長編
□蒼い草原桃の花
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月曜日の部活終了後は、大抵赤司との将棋の時間だ。決めたわけでもないのに、どちらからともなく将棋板を出して駒を並べる。
勿論、月曜の部活終了後以外に将棋を指さないわけではない。
今みたいに金曜日の部活終了後であっても、指す時は指す。
「初めて指した時と比べたら、本当に強くなったね、真太郎」
「強くなったのにお前との差が縮まらないのは、お前も強くなっているからだろう」
「そう? 自覚はないな。僕も、お前も」
赤司の飛車が歩兵を取った。
俺が熟考している間にも赤司は話しかけてくる。集中できないが、それは話している赤司も同じだ。だがそれでも、赤司は即打ちである。俺が駒を動かし終えた次の瞬間、己の駒を動かし終える。精神的にクる――試合中、俺の長距離3Pが宙を飛ぶ様を見る敵も同じ気持ちだろうか。いや、赤司は即座、俺は長時間だ。似ているが別物。
テーブルの端に置いたラッキーアイテムのガラスの靴を横目に密かに息を吐く。今日はかに座が一位、射手座が十一位なのだが、やはり勝つのは難しい。
赤司が俺の目線の先を辿って笑った。
「ガラスの靴なんて、よく持ってこれたね」
「ディズニーランドまで買いに行ったのだよ」
「……朝練に遅刻してなかったよね…?」
「勿論だ」
一体どういう行動スピードなんだ――赤司が感心するように呆れながら歩兵を進める。この男がこんな表情をすることを滅多にない。誰に向けてか分からない密やかな優越感と不純物のない喜びが、頭と胸に波打つ。
赤司がもう一度ガラスの靴を見た。手の平に乗るサイズの、透明なガラス製の靴。階段に落としたら割れるだろう――言うと赤司は「夢がないなお前は」と笑った。「割れていないということはつまり、シンデレラはガラスの靴を落としたんじゃなく置いていったんだよ」と、一見夢があることを言った。よくよく聞けば、赤司のその考えも夢はない。シンデレラは策略家か。
「――王手」
パチリと、赤司は香車を王将の三マス向こう側に置いた。逃げ場はあるが、王を討たれるのは時間の問題だった。
「投了なのだよ」――吐き出した言葉は悔しげに足元を滑った。だって負けたら悔しいだろう。俺の手で赤司にこの悔しさを味わわせたいのに、叶わない。敵わない。
「真太郎」
「何だ」
「はっきり言うと、お前のおは朝狂いは社会に好意的に見られない」
「……余計なお世話なのだよ」
まさかの説教だろうか。赤司の説教を食らうのはもっぱら青峰と黄瀬で、自分が食らうのはいささかショックだ。
赤司はガラスの靴を優美に持ち、俺の目の前に置いた。
「だがお前の周りには、何だかんだでお前を受け入れてくれる人ばかりだろう」
そうなのだろうか。――そうなのだろう…………か。
「大切にしろよ」
そして赤司は立ち上がる。鞄を肩にかけて部室の鍵を手に取る。俺も慌てて立ち上がり、鞄を肩にかけた。
大切にしろよ、と言う赤司は、俺の妙(らしい)な部分を受け入れる。
だから俺は、言われるまでもなく、大切にするのだ。
* * *
「赤司君、はいコレ!」
土曜の朝練前は、赤司君と敵校分析をする時間だ。分析があらかた終わって、まじめな空気がゆるゆる緩んできたのを見計らって、鞄から出した袋を赤司君に差し出す。赤司君は首をかしげて袋を受け取った。袋は赤色だから中は見えない。
「開けていい?」
「もちろん!」
「…………クッキー……?」
言葉尻が上がっちゃったのは、驚いたからだよね。
昨日、家で作ったクッキー。いつものようにちょっと失敗してちょっと黒く焦げたけど、大丈夫。美味しく作れてる。昨日、赤司君が顧問の先生に呼ばれていない間に他のみんなに渡した時、泣いて喜んでくれたし。大ちゃんまで目を潤ませているのには驚いた。
赤司君は「食べていい?」と聞いて、私が頷くのを見てから、クッキーを摘まんで口に入れた。ガキンッゴキンッ、と音がする。私は少し緊張して、赤司君の感想を待った。
「おいしいよ。何だろう、湯豆腐みたいな味がする」
赤司君の顔がふわりと綻ぶ。泣きはしなかったけど、赤司君のこの笑顔は、テツ君達の嬉し泣きと同じくらいレアだ。
そして、テツ君達は気付いてくれなかった隠し味に気付いてくれたのに嬉しくなる。
「そうなの! 赤司君のクッキーには湯豆腐を隠し味にしたんだ!」
「『僕のクッキーには』ということは、他のみんなにもそれぞれの隠し味を?」
「うん! テツ君にはバニラシェイク、大ちゃんにはザリガニ、きーちゃんにはドッグフード、ミドリンにはおしるこ、ムッ君にはまいう棒を入れたの」
「へえ……さつきはすごいな。そこまで考えて作ったのか」
ありがとう、と微笑まれる。赤司君、やっぱりステキ。テツ君が一番だけどね!
ヴヴヴ、とケータイが鳴った。メールじゃなくて電話だ。大ちゃんから。赤司君に断ってから通話ボタンを押す。
『おいさつきテメエまさか赤司にあの真っ黒ダークマター渡してねーだろうな!?』
「真っ黒……クッキーのこと? 失礼だね、もう。今渡したよー? 赤司君、おいしいって笑ってくれたし隠し味の湯豆腐にも気付いてくれたよ。大ちゃんとは大違いだよね!」
『赤司はお前が作ったやつだから心底おいしいって思ってるだろーけど、赤司の体には悪いんだよお前の料理! つーかおま、隠し味に何てモンいれてんだ!?』
「大ちゃんのにはザリガニ入れたんだよ、びっくりした?」
『したわ!』
赤司に変われ! と大ちゃんは怒鳴る。仕方なく変わってあげることにした。
「――吐き出せ? もったいないだろう。というかお前、さつきが折角作ってくれたクッキーにケチつけてるの?」
しばらくやり取りした後、赤司君は「分かればいいんだ」と満足そうに言って、ケータイを耳から離した。
赤司君がクッキーをもう二枚食べる。六枚入れてあるから、残りは三つだ。「残りは後でいただくよ」と袋の口をリボンで縛る。おいしかった、ありがとう――重ね重ね言われて、本当に嬉しくなる。どっちの言葉ももらえたら、冥利に尽きる、ってやつだ。
テツ君が一番だけど、同じくらい赤司君も、みんなも大好きだ。
蒼い草原桃の花