長編
□日は没し影は消え
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『一緒に昼食をとらないか?』
素っ気ない文面に、キラキラ光って見える内容。反射で保存して、改めて読み返す。何度読んでも内容は変わらなくて、頬がだらしなくも嬉しいくらい緩んだ。だって、だらしなくくらい緩んだんだ。嬉しいに決まってる。
返信しようとしたら、チャイムが鳴った。授業開始の合図。赤司っちは授業中のメールを嫌がるから、『とるっス!』とまで打ったメールを保存。もうちょっと文を足して、絵文字と顔文字で足して返信するのは、次の休み時間に。
水曜の一時間目の体育は、いつも時間が過ぎるのが早く感じるけど、今日は、そうでもなさそうだ。
「よく来たね」
一人将棋をしていた赤司っちは、部室に入ったオレを見るなり顔を上げた。あれから返信をしたら、場所を部室に指定された。だからここに来たのだけど、他の皆はまだ来ていないようだ。おかしいな、黒子っちなんかはすぐ来そうなのに。
「みんな遅いっスね」
「ああ、お前しか呼んでないからね」
「…え」
二人っきり、で、ごはん。え。フラグというやつですか。混乱するオレを前に、赤司っちはさっさと弁当を食べ始める。オレも慌てて購買で買ったパンの袋を開けた。
黙々と、食べ物を入れる時しか口を開けずに、赤司っちは食べる。色んな話題を振ってみたが、生のような返事が返ってくるだけだった。気まずい。とても気まずい。どうしてオレを誘ったんすか赤司っち。
やがて、オレと赤司っちはほぼ同時に食べ終えた。オレの方が量が多いのだけれど、オレは食べるのが早いから。
弁当箱を片付けた赤司っちは、机に無造作に置かれた雑誌を取った。ずっと前にオレが持ってきた、初めてオレが大手の雑誌に載った時のものだ。
「…涼太は、きらきら笑うよね」
「え?」
「モデルの涼太と、バスケ部の涼太は、少し違うけど。笑顔も少し違うけど。でも、きらきら笑うところは同じだ」
普段からは考えられないくらいに赤司っちがデレている。何か裏があるんじゃないだろうか。何か、真面目に深刻な事態が起こるんじゃないだろうか。この人が隠し事をする時、そうなる確率は非常に高い。
けれど何より赤司っちの変化に敏感な紫原っちは何も言っていなかった。オレは人の異変に敏い方だけど、気のせいか…?
赤司っちはオレが初めて得点した時のように優しく笑った。酷くやさしい、内包物を疑わせる笑み。
「何か、あったんスか?」
「? 何もないよ」
どっちの涼太も好きだよ、なんて。勘違いさせるような、それでいてそれ以上の追求を誤魔化すような言葉が飛んできた。バスケもモデルの仕事も大好きなオレとしてはこの上なく嬉しいけど。
「誰がどう言おうと、お前のやりたいようにやればいいさ」
事務所に、モデルに専念するためバスケをやめるよう言われたことを、独り言で愚痴ったのをこの人に聞かれたのはいつだったろう。少なくとも今年の話じゃなかった。
もしかして、これを言うためだけにオレを誘ったのだろうか。だとしたら、なんて優しくて不器用な人なんだろう、彼は。
だから、大好きだ。
* * *
「これを返して、これを借りるよ」
「これを返して」で哲学書が、「これを借りるよ」でラノベがカウンターに置かれた。それらの返却・貸出手続きを済ませてから、赤司君に話しかけてみる。
「随分ジャンルが違いますね」
「涼太のオススメだよ」
「…本読むんですかあの人」
「たまに読むらしい」
なんて賢い犬だろうね、と赤司君はクスクス笑う。
彼は割りと高い頻度で図書室に来る。そしてボクが図書当番の木曜日には、必ず。そんな些細なことが、彼だから、というだけで至福に思える。カウンター越しに話すこの時間は好きなものの一つ。図書室で喋るのはよくないけれど、小声だし、他に誰もいないのだから、許されるだろう。
赤司君が、ボクが今の今まで読んでいた本に目を止めた。
「…それ、読んだことがあるな」
「そうなんですか。ボクは、今初めて読んでます」
「なら、ネタバレはしない方がいいかな?」
「ええ、お願いします」
赤司君が読んでいるところを見たことがあるから読んでいるのだ。犯罪を犯して捕まった恋人の無罪を信じる、そんな女の人の話。
「どこまで読んだ?」
「百四十六ページまでです」
「なら、主人公が最高裁に臨むところかな」
「はい。佳境っぽいです」
今のところ、主人公の恋人は完璧に有罪だ。けれど物語なのだから、その完璧が崩れて、有罪が無罪にひっくり返るのだろう。展開は読めているが、どう展開するのかは分からなくて、楽しみだ。
赤司君は本二冊を抱えた。本当は返却本は当番が棚に戻すのだけれど、赤司君はそれを自分でやっている。ボク以外の委員はみんな当番をサボっているから。木曜以外、赤司君は自分で本を戻す。それが身に付いてしまったのだろう。
本を抱えたから、てっきり彼は立ち去ってしまうのかと思った。しかし彼は束の間不自然に突っ立ったままでいた。そして、思い出したように、ボクが読んでいた本に目線を滑らせる。
そんな彼を見て、ふと訊きたくなった。
「赤司君なら、どうします?」
「…何を?」
「自分の大事な人が有罪の判決を出されたら、本人もそれを認めていたら。それでも、その人の無罪を信じますか?」
恋人の無実をひたすらに信じて東奔西走した主人公。恋人をどれだけ愛しているか、胸を打たれるくらいよく分かる。
赤司君はどうなのだろう。
彼は、一秒で口を開いた。つまり、即答する。
「本人も有罪を主張するなら、僕はその人の無罪を信じない。ただ、その人が罪を犯したのには訳がある――そう信じる」
目からウロコ、とはまさにこのことだろう。自分の価値観が変わった気がした。
その人の行動の理由を信じる。赤司君はもしかしたら、大事な人が殺人を犯して動機を黙秘しても、信じるのだろう。何か、訳があったのだと。そしてきっと、その人を赦すのだ。
ただの日常会話なのに、圧倒を感じて赤司君の二色の双眸を見つめる。彼は自分の言葉がボクに何をもたらしたか分かっていないのだろう、不思議そう首を傾けてボクを見返す。
「……疲れたらたっぷり眠れ」
みつめあって、ふと目元に、白磁の綺麗な肌に似合わない黒ずみを見つけて言った。黒、というか濃いグレーだ。紛れもなく隈である。
赤司君は心得たように「ニーチェか」と呟いた。その通りだけど、気付いてほしかったのはそっちじゃない。
「なら僕はこの言葉を言おう」
立ち去り際、赤司君は言った。
「自分の行為は世界に響いている」
それもニーチェの言葉だったけど、赤司君自身の言葉と言っていいくらい、それを言う彼は堂に入っていた。
恋人の有罪判決が覆らないまま話が終わったのを知ったのは、その日の夜だった。
日は没し影は消え