Nobel

□one room
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俺の部屋は嫌に無機質だ。四角い部屋の中には世界の情報を最低限把握するために置かれたテレビと、仕事で着るスーツが数着。他の服は床に積まれ、睡眠をとるためのベットは玄関から入って左側にある。その隣には家に持ち帰ってきてしまった仕事をするために置かれたガラステーブルがひとつ。冷蔵庫や洗濯機なんてものはない。食事はすべてコンビニやスーパーの惣菜で済ませ、衣類は週末にコインランドリーでまとめて洗濯する。そんな俺が住むこの部屋は、本来なら安心して過ごせる場所のはずなのに俺のことを全体で否定しているような気がしてならない。そんな殺風景なこの空間を、この部屋に来た初めての訪問者は「安心する」と言った。




その日はいつも通り残業が長引いて、いつも通り120円引きという赤いラインのはいった惣菜を買うためにコンビニに入った。いつも通り250円の弁当と二本のビールを買って、すぐに帰路に着く。なんの変徹もない、無機質な日だったのだ。その男と出会うまでは。
「お兄さん、そのお弁当、俺にくれない?」
連日の残業に疲れきっていた俺は近道をするためにネオン街を歩いていた。若い青年の声が耳に入る。野暮なことを聞く奴もいるもんだ。人様の弁当をくれだなんて。弁当族の俺は絡まれている相手に同情しつつも振り向かずにネオン街を抜けようとした。
「ねぇ、お兄さんってば」
…随分しつこいな。可哀想に。
「無視するなんて、酷いなぁっ」
「うぉっ!?」
不意に後ろに手を引かれ、あまりの力にその場で尻餅をついてしまった。どうやら声をかけられていたのは俺らしい。
「なんだってんだよ!」
「わぁ唐揚げ弁当!これもらっていい?」
振り向くとそこには、さっきコンビニで買ってきたものが入っている袋をがさごそと漁るオレンジの髪の青年が一人。あどけなさが残るその顔は、まだ未成年か、二十歳そこそこだろう。さっそく弁当の蓋を開け人差し指と親指で唐揚げを摘まみ、そのまま口に運ぶという一連の動作を唖然として見つめていた俺ははっと我に帰り、慌てて腰を上げ土埃の付いたスーツをはらった。
「おいアンタ、人様の晩飯を勝手に開けて食うとは。常識ってもんがわかんねぇのか?」
「じょーしき?」
なにそれ、と言わんばかりに首をかしげる。七個入っていた唐揚げは既に残り一個だ。もごもご、と口を動かしたあとついに最後の一個もその口の中に放り込まれてしまった。
「はぁ…ああもういい。そのビールもやるから、二度と人様に迷惑かけるんじゃねェぞ」
生憎疲れきっていた俺は説教をかます体力も精神も残っていなかった。何て日だ。いつもと同じ一日が、こいつのせいで散々だ。尻餅を付いた拍子に落としてしまった鞄を拾い上げ、オレンジ髪の青年に背中を向けて歩き出す。
「じゃあな」
「待って!」
ぴたりと足を止める。お次はなんだ?
「今晩だけ…今晩だけでいいからお兄さんの家に泊めてくれない?」


全く自分でも呆れるくらい俺はお人好しだと思う。必死に懇願され断ることすらできなかったのだ。聞いた話によるとこいつの名前は神威といって、家はないらしい。両親や兄弟のことも何一つ知らないと言った。それにしては小綺麗ななりだし、顔も悪くない。むしろいい方だ。話上手という訳ではないが女が放っておかないタイプだろう。
「お兄さんの名前は何て言うの?」
少しの沈黙の後ため息をついて無愛想に阿伏兎、とだけ答えた。変な名前。神威は楽しそうに一頻り笑った後、家に着くまで一度も口を開くことはなかった。そういえばこうして誰かと道を歩くなんていつぶりだろうか。いつも仕事に追われ、上司に振り回され、彼女を作ることもせずこの年になってしまったが。もしかしたら今こいつも、同じようなことを考えているかもしれない。月明かりに照らし出される二つの影と静寂の中に響く二つの足音が、何故かとても心地いいものに思えた。


玄関の前に着くと、ポストの中にいれておいた鍵を取りだし鍵穴に入れる。ふと思いだし、神威の方を向く。この部屋が如何に無機質かを先に言っておこうと思ったのだ。
「言っておくが、俺の部屋は何もないぞ」
「んー、どうだっていいよ」
本当に興味がなさそうに答えられ、内心ムッとする。ああそうかい。一言だけ呟き、中に案内する。ゴミは毎週きちんと出しているから服以外のものが散らかっていることはない。
「うわ…」
「だから言っただろ、何もねぇって」
神威は違う、と首を左右に振った。何が違うんだ?ネクタイを外しながら聞く。
「この部屋、なんか安心するね」
コイツは、なんでこうも突拍子もない奴なんだろう。ぽふっ、とベッドに腰掛けながら神威は言う。
「この部屋、なんか暖かい匂いがする」
目を瞑って横になる。俺には、神威が何を言っているのかわからなかった。俺はこの部屋に否定されている気すらしているというのに。
「…ああそうかい」
一言だけ呟くと、眠ってしまった神威に毛布をかけた。



続きます。

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