長編
□衣替えパーティー
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学園祭、一日目。
僕は冷房が効いた教室の中、人が来るのを待っていた。教室内は電気が消され、黒いカーテンが隙間なく引かれ、暗い。
僕らのクラスの出し物は、お化け屋敷。僕は血塗れの軍服を着て顔に怖い化粧を施された状態で、出口付近に立っている。真太郎の希望がこんなところで叶えられていた。
さっきから、聞き覚えのある声が悲鳴をあげている。何しに来たんだアイツは……頭を抱えたが、こめかみを揉んで立て直す。今の僕は西洋風落武者・セージューロー=シザー=アカシだ。
「聞き覚えのある声」が段々と近付いてくる。バスケの仲間だろうと容赦はしない。僕は呼吸を静かにした。
やがて、声の正体がやって来た。懐中電灯で行く先を照らし、恐々と歩いている。
僕は彼の前に立ちはだかった。
「ここは通るな。引き返せ」
「あ、赤司っち…! めっちゃくちゃ怖い格好してるっスね!」
「聞こえなかったか? ここは通るな。引き返せ」
「いやいや、出口その先でしょ? 通してくださ――」
動かない涼太に、鋏を持った右手を突きさ――そうとして避けられた。
「あわ、ちょ、ええええ!? ええええ!?」
「僕に逆らう奴は親でも殺す」
「えええええ!? 今突き刺す気だったっスよね!?」
「お前なら避けられると信じていたよ」
「嬉しいけど、えええええ!?」
他のお客さんにもやってるんスか? との質問に、素直にうん、と頷く。すると涼太の目が、誰かに同情するように遠くを見た。
「言っておくけど、他の人には掠めるようにしかやってないからな」
一般人にすさまじい反射神経は期待していない。
涼太は「当たり前っス!」と叫んでから、胸を撫で下ろした。やっと驚きが直ったらしい。
僕は後ろからやって来た一般客に涼太と同じこと(鋏は掠めるようにした)をしてから、涼太に向き直った。
「赤司っち容赦ねえー…」
「容赦? したけど」
「腰抜かしてたっスよ女の人!」
「彼氏が支えていたぞ。イチャイチャできていいじゃないか」
「…あ、たしかに」
「それより。お前どうして、ここに来たんだ?」
まさか遊びに来たわけじゃないだろう。
涼太は頬を掻いて明るく苦笑した。
「遊びに来たのと、赤司っちを呼びに来たっス」
「呼びに…?」
「もうすぐコンテストっスよ。準備しないと」
「……あ」
客に鋏を突きつけるのが楽しくて忘れていた。
明日十時半から始まるコンテストの為に、今日十一時までにエントリーしないといけない。
ただ今の時刻は、十時五十分。エントリーを受け付けている体育館まで、急いで行かないと。
僕はクラスメイトに断りを入れて教室を出た。涼太と一緒に、小走りで体育館へ向かう。
「他のみんなは?」
「クラスのことで忙しいみたいっス。あ、黒子っちはちょっと前にエントリーしてたっスよ」
「そうか」
何とか間に合ってエントリーを済ませる。軽く上がった息を整えていると、ふと涼太と目が合った。二人して笑う。
明日は遅刻しないようにしよう。そう、心に決めた。
* * *
学園祭、二日目。
僕はまたしても涼太と廊下を走っていた。
「またギリギリっスよ! またハサミ突きつけてくるし!」
「ハサミについての文句はさっきも聞いた。ギリギリについては……うん、すまないな」
鋏がやっぱり面白くて。涼太に迎えに来られ、気付いたら十時十分。部室に行って着替えて、体育館に行かないといけない。
「赤ちん来たよー」
ドアを開けたら、キセキの世代全員が揃っていた。学園祭実行委員の黄色い腕章を左腕に着けたさつきが、化粧道具を両手に顔を上げた。
「赤司君! よかった、間に合って」
「すまない。忘れていた」
「そんなにクラスでいるのが楽しかったんですか?」
まあね、と曖昧に答えてテツヤを見る。黒いブレザーと膝上のスカートにグレーのシャツ、水色のネクタイ。ネクタイやリボンは自由にしていいうちの学校の、女子の制服。足は黒いタイツに包まれていた。さつきに化粧を施された顔はかわいらしくなっている。
「学校の男子の好みを調べたらね、ハイソ派二割、ニーソ派五割、タイツ派三割だったの」
だからニーソと迷ったんだけど、テツ君の雰囲気ならタイツの方がいいかなって。
そう、伺うように言ってくるさつきに、十分だと伝える。男子全員の調査を行ったらしいその情報通には恐れ入る。
テツヤが肩につく程度の長さの、本人の髪色と同じ色のウィッグを頭につけた。「ボクは今から黒子テツナです」分かったよテツナ。
テツナの姿をケータイでパシャパシャ撮るさつきがいると、着替えていいのか分からない。困っていたら、察したさつきが「気にしないで」とテツナを撮った。
「赤司、結局何アピールすんだ?」
着替え途中、部室の隅に置かれた長細い黒い包みを尻目に、大輝が聞いてきた。それは皆も疑問だったようで、口々に大輝と似た言葉を口にする。
着替えを終えて包みを手に取って皆を振り返る。知りたそうな顔をしているから、秘密にしたくなった。人差し指を口の前に立てる。
「本番で分かるよ」
パシャパシャパシャパシャパシャ。
五つのケータイがシャッターを鳴らした。
* * *
「エントリーナンバー41番…バスケット部代表、黒子テツヤ君こと黒子テツナさん! アピール内容は『歌』です!」
静かに舞台に上がった黒子を見て、観客が「あんな奴うちにいたっけ?」などと言うのを見て安心する。唯一の懸念は、テツナが皆に認知されないことだった。杞憂だったようだ。
テツナが粛々とお辞儀をする。マイクを両手で握るその姿は、何だか儚い。どこからどう見ても長身女子だ。エントリーナンバー1番のラグビー部代表を見た衝撃がまだ残っているから、余計そう見えるのかもしれない。
僕は舞台袖で彼――彼女を見ているから、彼女が大きく息を吸ったのが見えた。早まっていた彼女の鼓動がゆっくりになる。
次の瞬間、体育館をテツナの声が埋めつくした。天井も隅っこも、それでいっぱいになる。
声はやはり男のものだったが、それでもやっぱり、耳が犯されるような綺麗な声だった。体の芯と脳みそが痺れる。
アピール時間は長くて三分。もっと聴いていたいと思ったが、テツナの歌は時間制限を守り、ゆっくり収束した。
一拍遅れて轟音のように鳴る拍手。耳が痛いが、それはテツナが認められている証拠だった。
「どうでしたか赤司君」
息を切らせたテツナが駆け寄ってきた。褒めてもらいたいという思いが全面に出ている。涼太みたいだ。
「すごかったよ。耳が犯されるような感じがした」
「みっ、耳攻めですか…!?」
テツナの頬が紅潮していく。そのものズバリな表現をしたが、テツナには低俗な言葉に聞こえたらしい。
「低俗な言い方をしてすまないな。他の言葉を使うなら、……」
「いえ、侮辱されたと思ったわけではありません。最高の褒め言葉ですよ」
ちゃんと伝わっていたらしい。
互いの呼吸の間が揃い、数瞬静寂が生まれた。丁度その時、最後の出場者が舞台に出ていった。
「エントリーナンバー45番、相撲部代表、北条実頼君こと北条実子さん。アピール内容は『四股』です!」
ステージで、随分と肉をつけたチアガールが懸命に四股を踏んでいた。
* * *
スタコンが始まると、テツナはどこかへ行った。見えなくなったのではなく、どこかへ行った。
昨日締め切り時間ギリギリにエントリーした僕の出番は、かなり最後の方だ。もしかしたら最後かもしれない。
男装美人が現れたり、またも相撲部が現れたり、コンテストは笑いと騒がしさと共に進んだ。43番がアピールを終え、舞台袖に引っ込む。僕は左胸の「44」のワッペンを握りしめた。
ステージに出てくらりとする。体育館中人で溢れていて、体を照らすライトが熱い。
緊張もビビりもしないけど、驚いた。
「エントリーナンバー44番、バスケ部代表、赤司征十郎君! アピールは『剣舞』です! バスケをするのかと思いましたが、違うんですね」
司会は時たま、言う義務がないことも言う。コンテストを盛り上げる為のようで、僕はその「時たま」に選ばれたらしい。
「ゴールが使えないからね。他の特技を使わせてもらうよ」
「その包みは何ですか?」
部室でも聞かれたことを、今度は曖昧に笑って見せてはぐらかす。
僕は今、裏葉柳色の紋付きと、松葉色の袴を着ている。今から始めることに合った衣装だ。本当は鉢巻きやタスキもいるのだけれど、魅せるにはそれらは余計に思えた。
黒の包みを取り払って懐にしまう。出てきたものを見て、司会が息を呑んだ。
「に、日本刀ですか…!?」
「模造刀だけれどね。本物は持ってくる許可がおりなかった」
そろそろアピールしないと、後がつかえる。僕は軽く深呼吸して体育館を見渡した。最前列にビデオやカメラを構えたカラフル集団を見つけて笑いそうになる。体格がいいのが四人いるから、後ろの人は見えにくそうだ。
剣舞。高校生が行うにしては珍しいゆえに、誰ともかぶらず、人を魅せられる。
意識に自分だけを残すようにして、少しかがめた腰の左に刀を携える。息を止めて、吐くと同時に抜き放つ。白刃がきらりとライトを反射した。
敵を斬り伏せるように刀を薙ぐ。舞うように体を踊らせる。実際戦っている時、こんな風に舞いながら斬るなんてできないだろう。だがこれは戦いではなく、見せるものだ。
一分程舞って、刀を鞘に戻す。一瞬の静寂の後の拍手。耳が痛い。舞う前より熱気が強くなっている。
優勝できたわけではないけど、達成感が体を焦がした。バスケで勝った時みたいだ。
ちょっと気になって、カラフル集団がいる場所を見てみる。五人共、構えたビデオやカメラから目を離して、僕に笑いかけていた。
衣替えパーティー
* * *
参考までに。
裏葉柳色はこれ。
松葉色はこれ。