長編

□思い出を抱いた朝
1ページ/1ページ




 五分間校舎をうろついてから体育館に戻る。キセキも桃井も、誰もいない。胸には何の痛みも湧かなかった。彼らを大好きだったことも自己暗示をかけたことも覚えているから、暗示が解けていないのだろう。
 相変わらず遅れて来る方々を待つ。時間厳守は徹底したはずなのに、この待ち合わせで彼らが時間通りに来たことは、一度もない。
 十分経ってやっとやって来た。さっきメールで呼び出した先輩達。珍しく訝しげな顔をしている。


「珍しいな赤司、お前から呼び出すのは」

「珍しいっつーか初めてじゃね?」

「あ、もしかして虐められに来た? 何、ついにドMに目覚めた?」



 ゲラゲラ笑っている。用件は迅速に済ます派な僕がグダグダを許す相手は少ない。そしてその少ない数に彼らは入っていない。だから、即刻行動を始める。
 笑ったままの彼らを睥睨して腕を組む。笑い声に負ける声量を、笑い声より響かせて言う。


「僕はもう学校に来ません」


 ぴたり、笑い声も動きも止まって、彼らは一斉に僕を見た。口は笑みの形に固まっていたが目は見開かれている。アンバランスな表情だった。
 焦ったように元主将で次期主将の男が言う。どういうことだ、と。どうして虐める相手がいなくなるのがそんなに嫌なのだろう。憎い奴が遠くへ行くのだから喜んでもいいのに――己の手で苦しめたいのか。


「どうもこうも。家の事情で引っ越すんです。学校も変わります」

「一人暮らししろよ……他のキセキがどうなってもいいのか?」

「いいですけど?」


 彼らは一斉に鼻じろんだ。中学時代と今と、合わせて約二年。あいつらの為に一人で憎悪に晒されていた僕の、あいつらを省みない発言に驚いたらしい。
 ある意味あいつら以上に騙し通さないといけないのが彼らだ。上手く誘導しないと標的があいつらに移ってしまう。
 頭が軽めな彼らを騙すことは難しいことではない。けれど手に汗が滲んだ。


「あいつらを庇っていたのはあいつらの才能が必要だったからで、あいつらのことが好きだからじゃありません。むしろ大嫌いですから」


 顔全体に嫌悪の色を出す。大嫌いで大嫌いで大っ嫌いで。どうしてあんな奴らの為に蹴られたり殴られたりしないといけなかったのか――。
 さっきあいつらに利用していたこと等を話したのだ、と話して笑う。絶望した顔を見て清々した、と。気味悪いものを見る目で見られる。


「用済みになった今、あいつらがどうなろうがどうでもいい。あいつらを虐めてくれた方が僕としては嬉しいですね」


 僕を一番憎んでいる彼ら。彼らが僕を憎んで、あいつらを憎んでいたのは、一軍から蹴落とされたから――だけじゃない。
 彼らはそれぞれ、キセキと同じ種類の、だがキセキに数歩及ばない才能の持ち主だからだ。数歩といっても、玲央達五将にも劣るが。

 天才に届かないシュート能力。
 天才に届かないオフェンス能力。
 天才に届かないコピー能力。
 天才に届かないディフェンス能力。
 天才に届かない司令塔の能力。
 達人に届かないパス能力。

 同じ種類で自分の上を行く能力がいるから、彼らの劣等感は刺激される。だからここまで恨まれる。僕らが来るまでは天才と持て囃されていて、だからこそ落差を受け入れられなかった。
 利用されていたキセキと、蹴落とされた自分達――同じ赤司征十郎の被害者だと思えば、恨みより憎しみより、仲間意識が湧くだろう。
 もう一つ最後に言わなければいけないことがあって、作った笑みを仮面に被る。


「あいつらは僕のことが大好きだったみたいなので、ぜひあなた方が僕にした仕打ちを言ってみてください。きっとすごく悲しむだろうから」


 さぞそれが嬉しいことのように笑う。これで彼らはあいつらに、僕にしてきたことを言えない。もし「俺達こんなことしてたんだぜ」とあいつらに言ってあいつらが悲しんだら、僕が喜ぶのだから。彼らが憎んでいるのはあいつらではなく、僕だから。
 あいつらが僕のことを好きだなんてあるわけないし、あんな仕打ちをしたんだ、今は絶対嫌われているけれど。今までだって嫌われていたかもしれない。一度あいつらのバスケをボロボロにしたのだから。
 無言で話を切り上げて、先輩達の間をすり抜ける。呼び止められたけど勿論立ち止まらない。「あとはよろしくお願いします、主将」と主将から元主将になり、明日主将になる男に言う。それで完璧に訳が分からなくなったらしい彼らを置いて、僕は今度こそ、体育館裏を去った。



* * *



 夜。
 大半の物を段ボールに詰めた自室の布団に座ってケータイを眺める。登録されているのは帝光・洛山のバスケ部全員と、家族。どちらもバスケ部の人数が多い高校だから登録数は相当だ。
 まず、洛山レギュラーと名付けたグループを選ぶ。ちなみにグループ名は他に帝光レギュラー、帝光(中)、帝光(高)、洛山。
 新規メールを作成しようか迷って思い止まる。転校する旨を玲央達に伝えてみたいけど、我慢だ。内緒で行って、校内ですれ違ったりしたら彼らは驚くだろう。その顔が楽しみだから。そう思って今まで、伝えたい誘惑を沈めてきた。


 グループ一覧を閉じて電話帳を開く。
 その中にある、あいつらと彼らの名前を消そうか迷う。あいつらも彼らももう僕に連絡を取ろうとしたりしないだろう。手始めに電話帳の最初にある「青峰大輝」を選ぶ。
 明るい部屋の中で仄かに光る画面に「青峰大輝 削除しますか?」と文字が浮く。「はい」に照準を合わせて、決定を意味する5のボタンを押そうとして、やめた。

 使わないなら、あっても邪魔なだけ。けれどあいつらのことを、僕は忘れてはいけない。


 あいつらを傷つけた事実を忘れてはいけない。


 あいつらを思い出してしまう機会を減らしてはいけない。たとえ電話帳の片隅であっても。





 思い出すたび傷つけ。





 結局、万が一連絡が来た時のことも考えて、先輩達の名前も消さないで置いた。



* * *



 五月二日、朝の九時半。

 一人、ホームに立つ。持っているのは本二冊とケータイと財布と切符を入れた鞄一つ。待つのは九時三十二分発、新大阪行きの新幹線。
 別れを惜しんでいる様子の人達がちらほらいて、モヤモヤした。見送りがいなくて寂しいのだろうか。そんなまさか。
 アナウンスが新幹線が来ることを告げる。間もなく、突風を撒き散らしながら白と青の機体がホームに滑り込んできた。完全に停止して扉を開いたソレに乗ろうと、足を一歩踏み出す。


「赤司君」

「赤司っち」

「赤司」

「赤司」

「赤司君」

「赤ちん」


 声が、した。
 二歩目を踏み出せなくて固まる。穏やかな声が、明るい声が、乱暴な声が、甘い声が、固い声が、間延びした声が。僕を呼んだ。
 はやる心臓をそのままに振り向く。


「……いるわけないか」


 思い描いた色は何一つ、そこにはなかった。
 冷静になれば分かることだ。今頃彼らは授業を受けている。ここに来るわけがない。ただでさえ、裏切られて僕を憎んでいるのに。
 扉が閉まってしまわないうちに中に乗り込んで座席に座る。平日だから空きまくりだ。明日からゴールデンウィークだから、明日だったら、混みに混んでいるに違いない。
 ゆっくりと、徐々にスピードを上げて、新幹線が進む。体の中身が後ろへ引っ張られる感覚がしたが、すぐ消えた。外から力が作用しないなら物体は静止又は等速度運動を続ける――慣性の法則だ。
 そういえば、中学時代に慣性の法則を習った後初めて電車に乗った時。


『うっはあ、これが慣性の法則なんスね! なんか感激っス!』

『黄瀬君うるさいです。公共の場で静かにするという常識もないんですか?』

『え、う、あ、…スマセン』

『ざまあねーなー黄瀬。…カンセイノホウソクって何だ?』

『ちょっ、大ちゃん、昨日習ったばっかじゃない!!』

『オレも分かんないや。カンセイノホウソクってなにー? 食える?』

『食えるわけないのだよ馬鹿め』


 今は静かだ。慣性の法則を習った後初めて乗った電車はあれきりだし、なによりここに、彼らはいない。
 京都までの二時間の距離を、新幹線は黙々と、着実に埋めていった。





思い出を抱いた朝


 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ