長編

□月蝕のようにかくれんぼ
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 普段からあまり人が来ない体育館と体育館倉庫の間。幅は僅か二メートル。足元はコンクリではなく、固い土。
 誰もいないそこで、ケータイで明日からの予定をチェックする。周りが薄暗いから、夕方の屋外でも画面が明るい。
 ああ、明後日は課題テストがあるようだ。一学期始業式の一週間後に学園祭がある帝光高は、課題テストの日が他の高校より遅い。


 ザッザッ、と複数人の足音がして、僕はケータイから目を離した。同時に五人の男子生徒が現れる。全員顔見知りで、僕よりひとつ上の三年生。


「呼びつけておいて遅刻とは、良識ある人間としてなってないと思いますが。先輩方? 僕が育てたあいつらの方が、人間としてなっている」


 あえて失礼な物言いをすると、五人は気色ばんだようだった。自分の立場が分かっているのか、という意味の言葉を暴力と共にぶつけられる。避けるわけにはいかず、暴力は出来る限り受け流した。
 ただ数十分、殴られて蹴られていればいいだけのこの話。ちなみにこれは体罰でもなんでもない、単なる理不尽。八つ当たりの矛先。



 始まりは、中学一年の半ば。僕がまだ自分を「オレ」と読んでいた頃。涼太がバスケを始める前のこと。テツヤを見出だして少しした日。
 とっくのとうに一軍に上がっていた僕、大輝、敦、真太郎、テツヤ――あとは灰崎。一軍にいられる人数には限りがあり。悪い言い方をすれば、僕らは一軍にいた人六人を引きずり下ろして上に上がったのだ。
 一年で一軍というのは異例なことらしくて。つまり降格した六人は、一年の頃努力して、二年になってやっと、一軍に上がってきた人達だ。それを入学して半年もしない一年があっさりとやって来たら堪ったものではないだろう。


 そう。それだけでも十分、はらわたが煮えくり返っていたに違いない。


 僕らを逆恨みしていただろう彼らがぶちギレたのは、彼らが一軍にすらいられなくなってしまった、夏頃。秋が近い、夏の終わり。
 ぶちギレたというのは、その場で大暴れした、という意味ではない。僕らに理不尽な仕打ちをしないよう彼らを縛っていた糸が、ぶちギレたのだ。

 彼らが一軍から消えて数日後が、記念したくもない、記念すべき後輩虐め初日。昼休みに空き教室に呼ばれて、色々言われた。
 他の日だってよく覚えているけれど、あの日のことは特に鮮明に覚えている。



* * *



 一年一軍メンバーに危害を加えられたくなければ、自分達の言うことに従え。

 そう言われた時胸を満たしたのは、もちろん安堵。僕さえ言うことに従っていれば、五人は守れる。
 しかし少し気になった。僕らは六人で先輩六人を一軍の座から押しのけたのだ。どうして無条件に僕ら全員を襲わないのだろう。
 リーダー格の男に、それとなさを装って尋ねてみる。

「お前がいなければ、青峰達はあそこまで育たなかった。お前がいなきゃ誰も二軍行きになんかならなかったんだよ」

 一軍である大輝達は、テツヤを除き、僕なんかいなくても一軍に行ける奴らだった。先輩方は、僕があいつらを育てなければ一軍にいられたと勘違いしていた。
 僕が大輝達を放って先輩方を育てても、僕らは一軍に行っていただろうけど。
 しかしまあ取り敢えず、先輩方が大輝達をそこまで恨んでいないことは分かった。だからやはり、僕が先輩方に従えば、あいつらの安全は保証されるわけだ。
 大輝と敦と灰崎が喧嘩に負けるとは思えなかったが――暴力以外にも、相手を痛めつける方法はある。
 僕は、先輩方に逆らわないという方法以外に大輝達を守りきるすべを持っていなかった――持って、いない。


「…オレでよければ、お好きにどうぞ」


 それは、先輩方が卒業するまで――一年と数ヵ月、続き。
 僕らがまたも彼らを押しのけ一軍に上がり、僕が主将となった去年の冬、再開した。



* * *



 ひとしきり僕に殴る蹴るの暴行を加えた後、先輩方はどこかへ消えた。いつの間にか横向きに倒れていた僕は、重心を移して仰向けになる。
 正面にある空はほとんど紺色。後夜祭は、もう始まっているだろうか――まだだろう。後夜祭は校庭で行われるから、始まればさすがに気付く。
 今は二年の四月。中学一年のあの日と比べるとかなり酷くなった嫌がらせは、高校二年の三月、どんな風になっているだろう。
 彼らの――元主将の僕に対する憎悪の深さは、簡単に想像できる。きっと僕の想像の及ばない深さなのだ。二回も主将の座を奪われたのだし。理由は恐らく、それだけではないが。


 ガヤガヤと人の音がする。適度にざわめくこの世界で、ケータイのバイブ音を聞き取れたのはどれくらいすごいことなのだろう。
 寝転がったまま、右肩から先だけを動かしてケータイを取り出す。表示された名前は、


「……もしもし」

『てめ今まで何してたんだよ!! 散々無視してくれやがって!!』


 きん、とハウリングしたような耳鳴りが右耳を貫いた。ケータイで大声を出すということは耳元で大声を出すということだ、と分かっていないバカが、電波で繋がった先にいた。
 短絡的にムカついて通話を切った――途端に震える四角い機械。次に表示された名前を見て、コイツなら怒鳴らないだろうと通話ボタンを押した。


『赤司。オマエの耳を攻撃した青峰は桃井が殴った。だから切らないでくれ』

「……後夜祭にいる。大輝には、明日外周三十周だと伝えて」

『後夜祭は校庭中で行わ――』


 申し訳なく思いつつも通話を切る。着信のお知らせがあったので確かめてみると、百件以上来ていた。全部がキセキからだ。一人約二十回の計算になる。心配しすぎだろう。
 またしても着信が来たので電源を切る。
 腹筋を使って起き上がろうとして、蹴りと殴りを受けた腹が痛んだ。
 顔や髪についた砂ぼこりを払う。砂ぼこりに加え擦りきれかけた箇所もある着物は――制服に着替えた方が手っ取り早い。


 部室には幸い誰もいなかった。鍵を閉めて着替える。地面ですった背中と布が擦れて、疲れた脳を活性化させる。
 袴と腕から紋付きを抜き取って落とす。ワイシャツを着てネクタイを締める。帯を緩めて袴を落とす。ズボンをはいてベルトを締めて、ブレザーに腕を通す。
 脱ぎっぱなしの着物を畳んで鞄に入れて持って、模造刀を入れた包みを背負って部室の鍵を開ける。後夜祭に参加する気はない。キセキ達もしばらくは僕を探すだろうけど、その内諦めて行事を楽しむだろう。
 ガチャン、と音を立てて、ドアが開いた。ドアノブを掴もうとした僕の手は宙を引っ掻いてバランスを崩した。
 電灯の明かりがない薄暗い空間で、真太郎は眼鏡の位置を直した。


「…鍵がかかっているからおかしいと思ったら……やはりここにいたのか」

「ドアを開けようとしたのか? 気付かなかったな」

「帰るのか?」


 すっかり帰り支度を整えた僕に、真太郎の眉がひそめられる。後夜祭にいると言った人間が帰ろうとしているのだから、当然だ。
 曖昧に頷いて真太郎の横を通り抜ける。赤司、と名前を呼ばれた。真太郎の声は静謐で、黙って帰ろうとした僕を責めてはいない。
 呼ばれて足は止めたけど、何となく振り向けない。硬直して真太郎の次の動きを待つ。すると遠ざかる足音、物音が、鼓膜を震わせた。


「オレ達も、帰るのだよ」


 オレ達“も”。テツヤも、大輝も、涼太も、真太郎も、敦も、さつきも。帰るのか。まさか僕に合わせてではあるまい。
 振り返った先で、六つの鞄を持ったパシリのような伸太郎が、近付いてくる足音を響かせた。






蝕のようにかくれんぼ






 

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