長編

□気付かない、それでいい
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「さー、皆で征ちゃんに勝利を捧げるわよー!」


 体育祭みたいに明るく玲央が言った。部員がオー! と拳を頭上に突き出す。白金先生まで突き出していたのは――見なかったことにした。
 IH会場へ向かうバスの中、部のテンションは高い。遠足のノリだ。僕以外のキセキがいる帝光も相手にするというのに呑気なものだ。いや、これでも緊張しているんだろう。多分。


「赤司〜テンションひっくいぞ! 湯豆腐おやつ代に入れられたからって拗ねんなよ!」

「す、拗ねてない…! ……やはり来なければよかったと思っただけだ」

「えええええええええええ!」


 隣の席の小太郎が肩を組んで話しかけてきた。湯豆腐の話は置いておいて、恨めしげに小太郎を、あと、他の部員と先生を睨む。皆、僕の視線に気付いているくせに笑いかけてくる。
 本当なら、この日は寮で勉強や部屋の掃除をしているはずだった。IHにまで付いていく気はなかった。それを覆したのは勿論、僕自身を除いたこのバスの乗客だ。


「だって、征ちゃんがいてくれた方が心強いし、やる気出るじゃない?」


 来たこと、後悔してるの? なんて捨てられた仔犬みたいな目で見られたら頷くしかないじゃないか。数日前、「僕は行かない」と言った数秒後の彼らの顔といったら。行かないを訂正する他ない。
 キセキに会いたくない。それを皆は分かっているらしく、それはそれは楽しそうに僕の姿を変えてくれた。
 髪には黒いカツラ。目には黒いカラーコンタクト。服も僕なら絶対選ばないようなものにされた。真ん中に校章みたいに複雑な模様が黒くプリントされた白い半袖のTシャツと、長ったらしい綿の黒いベストと、ベストと同色のジーパン。涼太が着ているみたいな。


「……やっぱり、ネックレスとブレスレット、取っちゃ駄目か?」

「ダメよお! ホントは女装させたかったのに妥協したんだから、征ちゃんも我慢なさい」

「僕が女装を拒否するのは正当だと思うんだけど…」

「ホントはホントは、ベンチでマネージャーみたいな感じにいてほしかったけど…」

「駄目だ。さつきに調べられて、こんな見た目の生徒が洛山にはいないことがバレる」


 敵になると本当に厄介なのだ。彼女は。先輩達の嫌がらせを彼女に気取らせないようにするのが一番大変だったかもしれない。
 バスがゆるりと曲がって駐車場に入った。どの高校がやって来ているだろう。最強を誇るあの学校は、もう来ているだろうか。
 部員に混じりながらバスを降りる。今更だが、ジャージの中でこの格好は目立つ。観客席に行く、と先生に言って、輪から離れる。後で控え室来てねー、なんて玲央の言葉に答えるか、最後まで迷ったままになった。
 見慣れたジャージを、顔をいくつか見かけた。青が、オレンジが、黒が。今、紫が来た。白黒が来た。誰も僕には見向かない。来たるIHで気を改めているのだろう。これが普通だ。うちが駄目すぎる。
 エンジンが唸る音がして見てみたら、新たなバスが入ってきて、駐車した。直感だろう。胸がざわめいた。今足を速めるのは不自然だ。方向を変えるのも。


「皆で出る久しぶりの大舞台っスね!」

「さつきー、オレのマイちゃん知らね?」

「ああ、あれ? コンビニで捨ててきたよ」

「オイ」

「ミドチンそれちょうだいーうまそー」

「だ、駄目なのだよ! この数量限定まいう棒わさび味はラッキーアイテムなのだよ!」

「ちょーだいちょーだいちょーだいちょーだいちょーだいちょーだいちょーだ――よっしゃあ取ったどー」

「緑間君。こんなこともあろうかと予備を持ってきていますのでどうぞ」

「く、黒子…!」

「ちょ、まっ、みんな、無視っスか!?」


 ぞろぞろと出てくる水色と白のジャージ。青が、黄色が、緑が、紫が、水色が、桃色が、視界の端に映る。洛山の皆みたいに緊張感が見えない――ああ、昔からか。数ヵ月前までいた赤は、ここにひとりぼっち。胸の辺りがキュウとした。
 先頭を行く黒い髪に懐かしさを感じたが、分かっている。あれはかつて僕らを率いたあの人ではなく、僕らに危害を加えようとしたアイツだ。
 周りの高校の奴らが彼らに気付いて駆け寄り、再開を喜びあう声がした。去年の交換留学(国内)は本当に皆を変えてくれた――やっと会場の入り口の一歩手前に着いて、息を吐く。何の息かは分からない。辛いと思ったし、元気そうだとも思ったし。
 ポケットのケータイが震えた。画面には「実渕玲央」と表示されている。もしかして気にかけてくれているのだろうか。そうでないにしても出ないと心配されるだろう。


「…どうした?」

『あのね、上手く言えないけど…私達がいるわ』

『オレ、ドリブルすっげー頑張るから! 見ててよ!』

『終わったら打ち上げ行こうぜ。牛丼屋な』


 玲央が、小太郎が、永吉が、他の皆も、些細なような、そうじゃないような言葉をくれる。僕の名前を出さない配慮や、僕がキセキから見えない位置に来てから電話をしてくれた気遣いが、痛んだ胸を癒していく。じわじわしてくすぐったい。
 痛みを治してはいけない、そう思うのに、なかなか通話を切れなかった。







気付かない、
それでいい



 

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