短編集

□音と声
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九は、比較的恵まれた家庭に生まれた。

父親は若くして大学の教授、母親は器量が良くて優しく聡明。

近所でも有名な豪邸で、何不自由なく育てられた彼女には、普通の人間とは少し違うところがあった。


「やはり、聞こえていないようだな…」

「何かの病気かしら?」

「だが、どの医者に見せても異常は無いといわれるばかりだ」

「でも…」

「落ち込んでいたって仕方がない。あの子は、耳は聞こえなくても元気に育ってくれている。私達が元気を出さなくてどうするんだ」

「…そう、ね。私達が、しっかりしなきゃいけないものね」


少女に、両親の声は聞こえない。

ただ、口をパクパクと動かしているだけに見える。

しかし、音は聞こえていた。

両親の音は、とても繊細できれいな音だった。

それが今、とても暗く、沈んでいる。

少女は直感的に、両親が悲しんでいることを知った。


「ねぇ、あなた。見て、九が…」

「あぁ、不思議だな。聞こえていないはずなのに、まるで今の会話が聞こえていたみたいだ」


少女は、まだおぼつかない足取りで両親に歩み寄った。

そして、二人の手の上に、自分の小さな手を重ねた。

耳が聞こえないため、言葉を発することが出来ない少女は、肌に触れることで意思疎通を図ろうとする節があった。

両親もそれに気づき、そっと手を握り返した。


「ありがとうね、九」

「元気を出せ、ということかな?」

「ふふ、だめね私達。わが子に慰められるなんて」

「本当だな。大丈夫だよ、九。お前が元気でいてくれれば、父さん達はそれだけで充分幸せなんだから」


両親の音は、もう沈んでいない。

いつもの、繊細で美しい音色に戻った。








伝わらない“声”と、伝える“音”。

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