徒然ティータイム


□もはやスルースキル検定。
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入社2年目の若手だった諒は、同僚達とよく退社後に飲み屋に繰り出すことが多々あった。たまの金曜日に入るその予定のためにも定時退社は死守しようぜ、と仲間内で励ましあったものだ。そしてこの日もそんな集まりのある週末、残念ながらいつもの同期メンバーの紅一点でもあった藤乃が有休のため来ないのだが、それはそれでメンズ同士でしかできない話も出来るのでさしたる問題ではない。

「おーい磯野ー、野球しようぜー」
『悪いが俺の知り合いに中島くんはいねぇ』
「そこは乗ってこいよ、古渓ってば辛辣ゥ」
『それをやる事で俺にメリットは』
「ないな」
『殴っていいか』

仕事終わりの一杯を目当てに集まる予定の同期をそんな言葉であしらいつつ、さっさと仕事を切り上げて席を立った。1年目から問答無用で定時で帰っていたこともあり、今更上司が残っていようが気にかけることもない諒に周りも少しずつ感化されたようで、社員の退社時間の平均が早まってきているのを知っているのは部長クラスくらいのものだろう。

気合で今日の仕事を終わらせた同期と共になだれ込むのはいつもの沿線近くの居酒屋。最初の注文もほぼテンプレになってきているせいか、若干店員が把握しているのではと思いつつあるがそこは気にしない方向でいく。

「でさー聞いてくれよ!ほんとあの上司!」
「あー、あの人何かしらやらかしてるよな。よく話流れてくるわ」
『直属は苦労するなとは思ってた』
「もっと労って!いやミスするのは人間だし上司とはいえ仕方ないとは思うけど、その後始末を自分で出来ないのはちょっとその席に着くの時期早々だったんじゃねーのって、思うわけで!もっとマシな人いなかったのかって!」

生ビール一杯で既にこの愚痴上戸な奴は軽く宥めてやれば机に突っ伏し、部署移動したいと深刻そうな声で呟いた。

「他に愚痴っときたいことは?」
「他はそうでも…」
『んじゃこの話は打ち切り』
「楽しい話しよう」
「あ、謎な話ならあった」

この僅かな間でスイッチが切り替わったようで伏せてた顔を上げると、その謎が生じたという話を展開させる。

「俺の兄貴がなかなかのオタクなんだけどさ」
「その前提から既に初耳だけどな!?」
『……』

身内にオタクに分類される人間しかいない諒は無言でどの程度の人種なのか計り兼ねて黙るしかないが、さして気にすることなく話は続いた。

「別に俺自身偏見とかないからそれは構わないし趣味は人の勝手だと思ってるんだけどさ。ってか最近まで兄貴が俺の部屋の本棚を一部占領してたのをやっと部屋に引き上げたんだよ。で、多分そのとき持って行き忘れたんだろうけど、30ページくらいしかない知らない本が残っててさ」

その本の形状に心当たりがありすぎるので内心冷や汗が出る。

「俺もその時暇だったからまぁ、読むじゃん?」
「読むのかよ」
「だって薄いし漫画だったし、表紙のキャラどっかで見たことある感じだったし」
『……因みに誰』
「詳しくは知らねぇけど、バレー系のジャン○漫画で見た気がする」

それだけの情報だが諒の脳裏にはもしやという感情が湧いてくるが、まさかそんな偶然あるはずが、と否定したくて仕方ない。

「まぁ試しに読んでみたんだけど、なんか、そういう世界もあるんだなって」
『扉開いてんじゃねーか』
「いやだって、あれはだめだって、泣くやつ」
「泣いたのか」
「ほら、俺感受性高いから」
『自分で言うな』

度々ツッコミどころを自分で作っていくこの男の軽口は適当に流しつつ、話はその泣いたという内容に入ってしまった。当たり障りない返答をしていた諒もさすがにいたたまれなってくる。これはスルースキル検定かなにかだろうか。
同僚の話す本の内容が完全に姉の執筆した同人誌と一致している。そしてそれをイベント会場で頒布した記憶がある。

─何だここ地獄か。

姉の原稿デッドレースには度々付き合わされていたため内容はほぼ知っているし、当日は売り子として駆り出されスペースに置き去りにされるのはよくあることだ。だがまさか、自分が頒布したかもしれない冊子を同僚の兄が、ついでに同僚本人も読んでいたとなると心が死ぬ音が容易に聞こえてくる。この時点で精神ダメージが蓄積されているというのに、話はまだ続くらしい。

「とりあえず読み終わったその本兄貴に返しに行ったら、すごい顔で「読んだのか!?」って聞かれて」
「話聞いてる限りでは読んでるエロ本見つかったみたいな気持ちだろうな」

─非常にわかりやすい表現ありがとう。そして別の意味でしんどい。

諒は完全に口を閉じることに徹することにして心の中で相槌を打つ。

「それで読んだは読んだし不覚ながら感動もしたもんだからそれを素直に語ったら、めっちゃいい笑顔で「そうだろ!!」っと誇らしげに言われた」
「お前の兄貴鋼のメンタルかよ」
「あの時の顔は忘れねぇわ…今までの人生で一番の笑顔だった…」
『お前の兄貴何もんだよ』
「あれは単なるファンだ…ファンの顔してた。会場で買った時は作者には会えなかったって残念がってたけど。ついでに売ってたのが男だったのめちゃくちゃびっくりしたらしい」

─スマン、多分それ俺だ。

「そりゃ残念だったな」
「でも一番謎なのが、兄貴がその本をどんな顔して買ったんだってとこなんだよな」

そういえば、と当時の記憶を掘り起こすと、姉の本を買い求めるのは女性ばかりで、自分がスペースにいる間男性の一般参加者が買いに来た覚えはない。よもやほぼ買い物に奔走していた妹が留守番がてら本の整理をしていたのを男と間違えたわけではあるまい。それにその頃には壁列とはいえ新刊はほぼ掃けて撤収準備を始める頃だ。

「それ、まさか聞いたのか?」
「おう」
『マジか』
「したら、元ネタの漫画のキャラの格好で行ったって。これだけ聞くとなーんだって感じなんだけど、まさかそれが女子マネキャラだとは思わないだろ?」
「マジかよ。つまり女装?」

─原作の女子マネレイヤー…通りで男で思い当たらない訳だ。

はてさてそんな買い子が来ていたかと記憶を探ると、1人に思い当たる。やけにハスキーボイスな女子マネレイヤーがいた。あれだったのか、と遠い目になりながら横で派生しているミニスカ論争を聞き流す。さっきから如何に触りも知らないように装うかを迫られているせいで精神ダメージが大きすぎる。もはやスルースキル検定絶賛開催中である。そんな中で思うことは1つしかない。

─帰りてぇ。

華金の社会人の夜はまだ終わりそうにないのである。



End

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