長編

□真実は楽に掴めない
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 階段上に僕。下に、かつての仲間。まるで去年のWCみたいだと思った。
 駆け寄りたい、けれど拒絶が怖くてできない――敦は、そんな顔をしていた。僕がいなくても平気なのだと囁いて暗示をかけたのに、何だかあまり効いていない気がする。
 みんなみんな、何を言っていいか分かっていないようだった。裏切った挙げ句雲隠れした奴にいきなり鉢あわせたのだから仕方ないか。


「……試合、見ていたよ。随分と腑抜けたな」


 話を進めるために声をかけてやる。と同時にカツラとカラーコンタクトを外した。カツラであたたまっていた頭が冷気に晒されて寒い。
 今の彼らにとっての僕は裏切り者、悪役。だから軽蔑を思いきり顔に張りつける。彼らを突き放したあの日のような完璧な演技はできていないかもしれない。だが完璧に限りなく近い演技であることは間違いない。頭に血がのぼっているだろう、動揺しているだろう彼らはきっと、見抜けない。


「僕がいないだけでああも弱体化するほど駄目な連中だとは思わなかった」

「あか、しくん、なに……なんで……」

「何でここに、って。そう聞きたいのかい、テツヤ?」


 テツヤは顔面を蒼白にしていて、時々フラリとよろめいては踏ん張っていた。急遽、キセキが嫌いだと心にも言い聞かせたのに、それでも。奥底では情が湧く。
 いっそう目を冷たくして、声色も空気も冷たくして、冷たく嗤う。


「どうしてここに……」

「たまたま近くに来ていてね。玲央達に会いに来たんだ」

「変装は、俺達に気付かれない為か?」

「まさか。突然姿を消したキセキの世代の主将がWCを観に来ていた――なんて記者に知られたら騒がれるからさ」


 涼太の呟きを親切に拾ってやり、真太郎の質問を自惚れるなと嘲笑う。
 そろそろ引き際だろうか。敦が今にもこちらに駆け寄ってきそうだ。僕への信仰を、盲信を、捨てきれていないらしい。可哀想な、敦。けれど、その盲目を治してやることは難しい。じかに接触するつもりはないのだから。
 ふぅ、と細く息を吐く。白い息は立ち上るにつれ薄く、広くなっていった。


「ああ、こんなところで油を売っている暇はないんだよ。玲央達と久しぶりに、ゆっくり話したいからね」


 若干説明口調になってしまったが、みんな動揺しているからバレないだろう。踵を返す。弱々しく呼び止める声があったが無視した。辛いのに、堪えようと拳を握ることもできない。俯くことも、もちろん。
 テツヤ達は傷ついてはいないだろう。彼らは仲がいいけれど、僕と彼らの仲が良かったことはない。いつだって僕の一方通行だ。
 傷ついてはいないだろう、が、憤ってはいるだろう。ただでさえあまり好かれていないのに、ますます嫌われるのは辛かった。

 けれどこれが、彼らの為なんだ。

 彼らが楽しく伸び伸びとバスケができて、曇りなく日常を過ごせるなら。


「お前らこんなとこにいたのか!? さっさとバスに乗、れ……?」

「みんなこんなところに――っえ、あかし、く……」


 さつきと共にやって来た帝光現主将の怒鳴り声が聞こえて身がすくみかける。引っ越し前に散々、キセキとテツヤに真実を話したら僕が喜ぶ、と言い聞かせた。が、動揺して彼がうっかり全てぶちまける――という可能性も、一応ある。僕という存在は、よく人に動揺を与える。
 僕を認知して現主将の声が尻すぼみになった。やはり動じてしまったようだ。だが僕にできることは、優雅に微笑んで立ち去ることだけだった。



* * *



 俺達は蛇に睨まれた蛙も同然だった。特に俺なんかは頭も目も緑だから尚更だ。
赤司を目にしたことで頭がいっぱいいっぱいになり、動こうという気にはなれなかった。

 赤司。赤司は最後に会った時からまったく変わっていなかった。姿も、声も、口調も、――俺達に向ける目の温度も。
 今気付いた。俺は期待していた。信じきれずにいた。帝光を去った時の赤司の態度は何かの間違いか演技だと期待していた。あの態度は本物だと信じきれずにいた。
 だが二度も見せられては期待は砕かれる。


「ならあれは、何だったのだよ……」

「あれ?」


 主将がバスへ体を向けたのにつられて歩き出すと同時に呟いていた。そしてそれを青峰に拾われた。隠すようなことでもない。抵抗なく口を開く。


「奴が転校する数日前、将棋を指してな。やけに俺を案じてきたのだよ」


 俺を受け入れてくれる人を大事にしろ、と。
あの時の赤司の言葉は、瞳は。真っ直ぐすぎて胸が痛くなるくらいに真実だった。


「そういやその頃、俺にデレてくれたことあるっスよ、赤司っち――あ」


 斜め後ろから話に入ってきた黄瀬が、最後に「しまった」と言いたげに母音を溢した。あの日から今まで赤司を赤司と呼んできた黄瀬だが、動揺しているのかうっかりしたのか。
 それは興味深いですねと黒子が目を暗く光らせる。溝が出来てしまった今でも、赤司と誰かが親密であるという話を聞いたら反応してしまうらしい。そんなもの、俺達も同じだが。その癖、赤司を好きかと聞かれたら紫原以外は首を振れない――横にも、縦にも。
 黄瀬は俺達の雰囲気やら眼光やらに肩を縮こまらせながら話す。


「赤司に、二人っきりでお昼しよう、って誘われて。バスケしてる俺もモデルしてる俺も、きらきら笑うね、って。誰がどう言おうとお前のやりたいようにやればいい、って」

「赤ちんと二人で……」


 細められた黄瀬の目は思い出を見ているようだった。
 紫原が心底羨ましそうな目をした。コイツだけは、昔と変わらない感情を赤司に抱いている。


「そういえば確かに、赤ちん様子おかしかったなー」


 バスに乗り込む。一番後ろに俺、紫原、青峰、黄瀬。その斜め右前に桃井と黒子が座った。俺達は何となく周りから浮いているので、黒子達の横と前、斜め前の席には誰もいない。
 おかしかった? と桃井が復唱した。紫原は、赤司を悪く言わなかった桃井にだけは態度がやわらかい。子どものように頷いた。


「ケーキ屋さんでね、俺が赤ちんがいなきゃダメなのは思い込み、みたいな。盲信してただけ、って。俺、赤ちんいなくても平気って……あれ、赤ちんが言ったんだっけ。俺が思ったんだっけ……?」

「意味分かんねえよ」

「うっせえなぁ。よく覚えてないし。あとは……フォークがチカチカしてた」

「んなのどうでもいいだろ」


 喧嘩腰の青峰に紫原も喧嘩腰に返す。黒子と黄瀬、桃井が二人を宥めた。
 一方の俺は、恐ろしい考えに体を震わせていた。

 紫原の曖昧な記憶。チカチカ光るフォーク。
まさかまさかと脳が連呼する。俺は声が震えるのを抑え、紫原に問う。


「……紫原。光っていたのは赤司のフォークか?」

「は? ……たしか、そう。赤ちん見て話聞いてたし。うん、赤ちんのフォークだ」

「…………」

「緑間っち?」

「……恐らくだが。赤司は紫原に洗脳を施した」


 は? と声をあげたのは俺の言葉を聞いた者全員だ。
 どういうことだと詰め寄る紫原を手で制して説明する。どうしても恐ろしさは消えない。洗脳ではなく、自分達が何か間違えているのかもしれない可能性が恐怖の原因だ。


「赤司に関しては紫原の記憶力はいい。なのにそこまで紫原の記憶が曖昧なのがまずおかしいのだよ」

「……確かにそうですね。それで?」

「明滅する物を見せて相手の頭を鈍らせるのは洗脳で使う技術の一つだ」


 紫原達の顔が同じ形に固まる。この答えに行き着いた時の俺もこんな顔だったろう。
 赤司は紫原を洗脳した。絶対の答えではないが確率は高い。した、として。目的はなんだ。洗脳の内容は、紫原に自分はいらないのだと思いこませた。


 自分がいなくても、大丈夫なように?


「しかし洗脳って簡単に解けるんだな。紫原ずっと赤司大好きじゃねえか」

「洗脳にもレベルがあるみたいだからね……赤司くん、ムッくんにはこの程度のレベルでいいだろう、って思ったんじゃない?」

「あー、紫原っちは本心では自分を好いていないから、弱いレベルでも効く、みたいな?」

「むしろ『僕を好きだと自己暗示してしまった敦を解放した』くらいに思っているかもしれませんね」

「赤ちん俺のこと舐めすぎ……」


 桃井、黄瀬、黒子の考えはきっと正しい。自分が好かれているとは思わない男だ、アイツは。
だがそれは本当だろうか。そんな性格すらも演技だったら。黒子も黄瀬も、同じ考えを持っているような不安顔だ。
 もう、どうすればいいのか。分からない。あの日と今日の赤司の言葉と、あの日以前の赤司は矛盾している。上手く噛み合わない。
苦しい。なのに、考えることはやめられなかった。



真実は楽に掴めない



 

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