Nobel

□ロスト・バレンタイン
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ガタンゴトン、隣で響く音も聴こえないふりをして、線路沿いの小路を歩く。左手には足にぶつかる紙袋、右手は桜の花びらと一緒に宙をぶらぶらと散歩している。




ロスト・バレンタイン




バレンタインはとっくに過ぎた。甘ったるいチョコレートが鼻を掠めて、町の景色までどろどろにとけたチョコレート色に見えた2月14日。ホワイトデーもとっくにすぎて、町の喧騒の中ひっそりと砂糖菓子の香りがする、3月14日。今日は特になにもない日。ただの三月。桜が咲き始めた、ただの、三月。隣には、季節問わずチョコレートとかケーキとか砂糖菓子とか、とにかく具合が悪くなるくらい甘い臭いを漂わせている、妹の担任。綿菓子みたいにふわふわふらふら、髪の毛と一緒に心までどこかにいってしまう、そんな気がして不安になって、ぎゅっと腕を掴む。好き。甘い。チョコレートより甘いし、お菓子よりも好き。


やっぱり綿菓子はふわふわしていて、でもやっぱり芯はしっかりしている。口の中ではすぐ溶けるけど、食べた後もべたべたまとわりつくみたいな。食べ飽きて捨てようかな、って思うんだけど、でもやっぱりまだ食べたいな、って思う、癖のある、砂糖。掴み所のない砂糖菓子。取られたくないな、って思う。うまく言葉にできないけど、とにかくそんな奴。だと、俺は思う。

毎日放課後には校舎に忍び込む。だいたい誰もいない教室にソイツはいて、だから俺はセーラー服を纏ってその放課後だけ特別に女の子になる。スカートは嫌いじゃない。髪の毛をほどけば緩くかかったパーマからシャンプーの香りがする。こんな匂いじゃない。俺が求めてるのは。こんなのじゃなくて、あの、頭が痛くなるくらいの、砂糖菓子。


ソイツは俺を疑いもしなかった。それが女の子としてだったら良かったけれど、最初からその砂糖菓子は俺を男として抱いた。キスはとてつもなく甘い、チョコレートみたいな、どろどろ溶けてく感じの。それだけで逝きそうになる。なんの、チョコレートだろ。その日から俺は毎日毎日チョコレートのお菓子を作って、ソイツに届けた。そして、セーラー服を纏って、秘密の女の子になって、男とした抱かれた。


春は二回過ぎた。髪の毛も伸びた。スカートの丈は短くなったけど、体重も体型もそんなに変わらなかった。お菓子を作るのは、とてもうまくなった。ソイツはもう俺の作った菓子以外は食べれなくなった、と言ってくれた。でもやっぱりソイツのキスは甘かった。どんなお菓子よりも深くて甘くてふわふわしていて、だからポケットから覗いている他の女の子から貰ったであろう綺麗で可愛い手作りお菓子の空の袋を、見て見ぬふりをした。


「何処かへ行ってしまおうか」
その日のキスは、今までで一番甘かった。それは、ソイツが俺のことなんて眼中にないぞっていってるみたいで、誰にも邪魔されない、そんな場所に二人だけでいってみたくなった。窓の外にはたらちらと雪が降る、ホワイトバレンタイン。
「…今日はチョコレートくれないんだな」
だって、バレンタインデーは女の子が男の子にチョコをあげる日だもん。そう言ってもう一度キスをしてこようとするソイツの唇を人差し指で押さえる。
「俺たちは、どっちも男だよ」


死刑宣告かよ、ソイツはそういうと、緩めたネクタイをしっかりと上まであげながら綿菓子みたいな雪みたいな髪の毛を揺らして、教室から出ていった。俺にはガラガラ、というドアの音の方がよっぽど死刑宣告みたいに聴こえた。まるで、つみきが崩れた音。しにたい。ぽろぽろと落ちていく涙をぬぐって、鞄に隠していた紙袋を出す、2月14日。


「今日は、男がチョコレートをあげてもいい日」
なんの悪気もなくソイツは右手をだす。左手は俺の腰を撫でる。そして、甘えるような、ねだるような、キス。口元についたチョコレートをぺろりと舐め取ってやる。わかってる。この男は、俺以外のチョコレートも食べている。だって、
「先生は、甘いものが大好きだもんね」
そうだね、そういう声はいつも以上にドロッドロ。バレンタインの日なんかよりも溶けきっている。溶かされている。今日は、ホワイトデー。男が、チョコレートを渡す日。
「先生、俺が男でも女でも、本当は興味ないでしょ」
セーラー服をぬいで、薄っぺらい体にスカートとソックスだけになる。なんの魅力もない、ただの男の体。それなのにソイツは、どんなお菓子よりもおいしそうに、俺の乳首を舐め回す。甘い。甘いよ。出そうになる声を必死に押さえて、
口元を手で覆う。涙は、止められない。はじめて作ったガトーショコラ、失敗したから渡さずに、鞄の奥にしまった。少し貰えるかもと期待したチョコレート、貰えずに傷つく3月14日。卒業式。


離任式なんていつもは行かないけれど、最後くらいいってもいいよ、そんな思いで学校にいくと、校門にはソイツがいた。右手に、紙袋をもって、男の俺を、迎えに来た。


「何処かへ行ってしまおうか」
そういうとソイツは、紙袋をこっちに投げる。桜の花びらはひらひらと舞って、西から吹く風はソイツの甘ったるい匂いを運んできた。はじめて会ったときに嗅いだ、ソイツの甘ったるい砂糖菓子の香り。揺れる綿菓子。視線は泳ぐ。


「ショートケーキ。お前っぽいと思ったんだ」

嘘つき。違うでしょ?

「……俺の、一番好きなケーキだ」


混ざる、混ざる。砂糖菓子、生クリーム、苺の、甘酸っぱい香り。ドロドロに溶けきったチョコレートは、さらさらの砂糖に飲み込まれてしまう。


「何処に、いこうか」




ガタンゴトン、隣で響く音も聴こえないふりをして、線路沿いの小路を歩く。左手には足にぶつかる紙袋、右手は桜の花びらと一緒に宙をぶらぶらと散歩している。となりは、砂糖菓子。俺は、ショートケーキ。

甘い甘い、春のはじまり。




ロスト・バレンタイン

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