Nobel

□外道はどちらであったのか
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俺は無力なのだと、夕暮れに照らされた二人の影を見たときに初めて気付いた。俺はこの学校に転校してきたときから阿伏兎という男のことが好きだった。何度もキスをして、何度もセックスをして、何度も一緒に朝を迎えた。でもそんなのはただのお遊びで、恋をしていたのは俺たちではなく、俺だった。阿伏兎は他校の生徒であり俺のライバルである高杉晋助の腰に器用に腕を回し、高杉は当たり前のように阿伏兎の首に手を回した。触るな、触るなよ。俺の阿伏兎に、触るな。喉まででかかったとき、高杉は言った。テメェの居場所は端からねェよ。


高杉は笑っていた。阿伏兎の顔は見れなかった。ただただあの憎らしい顔や絡まる二人の唾液や繋がった秘部が頭の中をぐるぐると埋め尽くして、どうやってその場から動いたのかなんて覚えていなかった。気付いたときにはいつもの帰り道を歩いて、人を殴った形跡もない手をゆっくりと開くとくっきりとついた爪のあとからじわじわと血が流れ出すのがわかった。


高杉はいつもああだった。俺の大事なものをすべて奪っていく。力や権力だけではどうすることもできない、例えばそれは愛だとか地位だとか名誉だとか、そんなものばかりを俺から奪っていった。理由なんてものは明確で、きっと高杉は恨んでいるのだ。俺のことを恨んでいて、そして高杉が持っていなくて俺が持っているものが、憎くて仕方ないのだ。そしてそれは阿伏兎だって同じだ。阿伏兎も同様に、俺のことを恨んでいる。


俺は少し前に高杉に告白というものをされた。内容は至って簡潔で、ただ高杉が俺のことを好きだという内容だった。言っている意味もわからずに俺は笑って言った。ごめん、気持ち悪いよ。高杉は心底驚いたような顔をしてから、俺を壁の方に寄せ覆い被さるようにしてキスをしてきた。貪るような、食い尽くすような、乱暴なキス。俺は高杉の腹に蹴りを入れ、その衝撃で後ろに退いた高杉に何度も何度も殴りかかった。なんでだよ、なんでこんなことするんだよ。高杉は反撃してこなかった。ただただ笑いながら、阿伏兎のことを思い涙を流す俺の顔を見ていた。その目は増悪に満ち溢れていて、手を止めると高杉は言った。お前は絶対に、後悔する。


そのとき俺は、何かあったら俺が阿伏兎を守ればいいのだと思っていた。ただそれはとんだ計算違いで、高杉は直接的な攻撃は仕掛けてこなかった。だから俺は安心して、すっかり忘れていたのだ。高杉晋助は、まともな奴じゃない。


最初は俺も高杉の大切なものを奪えばいいと考えていた。でも見つからないのだ。数人いた仲間のどれかを殺したって、腕を奪ったって、高杉はいつだって俺のことしか見えていない。俺は、大切なものを背負いすぎたんだ。阿伏兎、ごめん。俺のせいで阿伏兎が傷付くくらいなら、俺が犠牲になった方がまだましだと、そう思っていた。


家に帰ると、ふたつずつあった色違いのコップやハブラシなんてものをすべてゴミ箱に入れて袋に蓋をした。もう、おしまい。何かを無くすことを恐れているから、守りたいものがあるから、俺は弱いのだ。無力の原因を根絶やしにして、俺は明日の計画を立てた。


朝になり家を出ると、驚くことに出てすぐのところにある電信柱に寄り掛かる高杉がいた。なんで、いるの?ポーカーフェイスは崩さない。高杉も鼻で笑って、すぐに俺に背を向けた。
「高杉は、俺のことが好きなんだよね?」
「…ククッ、昨日のアレを見て、よくもまぁそんなことが言えたもんだな」
お前が言ったんだよ。くるりと振り返った高杉の目はやはり増悪に満ちていたが、その中に煌々と光る情欲があった。
「提案があるんだ」
背丈もそう変わらない高杉の腰に手を回す。勿論頭にあるのは、昨日の阿伏兎の手だ。厭らしく腰から首にかけてなぞるように移動させる。高杉は微動だにせず、俺の思惑を知ってか知らずか俺の首に手を回してくる。早く言えよ、と高杉は待ちきれない子供のような目で俺を見てくる。じっとりと湿った舌が俺の首筋をなぞり、耳元に熱い息がかかる。
「俺を、高杉のものにしてあげる」


高杉はそのまま俺に覆い被さり、告白されたときよりも激しいキスをしてきた。歯列をなぞり顎を融かすような甘いキスに、脳がじりじりとする。唾液を流し込まれ、飲み込めなかった分が口の端しを伝い落ちる。阿伏兎、ごめん。やっぱ俺、好きみたいだ。ペロリと口の端しを舐める。高杉は満足そうに含み笑いをして、もう一度キスをしようとしてくる。それを静止して、俺はポケットからナイフを取り出す。これで、茶番は終わり。


「これで、俺は誓ってお前のものだよ」
勢いをつけて心臓めがけてナイフを突き刺す。あーあ。やっぱりすぐには死なないか。ゆらゆらと足元が揺れる。


憎くて憎くて仕方ない高杉を貶めるのなら、俺が死ぬのが一番の選択肢だろ?


吹き出す血を眺めながら暗がりに堕ちていく。高杉のこんな顔、初めて見た。何、泣いてるの?笑っちゃうよ、ほんと。あれ、泣いてるの?俺?なんだろ、これ。痛くないんだけど、冷たい。喉が焼ける。あーあ。あーあ。


最後くらい阿伏兎に抱き締めてほしかったなぁ。

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