にもなく喉の奥でひっと引き攣った悲鳴を上げたクークとは対照的に、地に落ちた首は相変わらずにこにこと笑顔を浮かべ……
「あ、首まだくっついてなかった。あっはっは。失敗しちゃった」
 ゴロゴロとクークの足元に転がりながらも、呑気にそんな事を言う。
 首が落ちただけでもホラーだというのに、更に落ちた首が喋る。ホラー映画の世界にでも迷い込んだかのような錯覚に陥る物の、落ちた首自身が妙に明るいせいか、おどろおどろしさはすぐに消えた。というか、呆れ果てた。
 明らかに人間でないのは理解出来た。そして、彼にとって首が落ちるのは、そう珍しい事ではないらしいと言う事も。
 だからと言って、どんな生き物なのかと聞かれると分らないが。
「ボクはイカレた存在だと思ってたけど……キミ程じゃなかったみたいだ。普通、首が取れたら笑えないよ」
「え? これでも僕、相当困ってるんだけどなぁ。そう言う顔、してるだろ?」
「してないし、見えない。空っぽの笑顔だ。…………ボクと同じ、ね」
 クークを見上げるような形で止まった相手の首を見下ろしながら、彼女は自身が言う「空っぽの笑顔」を向けた。
 それを見て、相手もニヤリと笑う。
「生首の状態でその笑顔って、空っぽだって分かってても怖いね」
「空っぽだから怖いんじゃない? 自分の中身を奪われるような気がして。……ま、人間じゃない僕には分らない感覚だけどね」
「それで人間だと言われた方が、ボクは驚くけどねー」
 ゆらゆらと惰性で揺れながらも、クークを見上げて言う男の生首に対し、彼女はおどけたようにひょいと肩を竦めて言葉を返す。
 そんな彼女を見て、男は心底しくじったと言いたげな表情を浮かべる。首のない胴体は、それに合わせる様にパチンと指を鳴らし……
「しまった! からかうならここで『ちょっと首が取れるだけの人間さっ!』って言った方が良かったのか!」
「…………このままキミを思いっきり蹴り飛ばしたい気分に駆られるのはどうしてだろう」
「ちょっ! やめてやめて! その楽しそうな顔で言うのやめて! 探すの大変なんだから!」
 男の阿呆な言葉に、自分でもはじめてじゃないかと思える程ににこやかな笑みを浮かべ、クークは相手の頭部を軽く蹴る。
 生首が焦る、というのもおかしな光景だが、実際焦っているらしく首のない胴体がオロオロと止めようとしている。しかし肝心の顔が乗っていない為に、体は見当違いの方向を向いている。妙に実感のこもった声を出しているのは、過去にも「生首」の状態になり、胴体とかけ離れた場所に追いやられでもしたか。
 普通に考えてホラーな光景のはずなのに、ホラーにしている元凶に緊張感がないせいか、下手なコントを見ているような気分になる。
 楽しくはないが、少し滑稽に思えるのは、彼がそう言う風に己を見せているからなのか。普段から道化を演じているクークにも、それは分からない。似ている、と思うところは多いが、根本的に何かが違う。
 ……それが何なのか、上手く言葉に出来ないのだが。
「ま、やらないけどね。靴汚れそうだし。キミが困るところは、ちょっと面白いかも知れないけど」
 ニイ、と笑いながらクークは足元に転がる首を拾い上げると、それを本来あるべき場所……相手の胴体の上に乗せてやる。
 乗った事でようやく視界が安定したのか、相手どこかほっとしたような表情を浮かべると、軽く自身の首の位置を微調整し始めた。ぱっと見は首を鳴らしているようにも見えただろうが、実際間近で見ると首の「接ぎ目」が少しずれているのが分かる。
「ふう、ようやく落ち着いたよ〜あっはっは。まあ、また落ちるかもしれないけどね〜」
「……その時こそ、躊躇無く蹴っ飛ばすね、その頭」
 空っぽな笑みを浮かべ、ふざけた事を言う男に対し、クークはにこやかに言ってやる。
 そんな彼女を見て、男はニマリと笑った。刹那、月は群雲に姿を隠し、明滅する街灯は寿命寸前なのか消えている時間が長くなっている。そんな中途半端な闇の中に浮かび上がる笑顔は、クークの付けた仮面と同じ形をしている気がした。
 男がばさりと抱えていた白衣を翻すように袖を通すと、闇に浮かぶのは相手の歪んだ口元と場にそぐわぬ白い衣だけになる。
「蹴り飛ばされる前に、僕は帰るとするよ。流石に一日二回も蹴り飛ばされるのはゴメンだ」
 そう言うと、相手は「それじゃあね」とだけ言ってその場から消えた。ほんの瞬きの間に、姿形も、痕跡も、そして気配すらも。まるでその男の存在が幻であったかのように。
「普通の人からすれば、充分過ぎる程に怪談話なんだろうけど……」
――彼、ボクの前に一回蹴られてたんだ――
 自分以外にも、あの首だけの状態の彼を蹴った人間がいるのかと思うと、クークは軽く溜息を吐き出し……
「ボク、ひょっとしてまだまだ変人としては甘いのかなぁ……」
 と呟くのだった。



――小噺・玄金の首が取れた訳――

 A few hours ago

「ぎぃやあぁぁぁぁぁぁっ!」
 ざくざくざくざく
「……とりあえず、そこで細切れになって一晩反省していろ、玄金武土」
「ちょっ、風虎ちゃん!? マジで細切れなんですけどこれ。いくら僕がアンデッドだからって、再生するのに相当な時間がかかるって気がする」
「安心しろ、夜が明ける前には再生できる程度の細切れだ。いつぞやのミンチに比べれば、顔の原形を留めている分マシだろう」
「……誰かが見たら通報モノだよ、今の僕。完全にバラバラ死体だもん。あ、指が一本見つからないっ!」
「こんな夜更けに、人気の無い公園に来る物好きなどそうそうおるまい。……首だけで転がるな気味の悪い」
「その物好きがいたらどうするの!? っていうかこんな状態にしたの誰!?」
「案ずるな。怪談が一つ増えるだけだ。あと、貴様はマトモなツッコミを入れるな。キャラじゃない」
「その前に警察呼ばれない!? それと僕に対する扱い酷くない!?」
「貴様の事だ、誰か来てもその状態で話しかけるだろう?」
「うん」
「死体は喋らん。故に貴様の存在は怪談扱いされる。ちなみに、現時点で相当な怪談状態でな。あまり相手にするのもアレなので、私は帰る。ああそうだ、少し黙っていろ舌を噛むぞ」
「へ? ちょっと風虎ちゃん!? 何で足を振りかぶって……って蹴らないでぇぇぇぇぇぇっ!!」
 きらーん


多分玄金はこんな風に虐げられたに違いない



8765番「ある平凡な一日 ―平日―」

20202番「二人の温度」


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