短編集

□歌
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五十の朝は早い。

いつもではない。

時々、早い。


誰よりも先に起き、誰よりも早く登校し、

そして誰よりも早く教室へくると、

罠をしかける。

前の日の夜、寝る前に思いついたいたずらは次の日にすぐに仕掛けないと気がすまないのだ。

よって、そういう日の五十の朝は早い。

今日もすでに罠を仕掛け終えた。

思ったよりも作業は進み、時間が余ってしまうほどだった。



「暇だし、みんな来るまで散歩でもしてよ!」


五十は教室を飛び出した。

いつもなら生徒でひしめきあっている廊下も、教室も、今は誰もいない。

窓の外からは、朝練中の運動部の声が遠くから聞こえる。

でも、校舎内はとても静かだ。

普段はあまり用事がない別の棟にも足を踏み入れた。

1年の教室が並ぶそこは、今はもう懐かしい。

2年前の記憶に思いを馳せていると、奥の教室から声がする。

いや、


「歌・・・かな?」


小さくて控えめだけど、なんだかとても楽しそうで、

五十は声のする教室をそっとのぞいた。


中には、女の子がいた。

髪の長い、小柄な女の子だ。

窓際の机に腰掛けて、窓を開けて歌っていた。

柔らかな風が流れ込み、女の子の髪を揺らした。


「(1年生・・・かな?)」


五十は、邪魔にならないように静かに教室へと入った。

幸い、女の子は気づいていない。

足音を立てないように、ゆっくりと近づく。

まだ気づかない。

五十のいたずら心がくすぐられる。


「(脅かしちゃおうかなぁ・・・www)」


びっくりするだろうか。

後ろから肩をつかもうか。

目隠しをしようか。

だーれだ!なーんて・・・



キンッ



ニヤニヤとしながらこれからの行動を考えていた時、窓の外から小気味いい金属音が聞こえた。

反射でそちらに目をやると、

とんでもない勢いで飛んでくる白い球体。

女の子に、動いたり避けたりする気配はない。

突然のことで思考がおいついていないのだろうか。



「!!!!!Σあぶない!!!!!!」


思わず顔の前に手を差し出す。

球体は、運良く手の中に収まった。

回転がかかっていたようで、手の中が摩擦で熱を帯びる。



「・・・っ、あっぶねー・・・」


球体を握り直した五十が、女の子に視線を戻すと、目を見開いたまま固まってしまっていた。



「びっくりしたねー!大丈夫だった?どっか当たったりしてない?」



声をかけると、ビクッと体が反応した。



「(あれ?今更びっくりしたのかな?)」


もう一つ、気になることがあった。



「(なんか・・・目線が合ってない)」


女の子の視線が、少し自分とずれている気がする。

どこを見ているのだろうか?

振り返ってみても、なにもない。

五十は頭の周りに?をいくつも浮かべた。



「あ、の・・・」

「ん?」

「えっと、今、何か起きたんです・・・か?」

「へ?」


驚いた。この女の子は、自分の顔めがけて飛んでくる野球の硬球が見えなかったというのだろうか。

ということは、もしも自分がいなかったら彼女は顔面骨折をしていたおそれもある。

それは、いくらなんでも歌に集中しすぎ・・・



「私、目が、その・・・見えなくて・・・」

「え?あ、えっ、あ、Σあぁ!あーあーあーあーそういうことね!」


どうやら、文字通り“見えなかった”ようだ。

それなら尚更、自分が通りかかっていてよかった。

でなければ、この手の中に収まっている物体がこの女の子に大怪我を負わせていたかもしれないのだから。



「あの、それで、何が・・・」

「あーえっとねー、・・・。・・・うん、なんでもないよ!」

「え?でも、さっき、危なかったって・・・」

「気のせい!気のせいだった!なんでもなかったよ!」



なんとなく、今さっきまでの危機を口にするのははばかられた。

結局は無事だったわけだし、わざわざ教えて怖がらせてしまうのもかわいそうだったから。

それに、なによりも―


「それよりもさ、さっきの歌、続き歌ってよ」

「えっ、聞いてらしたんですかっ?」

「うん、ちょっと前から。なんていう歌?綺麗だね〜」

「Over The Rainbowっていうんです。オズの魔法使いってご存知ですか?」

「知ってる!」

「そのお話がミュージカルになった時に使われていた歌なんです」

「へぇ〜!」





なによりも、この歌が止まなくてよかった―

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