短編集

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先駆者の二人がそうしたように、観覧車の一件から助け出された松田も別の誰かとしてセカンドライフをスタートさせてから一年と少しが経過した。外部に顔出しする必要がほとんど無く、慢性的に人手を欲している配達業界は、景光の時もそうだったが萩原の紹介で難なく仕事を得ることができ、しかもこの左山急便は大型トラックの運転免許を社内で取らせてくれる上、しっかり免許証も発行してくれるので偽りの身の上である彼らが身分証明を持てるというのはかなり大きい。今のところは集荷の荷降ろしと宅配の積み込みがメインで、顔を合わせるのは業者の人間のみ。こうなる以前の知り合いと出くわす余地もないのは実にやりやすい。
この生活にただ一つ難点を上げるとすれば、単純に住まいが狭いのだ。もともと萩原が、本来の自分を死んだものとして生きるために拠点としたワンルームのボロアパートの一室だ。そこに成人男性3人を放り込む方が無理があり、だからといって広い部屋に引っ越すには今ひとつ収入が足りないのが現状である。もちろん死亡確認が受理されて口座などが凍結されるまでの間にいくらか貯金を降ろしていたとはいえ、今の極貧生活から抜け出せば途端に底をついてしまうだろう。特に景光はあの現場から生き延びた次の日には既に死亡確認扱いになっており、生前のものに手をつける間もなかった。勿論下手に動けば組織や警察庁の上層部に勘付かれ兼ねないので避けるべきだとは分かっていたが。

『…むさ苦しいな』
「皆まで言うな。俺らが一番よく分かってる」
「なんだ憂希か…天井から生えてくるのいい加減やめろって、心臓に悪い」
『いい加減に慣れろ景光。それより萩原、私の羽織はまだ必要か?』
「あー…」

5年前のあの日、生存を偽るためにあくまでも借りるという名目で使っていた憂希の羽織は、ここ暫く押し入れにしまい込まれていたままだ。今すぐ使う宛と言われると言葉に詰まるが、かつての友人達はまだ2人、警察官という決して安全とは言いきれない場所に在籍している。特に一人は公安、しかも今はまさに潜入捜査中だ。連絡なんかはもちろん出来ないが、憂希も少なからず気にかけているようだし、彼女の知らせで何かあると分かれば、松田の時のように秘密裏に羽織を使って行動を起こすだろう。

「返した方がいいか?」
『いや、大したことではないが、それは長いこと人の手元に置かれたものだ。使い古した人の物を好む妖に狙われても可笑しくはないと忠告しておくが』
「そういうのもあるんだな」
『人間の数より、妖の方が圧倒的に多いからな。話はそれだけだ。ではな』

萩原の返答を待つことなく、今度は窓をすり抜けて消えていく憂希の後ろ姿を見送った。

「相変わらず玄関の存在意義を完全に無視していくな、憂希は」

天井から現れて窓から去る、そこにさして疑問を持っていない萩原を含めて景光は何とも言えない顔をする。つくづく、とんでもないものと知り合ってしまった。元々そういう類を信じていた訳ではなかったし、自分以上にそれらに否定的だった幼馴染と長らく過ごしてきたものだから、ほんの数年でそれを覆せる訳でもないのだ。しかし目の前で起こることに微塵の嘘も入る余地などなく、現実であると受け止める他無かった。



あれはいつの事だったか。
まだ憂希と呼ばれる前のこと、一人の人間の死期を悟った。彼女もまた妖を視ることのなかった人間であったが、その時だけは、目が合った。
緩やかに迫る死の気配を追えば、薄暗い部屋に囚われるように閉じこもる一人の女に辿りついた。彼女は、大事そうにいくつかの写真を見詰めていた。そこに映るのは彼女が旅だった後、残される人の子だ。

『…人とは、憐れなものだな』

呟いた声にぱっと振り返った彼女は、その目に確かに憂希を映した。

「…一体、どうやって」
『案ずるな、私は人ではない。命の終りを悟るだけの妖だ』
「妖怪…?でも、どうして…」
『人間、お前は妖者を視る事はあるのか』
「…いいえ。これまでそんなもの、見えたことは無いわ」
『ならば、お前の死が近いのだろう』

彼女は少しだけ目を伏せた。そして大した興味も無さそうに、そう、と呟いた。

『驚かないのだな』
「人は、いつか死ぬものよ。それが早いか遅いか、ただそれだけのこと。私は、人より少し早かったようだけど、だからと言って、抗えるものじゃない。そうでしょう?」
『…そうだな。妖にも、時の流れと共に力を失い、消えていく者もいる。いずれ終わりが来ることに人も妖もない、皆同じだ』
「妖怪にも、死は訪れるのね」
『生きているのだ、生まれれば死ぬ時は来る。人の一生に比べれば、途方もなく長い時を過ごしているだけなのだ』
「…そうね。そうやってあなたは、いくつもの終りを見届けてきたのね」
『それしか、できないだけだ』

数えるのも億劫な程の時間全てで消えゆくものを見てきた。だから今更何を思うことも無ければ、手を差し伸べるなどするはずもない。ただ死期を悟るだけの憂希にはそんな事は不可能だ。だから彼女も、やがて消え逝く者の一人に過ぎないと、そう思っていたはずなのだが、彼女が慈しむように眺めていた写真の人の子を、そこに居ないはずの子らに向けて何を思ったのかを、知りたいと思った。人の感情を理解したいと思ったのは初めてのことだ。

「ねぇ、あなた、名前は?」
『…忘れた。私が見、話してきたのは消え逝く者達だ。名など、不要なものだ』
「なら、私が呼び名をつけてもいいかしら」
『…好きにしろ』

じゃあ、と少しの間考えた後、彼女が口にしたのが憂希という名だった。彼女は先程まで写真に映った人の子に向けていた視線を憂希に遣り、言葉を続けた。

「この名前、きっとあなたに似合うわ」
『私はヒトではないがな』
「それでも、あなたがあなたであることは変わりない。……受け取ってもらえる?」
『断る理由はない、貰っておこう』

そう答えれば、彼女は満足そうに微笑んだ。



彼女とのやり取りを思い出し、憂希は朱く染まり始めた遠くの空を眺めた。

『あぁ、あの時か…私が私になったのは』
「どうした」
『いや、思い出していただけだ。私にヒトの名を与えて、人と、関わる気にさせた人間のことを』
「……」

理解に苦しむ、と言うような顔で黙るトビヒのしかめっ面は大層面白いが、盛大に笑っては機嫌を損ねるのでなんとか堪えた。

『そんな顔をせずとも、必要以上に人間に近付く気は無い。当面お前をこき使う予定もないしな』
「彼奴らと馴れ合っておいてよく言う」
『あれらは事実上死んだ者達だ。生きてはいるが、それまでの生を捨てている。そしてそうさせたのは私だ。私の意思。ならば最期を看取る義務はあるだろう』
「…勝手にしていろ。友人とて、お前の判断を覆そうとは思わん」
『感謝する』

唯一の友人との会話もそこそこに、憂希は佇んでいた建物の屋上から降りる。先程まで思いを馳せた人間の残した残り香を辿り、いつかに見た金色の姿を探して雑踏に紛れた。



何かがおかしい、初めにそう感じたのは5年前だ。爆弾を用いて、都民を人質にとった大規模な身代金目的のテロ。使われた二つの爆弾のうちひとつは解体できずに、民間人の避難した後の高層ビルのワンフロアは爆炎に消えた。その中に残っていた、一人の友人の率いる班は全員殉職したと記録がある。しかし、その爆心地から運び出された遺体の中に、友人のものと思われるものは一つとしてなかったとも、追記されていた。
その次は2年前、同じ状況下で任務に就いていた幼馴染みだ。最後の逃げ場として選んだ廃ビルの屋上からその身を投げ出した瞬間を目の当たりにしたにも関わらず、落下予測地点には誰の姿も無かった。激しく燃え盛る炎が揺らめいていたのも不可解だが、焼け跡には黒焦げになったライターと携帯。ライターは幼馴染みの愛用していたオイル式のもので、携帯は言わずもがな。それぞれ特徴的な[H]の文字が刻み込まれていた。しかしそれだけというのもおかしい。例え焼死しようが、長い時間炎の中にいなければ骨だけになることもない。ましてやその骨すら残らないのは、あの短時間ではどう考えても有り得ないだろう。
そして去年、爆弾解体の技術を教わった友人の訃報を知ることになった。前回と同一犯と思しき爆破テロ、初めに仕掛けられたと推察できた観覧車でのことだった。ここでもやはりおかしな点がある。爆散した観覧車のゴンドラをどれだけ調べても遺体は発見されなかった。まるでその瞬間を予知でもしていたかのように、神隠しにでもあったかのように、三人の痕跡は忽然と消えているのだ。

「一体、何があったんだ」

幼馴染みの遺品を最後に残った友人に託す傍ら、拭いきれない違和感に頭を抱えるのだった。



End

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