短編集

□私の死神
1ページ/1ページ


己は猟犬だ。仕える主を見誤った、生き血を啜るだけの猟犬。言われるがままに他人の命を絶ち、その死すらも屠って。飼い慣らされた果てには組織の殺戮人形に仕立て上げられていた。そこに一切の不満はない、むしろそれしか私の存在意義など存在しないからだ。当然、私を人間と思って接する者はほぼ皆無。そんな物好きは、私を拾ったベルモットくらいである。
彼女曰く、薄汚れてはいたけれど着飾りがいがあると思ったから。屍人が転がる路地裏で、やけに艶のあるライフルを抱えていた小娘にしては、という注釈も含まれていたとは思うが。どちらにせよ、突飛な彼女の気まぐれ無くして私がこうしてのうのうと生きている事もなかった。

「仕事よ、マイラ」

ベルモットの用意した私の居住地に、当人がノックの音と共にその言葉を転がした。

『…今度は誰?』

私が殺すのは。言わずとも分かる部分は省略する。私に寄越してくる任務の中身なんて高が知れている。ベルモットは相変わらず高みからものを言うような口調で返した。

「なんて事ないわ、裏切り者の始末よ。ただ今回はターゲットを誘い込むバディをつけるわ」

つまり、ターゲットの行動パターンを先読みせずとも、示し合わせたポイントで待っていれば勝手に的が銃口の前に現れるということ。バディとやらの力量次第ではかなり簡単なミッションだ。これまで単独でしか任務に駆り出されなかったため、急に方針を変えた幹部連中の思惑には疑問は残るがまぁ良しとしよう。
ベルモットに連れられて別室に移ると、呼び付けられていたらしい相手がソファーに腰を下ろしていた。

「ハァイ、バーボン」
「ベルモット、人を呼び出すなら先に待機していてくれませんか」
「あら、あなたが猟犬に会いたいっていうから手引きしてあげたんじゃない」

コードネームを貰っていると言うことは幹部クラスだろう。そしてベルモットの口振りからなんとなく察した。どうせ、その性能を見定めようとでもするつもりなのだろう。ジンなんかはそのタイプだった。そして必ず、ただの駒としてしか見ない。

「はじめまして」

私の予想に反して、バーボンと呼ばれた男は私を人として認識していたようだ。組織から与えられた仮初の名前を名乗り、右手を差し出して。まるで対等に扱うと言うかのように。心の中は酷く動揺した。

『私の血に塗れた手で、幹部様に触れるわけにはいかない』

こんな世界にいながら、穢れを感じさせないこの男に、安易に触れてはならないと感じた。警戒、それもあるが、とにかく、私のような猟犬が触れるのを躊躇われるくらいには、神聖な存在に思えた。

「まぁいいでしょう。仕事が出来れば支障はありません」
『それは同意する』

私の態度は警戒と取られたようだ。さて、仕事をこなすに当たり組まされたバディだが、引き合わせの役目を終えたベルモットはさっさと立ち去った。去り際にバーボンに何か言っていたようだが、私の取り扱いか何かだろうと判断して気にも止めなかった。

「それはそうと、あなた名前は」
『…今まで猟犬と呼んでいたんじゃないの』
「それは噂話の中だけでしょう」
『けど、幹部様みたいにコードネームを貰ってるわけじゃない』

私のような存在はいくらでも替えがきく。だからボスはわざわざ名前なんて与えては下さらない。ベルモットがくれた呼び名はあるが、正式に認められてはいないのだ。

「では、あなたを指す固有名詞は。ベルモットなら、それを押し付けてきたのでは?」

何もかもお見通しという訳か。他の構成員よりもはるかに関係性があることも恐らく察しがついているはずだ。私は観念して、彼の問に答えた。

『マイラ』

それが、私を指し示す記号。

「…なるほど、彼女らしい」

恐らくその名を冠するカクテルから、そう零したのだろう。赤ワインにスイートベルモット、それと少量のウォッカを混ぜて作られるカクテルで、スイートベルモット独特の癖のある香りが印象深い。彼女に拾われ、彼女好み染められる私には丁度いい。生憎、カクテルで使用するもう一つの酒の名の男とは特に面識はないが、彼が付き人のようについてまわるあの男とはあまり対面したくは無いので現状で十分だ。話が逸れたが、バーボンは私の記号を呼び、ターゲット暗殺の件に話を向けた。

「ターゲットの主な行動範囲はこの辺り。この地図上で最も狙撃しやすいポイントはこのビル、もしくはこちらでもいいでしょう。僕はターゲットをあなたの銃口の前に連れ出しますから、そこを仕留めてください」
『…ポイントまで用意してくれるの』
「仕事がやりやすいに越したことはないでしょう」
『それはそうだけど』
「何か不都合でも?」
『…こんなに待遇が良いのは初めて』

基本的に私の狩りは単独。ターゲットを探るのも、通りそうなルートを割り出すのも、狙撃ポイントを見出すのも一人でやってきた。たまに付いてくる幹部は高みの見物で、私の技量を見定めるくらいのことしかしない。この男は、何かが違う。さながら、真っ暗な世界に降りてきた一条の光のように思えた。彼となら、私はまた人間に戻れるような、そんな気がした。



ターゲットはこちらの顔を把握していなかったらしく、簡単に釣られてくれた。男色の気がある相手にはつくづく自分の顔が有効な当たり複雑な心境にはあるが、この一室に誘い込まれてくれたのなら任務はほぼ成功だ。あとは乗り気なふりをしてこの男を窓の前に追い込めば良い。

「窓辺でなんて、君も酔狂だね」
「そうですか?…あなたとお別れするには絶好の場所なので」
「何…!?」
「まだ分かりませんか。あなたが犯した罪に組織が気付かないとでも?」

男の顔はみるみる凍りつき、弾かれたように窓の外を見た。その直後、脳幹を打ち抜かれて転がり、死に絶えた。目の前で人が死ぬ、数年前にはよく目にした光景だが、やはり気分の良いものではない。屍人から目を逸らしながら、右耳の無線に手をかけた。

「ターゲットの死亡を確認。撤収してください」
『…Oui』

トリガーを引いた張本人は、感情の起伏を感じさせない声で応えた。やはり噂通りの猟犬だったか、と詰めていた息を吐き出した。対等に、人として扱われることに戸惑いを見せていた彼女なら、命を絶つ事に多少なりとも抵抗を感じているのではないかと考えたのだが、どうやら思い過ごしだったようだ。

『バーボン』

不意に、マイラの無機質な声がノイズ混じりに聞こえた。逃走経路に誰かが侵入したのだろうか、と耳を傾けたが、紡がれた言葉は予想外だった。

『泣いてるの』
「…何、を、言い出すんですか…そんな訳ないでしょう。今更、人を殺したくらいで」
『…そう。ならいい。抜け出すなら今のうちに』

動揺を悟られただろうか。どちらにせよこの部屋にいつまでも留まるのはデメリットしかない。建物内の監視カメラを掻い潜りながら現場を離れた。

彼女の言葉が気にならなかった訳ではない。感情の類とは無縁そうな態度をする割に、妙にこちらの変化に敏いところがある。殺しの概念については呼吸と同じようなものと考えているような節が見られるが、組織という居場所に縋っているとも思えない。うまく引き込めばこちらの手札に取り込めるのではないかと思い始めた。だがそれも束の間、この組織に強襲をかける目処が立ったのだ。世界各国の諜報機関と共同で組織の主柱を切り崩す計画が綿密に練られる。その作戦の実働部隊には、あのFBIの姿もあった。

「久しぶりだな、降谷君。面と向かうのはキュラソーの一件以来かな」
「…白々しい。沖矢昴として会っていたでしょうに。あなたのことはまだ許してません。この作戦が終わったらきっちりケリをつけますから、それまで勝手にくたばらないでくださいよ」
「あぁ、君も死なんでくれよ。君に何かあると彼らが怖いのでね」

軽口を叩いて余裕ぶっているつもりか、当の自分も奴らと正面切ってやりあうこの瞬間を待ち望んでいたくせに。作戦では、できる限り構成員は生きたまま確保するとなっているが、全体的に射殺もやむ無しが認められているメンバーが多いためにそれが守られるとは限らない。それに、強襲ともなれば、あの猟犬は必ず前線に出て行くだろう。彼女だけでも、バーボンとして逃せないだろうかと考えていることに頭を抱えた。
当日はバーボンは内側から強襲部隊を手引きする事になっていた。それまでの数時間に、マイラに指示を入れた。

「新しい仕事です。詳しくは現地で話すので、あなたは先に出ていてくれますか」
『…どこに居ればいいの』
「そうですね、僕達が最初の任務後に落ち合った場所で」
『分かった』

ここから遠くはないが、部隊の視界には入らない程度の場所にある鉄橋の下。敏い彼女なら、これが作り話だということも、今日何かがあるという事も気付いているかもしれないが、何も聞かなかった。



遠目に見えた爆発で、全てを察した。支給された携帯には、ボスからのメールが届いていたが返事はしなかった。バーボンはNOCで、この強襲は彼が手引きしたのだろう。交戦すれば遥かにこちらが部が悪い。私をあの場から遠ざけたのは、計画の支障になる可能性があると考えたのだろう。それでも、裏切られたとは思わなかった。ただ、一つだけ欲を言うなら、彼だけの猟犬にしてほしかった。

『…行かないと』

組織ではなく、彼のために。
本部は既に瓦礫の山になっていた。組織が蓄えていた情報も恐らく回収され、あの爆発で跡形もなく霧散したと思われる。ところどころでは末端の人間が伸びていたが、もう助ける義理はない。煤煙の舞う廃墟を歩き、明るいミルクティー色を探した。
ようやく見つけた彼は、瓦礫の隙間から落ちる光を受けて佇んでおり、神様と見紛うほどに美しかった。

「──…、了解。こちらも引き上げる」

連絡を取っているのは、彼の本当の仲間だろうか。よく知った雰囲気とは随分違い、研ぎ澄まされた刀身のような鋭さが感じられた。不意に、カチリ、と撃鉄を起こす音が響く。私は暗闇の奥に蠢く存在を見て、瓦礫を蹴った。

「死ねぇ!バーボン!! 」

意識を取り戻した末端が放った弾丸は、彼目掛けて飛んでいく。私はその間に身を踊らせ、弾丸は私の胸を貫いて地に落ちた。

「マイラ…!?」

私が崩れ落ちたと同時に再度弾の装填音が響き、彼は素早く末端の利き腕の肩を撃ち抜いた。無力化したことを確認すると、彼は私を抱き起こした。

「どうしてここに来たんだ!あの鉄橋にいろと、言ったでしょう」

最後だけいつもの口調に戻っていたから、多分さっきのが本来の彼。漸く彼の行動の真意がわかった。私を遠ざけたのは排除ではなく、保護。NOCでありながら、私を逃がそうとしていたなんて、本当に彼は私の神様ではないかと思った。

『私、あなたの猟犬になりたかった…私のことを、ちゃんと人として見てくれたあなたを、守りたかった』
「マイラ、何を…」
『バーボン…私の神様だったひと、ねぇ、あなたが私を救ってくれたんだ』
「…やめてくれ、俺は救えてなんかいない、現にこうして…」
『ねぇ…泣かないで。私の、とても美しい死神さん』

彼のアイスブルーの瞳は、滴を零していた。

『…バーボン、最後に、あなたの名前を呼びたい』
「っ…降谷、零だ」
『レイ…、零、わたしは…憂希』

やっと思い出した。過去と一緒に置き去りにした、自分の名前。最後の瞬間くらいは、ただの人間でいろと言うお告げだろうか。彼の声が「ゆうき…」と私の名を呟く。私は満ち足りたような思いで、愛しい死神の腕の中で眠りについた。

れい、愛しく美しい、私の死神。



End

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ