長編

□木馬の回転事情
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 学園祭から一週間。お祭りの浮わついた空気は一昨日くらいになりを潜め、学校は、完全に日常の雰囲気に戻っている。
 大輝が無事にテストの赤点を免れたので、帝光高バスケ部一軍・キセキの世代は、今日も揃って練習をしている。バッシュが床を擦る音が、ボールが床に叩きつけられる音が、蔓延する熱気が、何より僕らを日常に戻す。
 時計の針が休憩時間を指すのを見て笛を鳴らす。瞬間テツヤが、くたりと仰向けに倒れて息を整えだした。そんなテツヤの手にスポーツドリンクを握らせてから、二軍三軍の様子を見に、第二体育館へ向かう。なぜ休憩中にまで働くのだよ、と訊かれたら、主将だから、と答えるしかない。


 一軍と二軍と三軍は、基本的に休憩時間が違う。だから二軍は今も体育館を走り回るか、お互い充分な間隔を開けて、筋トレでもしているはず。
 だむだむ、きゅっきゅっ、と音がする。走り回る方のようだ。軽く様子を見て、皆がいる第一体育館に戻ろう――


「――つまんねえ、なあ」


 僕を嫌う人の声がして、思わずドアの陰に体を隠す。その人と僕は多分、壁を挟んで背中合わせ。一瞬で、全力疾走したみたいに心拍数が上がった。心臓が胸骨を叩いている、ような。
 素早く隠れたからか、声の主は僕に気付かず、誰かへと話を続ける。

「蹴っても殴っても、済ました顔ばっかで全然堪えてねーみたいだ」

 愕然とする。蹴られた時、殴られた時、痛いフリは一応していた。実際、痛くないわけではなかったのだし。演技は自他ともに認めるくらい悪くない。きっと、彼らが見たい僕の顔は、もっと苦しむ顔なのだ。次からはもっと大袈裟に痛がってやろう。
 改善点を見つけられるくらいには余裕だった僕だが、次の瞬間、それはどこかへ吹き飛ぶ。



「もう手出しちゃおうぜ、キセキの世代に」



 キセキに何かあるのを一番嫌がるだろ、赤司は。

 青峰と紫原は闇討ちだな、正面からじゃ勝てねーし。

 黄瀬なんかは顔に傷つけたら面白いよなぁ。

 緑間はラッキーアイテム没収プラス眼鏡割りプラス蹴り殴りだな。

 あとは、何かいたよな、影薄いの。アイツボコりやすそう。



 体をびくつかせて物音をたてなかったのは、幸いだった。壁の向こうで、杜撰な、計画とも呼べない、思いつきを連ねるだけの計画が組み立てられていく。

 ずっと、僕だけを憎むように仕向けてきた。彼らの中のあいつらへの憎悪を僕に向けるよう、暗示のような洗脳のような何かを行ってきた。あいつらは赤司征十郎が育てた、と呼び出される度に言った。赤司征十郎さえいなければキセキの世代はなかった、恨むは赤司征十郎のみ、そう思わせるために。
 目論みは成功して、先輩達の中から、あいつらへの憎しみはあらかた消えた。僕には先輩達の心が分からないから“あらかた”と言っただけで、実際は“全て”と言っていいと思う。

 あいつらへの憎悪は無し。だから、僕が言いなりになっていれば絶対あいつらに危険はない、と思っていたのに。


 何だこの想定外の展開は。



* * *



 帰り道、キセキ達と交わした言葉を思い出せない。必死に頭を回して、やっと断片を思い出す程度。

 家に帰ると、今日は母が家にいた。これは三日に二日の割合だ。三日に一日、彼女は遅くまで仕事をする。
 お帰りなさい、と洗い物をしながら儚く笑うその人にただいまを告げ、自室へ向かおうとリビングを出る。征さん、と呼び止められた。僕が持っているらしい威圧感、その欠片もない声に、僕の体は従順に従う。
 ちゃぶ台の脚元にある座布団を指され、座ることを促される。鮮やかな紫――敦の髪より深い紫に脛を乗せ、ふくらはぎに腰を置く、母はエプロンで手を拭いて向かいに座った。


「お引っ越しすることになったの」

「……誰が?」


 こんなに真面目に話しているのに、ご近所の引っ越し報告をされるわけがない。誰が、なんて分かっているのに、認めたくなくて質問する。


「私とお父さんはもう決まっているわ。貴方が引っ越すかどうかは、貴方が決めなさい」


 穏やかに話す母は説明が不足している。彼女は僕が一を聞いて十を知る人間だと思っているらしいけど(それは当たらずも遠からずなのだろうけど)さすがにこれだけでは「引っ越す」以外の情報は分からない。
 ちゃぶ台の、何もない木目を手が撫でる。喉が寂しいな。熱い緑茶で潤したい。


「……いつ、どこに引っ越すの?」

「来週の木曜日――五月の二日に、京都へ。洛山高校の近くよ」


 今日は四月二十一日日曜日だから、――あと十一日。

 これは、どういう偶然だろう。何の策略だろう。間がいいのか悪いのか。
 頭が軋むくらい回転して、考えを導いていく。あいつらに手を出そうとする先輩達、近い内に転校することができる僕。今度こそ完璧に、本当に、守ることができる。

 十一日――いや、十日で終わらせよう。

 返事を待つ母に笑う。


「付いていくよ、京都に。向こうには玲央達もいるし」



 まず手始めに第一歩。




 僕は、キセキの世代が大嫌いだ。






木馬回転事情






 

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