SILVER SOUL

□雨の中で
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桂は酷く憔悴していた。
真選組に追われて山へ入り、崖から転げ落ちてしまったのだ。
ペットであり相棒であるエリザベスは途中で逸れてしまった。
「まずい……な」
段々と霞んでくる目を擦りながら、桂は呟く。
人里へ出ればどうにかなるのだろうが、如何せん足を挫いて山を下る事など出来ない。
どうしようも無いまま、空が段々と曇っていくのを唯眺める事しか出来なかった。



ポツ、と雨水が頬に当たるのを感じて、土方は空を見上げた。
「チッ」
指名手配犯の桂を追いかけて山へ入ったが、見失ってしまい途方に暮れていた時に、この雨だ。
追う者にとっては不利な状況に、土方は思わず舌打ちした。
雨は直ぐに激しくなり、近くに雨宿りが出来そうな所を探す。
その時土方は泥濘の上に足跡があるのを見付けた。
そしてそれは点々と続いていて。
「見付けたぜ、桂……」
土方は雨が降った事に少し感謝し、歩き出した。



足跡を辿ると、大きな木の根元に座り込んでいる人影を見付けた。
土方は刀を抜き、そっと近付く。
ビチャ、と泥が跳ねる音に、人影――桂はビクリと反応した。
「土方……」
「観念しろ、桂」
土方の言葉に桂はフと自嘲的に笑う。
「好きにするが良い」
「えらく素直じゃねぇか」
「逃げようにも、足を挫いてしまってな。負ぶってくれ」
「何だと?」
土方は改めて桂の姿をよく見ると、あちこち擦り切れてしかも泥だらけの酷い格好である。
長い黒髪も、乱れてずぶ濡れになっていた。
それに、桂の話では足も挫いていると言うので、連行するには本当に負ぶるか何かしなければ無理な状況のようだ。
「マジでか」
「マジだ」
山道を、しかも雨の中男一人負ぶって歩かなければいけないという事実を突き付けられ、土方は思わずその場に座り込んだ。
「何だ、座り込んで。俺を連行するんじゃないのか?」
「誰が負ぶってまで連行するか。雨が止むまで待つ」
そう言って、ポケットから煙草を取り出す。
が、湿った煙草は火が点かなかった。
「チッ」
土方は舌打ちをして煙草を投げ捨てる。
「警察がポイ捨てして良いのか」
「五月蝿ェ」
煙草も点かず、唯雨が止むのを待つだけの空虚な時間が過ぎる。
眼前に広がる景色も見飽きて、土方は桂に向き直った。
「おい、お前はあの万屋とどういう関係なんだ?」
「……銀時か?」
「あぁ」
平生聞きたくても聞けなかった事を問うてみる。
桂の仲間であれば、捕らえなければならない。
「銀時とは只の昔の知り合いだ。今俺がやっている事とは何の関係も無い」
「昔の……ねぇ」
嘘を言っているかもしれない、と土方は考えたが、桂の顔を見てその考えを打ち消した。
懐かしそうなその顔は、嘘を言っている様には見えない。
「土方は、古い仲間とは仲良くしているのか」
「は?」
突然の桂の言葉に、土方は驚いた。
が、直ぐにその言葉の意味を理解する。
桂の昔の仲間――高杉は、今や穏健派となった桂と相対する過激派攘夷志士だ。
最初は桂と高杉は裏で通じているかもしれないと考えていたが、そうではない事が分かった。
高杉の暴走――昔の仲間の、桂さえも殺そうとしたと聞いている。
だからこそのさっきの言葉か、と土方は思った。
「さぁ、土方」
ひょい、と突然土方の前に細い手が現れる。
「……何だ?」
「雨、上がったぞ」
「あぁ……」
激しく降っていた雨は何時の間にか止んでいた。
夕立の類だったのかもしれない。
目の前に現れた手を握り、立ち上がらせる。
「痛っ……!」
「うぉ……ッ」
桂がよろめき、土方に倒れ込む。
受け止めた土方は、桂の細さと軽さに驚いた。
「おい……」
肩貸しても歩けねぇのか?と聞こうとして、土方は桂が小刻みに震えているのに気が付いた。
――泣いている。
幾度となく警察に追われ、悉くそれをかわして来た桂が。
今、敵である土方の腕の中で泣いている。
「……」
友の裏切りが悲しいのか。
自分が捕まる事への恐怖か。
土方は何も言わずに唯そのまま桂の涙が止まるのを待っていた。

「……すまん」
グス、と鼻を啜って桂が言った。
泣き疲れて又その場に座り込んでしまっている。
「別に……これ位、今までのお前に掛けられた迷惑と比べりゃどうって事ねェ」
「む……」
「さ、行くぞ」
そう言って桂に手を差し伸べる。
桂がその手に触れるかと思われた、その時。
突然土方の近くにあった木から白い物体が落下してくる。
……土方の上に。
「のぁッ!?」
「エリザベス!」
土方の上の白い物体は、途中で逸れた桂のペット、エリザベスだった。
「無事だったのか、お前……うぉっ」
ほっとした顔で喜ぶ桂を、エリザベスがひょいと持ち上げる。
土方は、エリザベスの落下の衝撃と重さで気絶していた。
今の内に、とエリザベスがそのまま逃げようとする。
「あ、待て待て、エリザベス」
慌てたように桂が言って土方の方に歩み寄らせた。
「こいつには少し借りが出来てしまったのだ」
エリザベスから降りて、泥で汚れた土方の顔をハンカチで拭いてやった。
「有難う、土方。でももう二度と捕まらんからな」
土方の耳にそう呟き、桂はエリザベスに抱かれて逃げ去って行った。



「痛ェー……」
数分後、土方がむくりと起き上がる。
そして、直ぐに桂の姿が無い事に気が付いた。
「マジかよ……」
あの状況で逃げられてしまった事に愕然とする。
「ここまで追い詰めといて、何なんだよ……」
やはりあの時負ぶってでも連れて帰れば良かったのかと後悔し始めた時、一枚の泥だらけのハンカチが目に入った。
「これ……桂のか?」
桂の落としていった物かと思い、拾い上げる。
何の気休めにもならないが、兎に角土方はそれをポケットに入れて屯所へ向かった。



「うわぁ、汚ねぇ姿ですねェ、土方さん」
「五月蝿ェ」
帰ってきた途端に、沖田に汚れた姿を笑われる。
「しかも桂に逃げられたんですって?本気で追いかけたんですかィ?」
「テメェと一緒にすんじゃねェ!!」
「そうですかィ?それにしては自慢のお顔が汚れて無いですよ」
沖田が言った言葉に、土方はハッと思い当たった。
そういえば、顔だけは泥の感触も無く気持ち悪くも無かった。
「……桂」
「は?」
土方の独り言に沖田は怪訝な顔をする。
「何でもねぇよ」
一人腑に落ちない様子の沖田を残して、土方はそう言って立ち去った。
ポケットに突っ込んだ手の指先に、泥の付いたハンカチの感覚を感じながら。












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