短編集

□逃げ水を踏む
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幼い頃からよく、他人には見えないものを見てきた。それらが本来見えてはならないものだったと知ったのは物心ついた頃。それ以来ずっと、視界に何が映り込んでも必死に見えない振りをして、得体の知れないモノへの畏怖と理解されない事への恐怖に怯えながら過ごしてきた。時には、所謂霊能者と呼ばれる存在を頼って自衛の術を乞うたこともあるのだが、そのような能力者を自称する者達には、こぞってそれらのモノは見えていなかった。それどころか、見えもしないものを見えると、感じると虚言しているせいか、存在を主張しようとするモノ達を寄せ集めているのだ。そんな彼らを信用できるはずもなく、仕方なく自分の力のみで対処法を探し、研究した。当然家族は気味悪がって、そんなものを調べて何になるだとか、精神に異常を来たしているだとか、散々なことを何度も言われてきたが、探求の甲斐あって今では怪異のモノ達はただ恐ろしい存在ではなくなった。悪さをするモノは祓えば良し、意思の疎通のできる怪異も中にはいて、時には妖怪と呼ばれて名を知られている存在にもいくつか出会った。古い神社にひっそりと暮らしていた狐日と言う怪異がそうだ。九尾の狐と言えば分かりやすいだろう。狐日は元は神聖な天の使いだったそうだが、信仰が途絶え妖堕ちをしてしまい現世に留まっている。人に見えざるモノについていろいろなことを教えてくれた、いわば恩師だ。
ハタチを過ぎてもなお、日常的に怪異を見る体質は一向に変わらなかったが、習得した技術や狐日から教わった知識のおかげで平穏な生活は保たれていた。普段から使う場所や通る道には必ずと言っていいほど浄化の札を残しているため、この辺りの悪意ある怪異には祓い人などと勝手に恐れられているが、知ったことではない。そんな日々の中、訪れた出会いは私の体質無しには起こり得なかっただろう。

ぞわり、と肌が粟立つような寒気に見舞われ後ろを振り返った。今し方すれ違った明るい髪色をした男の背後には、悪意に満ちた有象無象がまとわりついている。呼び寄せやすい体質の人間もいない訳では無いが、そういった人には必ず力のある守護霊がついているのが大半だ。それで無ければ相当な恨みを買っている。私怨というのは厄介なことに、それを抱えた人間が死んでいなくとも、相手の元に怪異を飛ばせてしまう。そんなものを大量に背負っている姿はまさに異常で、関係ないはずなのに、おぞましく思った。

『あ…』

まずい、と理性が警鐘を鳴らす。彼の背負った有象無象の中から、こちらに向いた目が二つほど覗いた。見えていることに気付かれるのは追われることになるのと相違ない。私は踵を返して大通りを走り抜けた。
人気のない公園に辿り着き、ベンチに腰掛けて乱れた息を整える。自分の身が大事ではあるが、パンプスで全力疾走など二度と御免だ。しかしどうやら向こうも諦めてくれてはいないようで、俯いて見下ろした地面に透けた革靴が映り込んだ。

「なぁ、アンタ見えてるんだろ?」
『……』

言葉は普通だ。悪霊や私怨の類なら、到底会話らしい会話は成り立たない。少なくとも目の前にいる怪異は害を為すつもりはないという事だろう。観念して呼びかけに応じて顔を上げると、一人の男の姿が眼に映る。似合わない顎髭を蓄えた、生きていたらきっと、優しい人だったであろう青年だった。

「見えてるんだよな。こんなにはっきり目線が合うんだから」
『…ええ。あなたはさっきの、金髪の人に付いていた方ですよね。何か御用ですか』
「頼みたいことがある」

こうして、頼み事を持ってくる怪異は珍しくはない。恨み言だったり物探しだったり、道案内を頼まれたこともあったと思う。それらの頼みを聞く際は必ず名前を聞くことにしている。名前を掴んでおけば、騙し打ちを回避できるからだ。今回も同じように尋ねたのだが、男は、呼ばれることも無いものだから忘れてしまったという。

「呼び名がないと不便だってことなら、そうだな…スコッチでいい」
『スコッチ…さん?』

確かウイスキーの種類ではなかったか。

「一時期そう呼ばれていたんだ。死んだ瞬間にも」
『そう、ですか…。それで、頼みとは』
「さっきのヤツ…降谷零を救ってほしい」

予想打にしていなかったせいか聞き間違いかと思ったのだが、彼の目は真剣そのもので、きっとその大切な人を残して逝く形で死んでしまったのだと察した。どちらにしても、人を救って欲しいと言う怪異は初めてだ。

『…取り憑いた相手を呪いたいというのはよくいましたけど』
「ああ、実を言うとアイツに憑いてるのもそういう連中なんだ。なんとか俺がアイツに影響が出ないようにはしてたんだが、俺もいつまで守ってやれるか…」
『つまり、彼に憑く小者を祓ってほしいと』
「そういう事だ。頼めるか?」
『…分かりました。怪異の身では、見えていない人間に干渉するのも限度があるでしょうし、お受けします』

依頼を受諾すれば、彼は安堵した様子で良かった、と呟いた。死んでもなおこんなにも人を大事に思える人も見たことがなかっただけに、彼が死ななければならなくなった理由が気になったが、聞くのはやめにした。そこまで深く踏み込むことは、いくら死人と言えど、あまり許されたことではないだろう。かくして、人間ひとりと幽霊ひとりは出会ってしまったのである。
依頼の渦中の人物と接触を図るために、スコッチに聞き及んだ彼の勤め先を探してみると、隣町でようやく見つけた。

『ポアロ…』

某名探偵の一人として描かれる登場人物の名前だ。その上には毛利探偵事務所、こちらもメディア等では度々目にする。特にバラエティーではアイドル歌手、沖野ヨーコとの共演がよくあるが、その時の様子からは世間に知られる名探偵には到底思えなかったのを覚えている。あれはもはやただのドルオタ中年だ。それはさておき、目的はこの喫茶店で働いているであろう降谷零という人物に接触することだ。正直、あれだけの数の怪異に憑かれている人と接点を持つのはかなり恐ろしいのだが、意を決して店の扉を開いた。カランカラン、と来店を知らせるベルが鳴り、店員がこちらを見る。

「いらっしゃいませ」

いた。探し人は異常なまでに速く見つかった。拍子抜けしてしまったせいか、要件を話すことが出来ないまま席に通され、完全に客の一人になってしまった。冷やまで出されてしまっては何も注文しない訳にもいかないではないか。

「ご注文はお決まりですか?」
『え、と…アイスコーヒーを』
「かしこまりました。ミルクと砂糖は如何致しましょう」
『いえ、結構です…』
「ブラックですね。承ります」

何故私は普通に注文しているのだろうか。ぐるりと店内を見渡してみると、店員は彼一人、客もほとんどおらず私とフリーター風の男性客、あとは女子高生三人組と小学生くらいだ。

『うわ……』

思わずそんな声を漏らしたのは、その小学生に似つかわしくない怪異が纏わりついていたからだ。一体どんな暮らしをしたらそんな状況になるのだろう。少年と一緒にいる女子高生達には、全くそんなものは見られないと言うのに。

「お待たせしました、アイスコーヒーです」
『あ、はい…』
「ごゆっくりどうぞ」
『あっ…あの!』
「はい?」

今度こそタイミングを見失わないように、咄嗟に引き止めた。思いの外大きな声を出してしまったようで、三人組の視線が刺さる。もしや彼女らは彼のファンとかだろうか。いや、それは今は関係ない。

『…、降谷零さん、ですよね』

その名前を告げた時、一瞬、彼の笑顔が消えた、ように見えた。そのすぐ後、先程以上の営業スマイルで。

「人違いですよ」

と答えた。何をどうやったらこんな整った容姿の人を間違えるんだ、と思ったが彼の背後で見覚えのある顔が両手を合わせて苦笑いしていた。この野郎、居るなら出てこい。
体よく誤魔化され、ソファーに落ち着いてアイスコーヒーを一気に半分ほど飲み下したところで、なんとも言えない顔のスコッチが目の前に座った。ちなみに座席は音もなくスーッと後ろに下がっていた。

「ごめんな、伝え忘れてたわ。職業柄あまり本名を他人に明かすことがなくて、偽名で通してるんだ。ありゃ警戒されたな…」
『そういう大事なことを伝え忘れないでください』
「だからごめんって。俺も焦ってたんだ、アイツの現状をなんとか出来そうな奴をやっと見つけて」
『そんな言い訳が通用するとでも?』

声を極力抑えつつ恨めしく眼を向ける。

「ねえ、お姉さん!」

先程の小学生が、無邪気な声で話しかけてきた。よくよく見るとこの小学生、よく新聞で見るお手柄少年ではないだろうか。なるほど、注目を集める人間にも怪異は寄り付く。妬みという形で私怨を買ってしまっているようだ。あまり関わりあいになりたくはないが、この齢でそんなものを溜め込んでいるのが哀れに思えた。

「お姉さんは、安室さんの知り合い?」
『さぁ…人違いだと言われたから違うんじゃない』

そもそも店員の友好関係を把握しようとするのも変な話だとは思わないのだろうか。知ったことではないが。

「誰かを探してるの?声をかけたのはその人に似てたから?」
『そうだとして、君には関係ないでしょう坊や』
「人探しなら探偵に依頼したらどうかなと思って」
『そこまで困ってない。何なの君、はっきり言って迷惑よ』
「ご、ごめんなさい」

咎めるような言葉をかけると困ったような表情をした。それに気付いた女子高生達の一人が少年を連れ戻しに来て、好奇心旺盛で、とこれまた苦笑いをしていた。

『あなたの弟さん?』
「いえ、うちで預かってる子で…あ、上の探偵事務所が家なんです」
『でも保護者には変わりないでしょう。それなりの責務はあるんじゃないかしら』
「それは…」
「ちょっと、そんな言い方しなくてもいいんじゃない!?」

声を張ったのは茶髪の子、お友達が辛辣な言葉を言われているのがお気に召さないのだろう。確かに言い方は良いものではなかったが、喧嘩腰で噛み付かれるのは心外だ。

『ならオトモダチがそう言われないようにあなただって気をつければ良かっただけの事でしょう』
「な…っによそれ」
「園子さん」

反発しようとする彼女を宥めるように先程の彼が声をかける。

「そういうお客様もいらっしゃるということです、落ち着いてください」

ただ、店内でのトラブルを避けたいだけの言葉に過ぎないのだろうが、いたたまれなくなった私は財布から紙幣と、護身用に持っている札を置いて席を立った。

『お騒がせしました、もう帰ります』

誰とも目を合わせないように足早に通り過ぎる。

「あの、お釣りを…!」
『結構です』
「いえ、そういう訳には」
『なら、迷惑料として彼女達の飲み物代にでも回してください』

そう言えば言葉に詰まったらしく、引き止められない内に今度こそ足早に店を出た。対人関係においては、つくづく上手くいかない事ばかりだ。自己嫌悪に浸る私を嘲笑うように、空は晴天だった。



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