長編

□雨の日の災難
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 突然びしょ濡れになった。一瞬で、シャツとスラックスはびっちゃびちゃ。パンツも一瞬の次の一瞬で濡れた。
 上から水をぶっかけられたかと思ったけど、ザアア、と止まない音と水と、けぶった視界でピンとくる。雨だ。

 ああ、そういえば。
 夕方、にわか雨が降るかもしれないって、天気予報のお姉さんが言ってたな。
 ……なーんて、呑気に思っている暇はない。

「うわっ、冷たっ」

 鞄を抱えて走る。こんなびしょ濡れじゃあ、頭上に鞄をかかげて傘代わりにしても意味ない。むしろ鞄の中身が濡れないように抱え込む方がいい。
 通学路を走って、店じまいしたのか閉店してるだけなのかよく分からない店の屋根に避難する。そして一息。

「……にわか雨ってどれくらいでやむんだ…?」

 独り言で聞いてみるけど、もちろん答えは帰ってこない。
 やむまでケータイでもいじっていよう。というかケータイ、無事だろうか。スラックスのポケットからケータイをだして確かめる。大丈夫だった。防水加工グッジョブ。
 ケータイゲームでもやろう。そう思ったけど、俺はボタンを押す手を止めた。誰かがこっちに向かって走ってくる。
 その誰かは、俺の横で、つまり屋根の下で立ち止まった。赤い髪、赤い目、うちの制服。俺にはその姿に見覚えがあった。


「……赤司、征十郎……」


 思わずフルネームで言ってしまうと、赤司はこちらを向いた。赤い目は静かに俺を見ているのに、射すくめられているような感覚になる。

「オマエは……清水啓太か」

「……知ってんの、俺の名前。クラスも部活も違うのに」

「全校生徒の顔と名前は覚えている」

「へ、へえ……」

 当然のように言ってるけど、それってかなりすごいことだよな…。こいつが一部から様付けされている理由が少し分かった。
 ちなみに、俺が赤司を知っているのは、赤司が学校で有名だから。赤司を知らない生徒はいないだろう。

 改めて赤司を眺める。身長は平均以下だけど、綺麗な顔。それに加えて文武両道だから女子が騒ぐ。

 赤司は俺から目を離して前を向いた。沈黙が気まずい。この王様のような人に話しかけるなんて、普段はできない。けど、気まずいのは嫌で、今は普通からややずれていて。俺は口を開いてみた。

「……赤司でも傘忘れたりするんだな」

「さすがに二つは持ってきていない」

「へ、へえ…」

 誰かに貸したのだろうか。
 会話が途切れる。どうしよう沈黙が痛い。何か話の種を探そうと、また赤司を観察する。濡れて肌に張りついた髪、シャツ、スラックス……あれ。


「赤司、胸怪我してんのか?」

「は?」


 透けたシャツの向こうの胸に巻かれた包帯が目に入って、気になって聞いてみると、前を向いていた赤司が俺に顔を向けた。なんだか驚いている。

「だって包帯巻いてる」

「え、……あ……」

 赤司が慌てて胸元を鞄で隠した。怪我は誰にも秘密なのだろうか。それとももしかして。


「痛むのか?」


 痛くて胸を押さえてる?
 赤司は難しい顔で黙っていた。答えるのが難しいくらい痛いのかもしれない。

「痛い?」

「…いや、ちがう、痛いとかじゃなくて」

「……もしかして、包帯きつく巻いてんじゃないか? だからキツくて苦しいとか」

「え、」

 見せてみて、と赤司の鞄をどかせようとすると抵抗された。嫌がってるならやめた方がいいのだろう。でも赤司は苦しそうで。どうしたらいいのか分からなくて、俺は固まっていた。

 どうすればいいか考えていたからかな。三人目がこの場に来たことに気付かなかった。
 ぐい、と襟首を後ろに引かれる。


「何してるのだよ」


 ちょっと変わった語尾。振り向いて見てみると、高身長の眼鏡男子がいた。こいつも学校の有名人。緑間真太郎。同じクラス。

「オマエ……高水か」

 清水だけど。違うクラスの赤司はフルネームで知ってくれてんのに、同じクラスのお前が名字も間違うってなに。

 ……と言いたかったけど、緑間はすぐ赤司の方へ向かったので言えなかった。緑間は俺を視界に入れていたけど、意識は最初から完全に赤司のところみたいだ。アウトオブ眼中俺。

「緑間…なんでここにいる」

「桃井が、オマエが傘を貸してくれたと申し訳なさそうに言っていたからだ。一本しか持ってきていないくせに、なぜ貸すのだよ」

「女が体を冷やしたら駄目だからな」

「それを言うなら、オマエだって…」

 と、緑間はそこで話すのを止めた。ちらりと俺を見る。俺がいなかったら、話すのを止めたりはしなかったんだろう。邪魔で申し訳ない。
 申し訳ない、けど、まだ雨宿りさせてください。
 数秒雨の音しか聞こえなかったが、ややあって赤司が喋りだす。


「……どうしよう緑間。透けた」


 シャツの、包帯のことを言ってるんだろう。


「…取り敢えず、これを着とけ」


 衣擦れの音。緑間、今日は夏なのにブレザー着てたから、それを着せてやってるんだろう……本当、夏なのになんでブレザー。

「ありがたいけど、どうしてブレザーを着ているんだ…?」

「今日のラッキーアイテムが白いブレザーなのだよ」

 …そうなんだ。
 横目で赤司を見てみる。緑間のブレザーをぶかぶかに着ていて、胸の包帯はもう見えない。
 緑間がタオルで赤司の髪を拭いてやっている。「体を冷やすな」と小言を言いながら。
 何だろう。これ、まるで、


「赤司女子扱いだな…」


 ひゅんっ、と何かが俺の頬をかすめて通りすぎた。背後でかちゃ、と音がして、足下でもう一回、かちゃ。
 見てみると、何の変哲もない鋏が落ちていた。



「おかしなことを言うな」



 平らで冷たい声。
 冷たい目で赤司が俺を見上げている。見下ろされている気分だ。赤司の背後に大蛇が見える……違った。緑間だ。緑間が大蛇に見えた? いやいやそれはない。
 俺のすることは一つ。



「申し訳ございませんでした!」



 瞳孔をかっ開いている同級生に土下座すること。


 しばらくの沈黙の後。ふわ、と俺の頭にかかる、柔らかいなにか。
 頭を上げると、タオルがずり落ちてきた。赤司がさっき使っていたやつだ。


「使え」


 緑間のさす傘で雨から守られている赤司が言った。いやこれ緑間のだよね。


「じゃあな、清水」

「…………」

「緑間」

「……また明日、なのだよ、高水」


 赤司に促されて渋々言った緑間。俺嫌われてんの? あと、俺清水だって。直前に赤司が言ってただろ。
 二人が去っていく。遠ざかる赤と緑を見て、俺は何となくクリスマスを思い出した。そして、タオルで頭をがしがし拭く。

 何でだろう。女の子の匂いのような、甘い匂いがした。



* * *



 翌日。洗って乾かしたタオルを緑間に返した。なぜか睨まれる。この後赤司に返そうと思っていた鋏を、「オレが渡しておく」と言われて取り上げられた。そしてまた睨まれる。


「タオル……匂いを嗅いだりしてないだろうな」


 ……なぜバレた。



END.



* * *
なぜモブ視点。なぜモブところどころ変態ぎみ。
赤司がサラシについて指摘されて狼狽えていたのに、緑間が来たら強きになったのは、安心したから、です。緑間は新しい鋏を買って赤司にあげて、清水くんから取り上げた鋏は捨ててそうな…。清水くんすみません。
モブ視点楽しい。にょた隠してるの楽しい。

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