短編2

□取るに足らなくない今
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 黄瀬は、弁当片手にファンから逃げて校舎裏まで来ていた。昼時は日当たりがよいこの場所は何気に人気がない。いい隠れ場所だった。
 今日もそこで一人、いわゆるぼっち飯をしようと思っていたが、先客がいた。一人はガタイのいい黒髪の男で、もう一人は小柄な赤い髪の少年。普通なら隠れる必要はなかったが、黒髪が赤髪を木に押し付けていて「普通」ではなかったから、隠れた。
 話し声は聞こえなくて、けれど男が少年の制服に手をかけていること、少年が嫌がっていることは分かった。
 他の場所なら、無視しても良かった。だがそこは黄瀬のお気に入りのスポットで。妙な行為はされたくなかった。
 数十歩下がって、ケータイを耳に当ててつらつらと喋る。待受画面のままのケータイはもちろん繋がっていない。女の子と話す時の定型文の一つを、会話に見せた独り言で言いながら、歩く。
 隠れていた場所も通りすぎた時、男はいなくなっていた。


「だいじょーぶっスか?」


 スラックスのベルトを締める少年に一応訊く。少年は頷き、こちらの目を見て礼を言いながらシャツのボタンを閉じた。
 ああいう趣味の人っているんだなあ、と、少年が押し付けられていた木の根本に座り、弁当箱を開く。カラフルな中身が視界を彩った。
 視線を感じて顔を上げると、少年と目が合った。


「なんスか?」

「黄瀬君は面倒ごとには首を突っ込まないと思っていたから、不思議になってな」

「ああ…。ここ、オレのお気に入りの場所なんスよ。精液とかで汚されたくないんで」

「はは、何をどうしたら精液なんて言葉が出てくるんだ」

「え」


 さっさとどこかへ行ってほしい、と鬱陶しく思っていたのが、百八十度変わった。言葉が通じていない驚きが少し、あとは何も考えられなかった。浮かべられた笑みがあまりにも可愛らしくて。そして、ここにいてほしいと思った。
 ネクタイを締め終えた彼が立ち去る気を起こす前に、と口を開く。


「何であんなことされてたんスか?」

「部活で、あの男を越えてしまったからな。嫌がらせはこれが初めてじゃない」

「嫌がらせ、って…」


 嫌がらせで男を襲ったりするだろうか――しないだろう。
 何部か聞いたら少年は「ないしょ」と人差し指を唇の前で立てた。仕草が似合っている。
 ここにいてくれる気になったのか、失礼、と少年が隣に座った。形容しがたいがとにかくいい匂いが鼻をくすぐる。じわりじわりと見えないくらいゆっくり、距離を縮める。肩と肩がギリギリ触れ合わないところまで近付いた。


「黄瀬君はみんなと昼食を取るのかと思っていた。…やはり、イメージと実際は違うな」

「大人数すぎるのは好きじゃないっス。てか、オレの名前知ってるんスね」

「評判だからね。黄瀬涼太君」


 涼太君って響き、何か、いい。


 箸を止めて少年を凝視する。白い滑らかな肌、どこか禁欲的でそそられる雰囲気。髪と揃いの色の目はただただ強く、綺麗で、吸い込まれそうだ。
 もっと話を繋げようとした時、チャイムが鳴った。早すぎないかと思って腕時計を見るが、鳴った時間は普段と変わっていない。
 隣で空気が動いた。


「じゃあな、黄瀬君」

「え、待っ……名前! 教えて!」

「ないしょ」


 次会った時に、と、少年は唇の前に人差し指を立てて去っていった。最初から黄瀬しかいなかったような空気が生まれる。
 頭上を見上げ、花を大分散らした桜を見上げ、彼は桜の精なのではないかと本気で思った。



* * *



「はーい赤司っちあーん」

「放せ。どけ。おすわり」

「最後おかしい!」


 散る気配を見せない紅葉の下、木にもたれ、赤司を足の間に座らせて後ろから抱き抱えて、昼食を取る。どちらかといえば暖かい日はいつもそうだ。人目を気にしない場所で、ゆるやかに、大好きな人と二人きり。
 赤司の肌から立ち上る匂いにくらくらしながら、彼の体温を包んで、箸で摘まんだ卵焼きを彼の口元に持っていく。そうしたら、先の言葉を言われた。


「もう半年かあ…」

「なにがだ?」

「赤司っちと会って、半年」

「ああ…早いな。あの体育館で会った日から、もうそんなに経つのか」

「……」


 赤司は、黄瀬と初めて会った時のことを覚えていないようだった。あのあとすぐ青峰に憧れてバスケ部に入って、一軍に上がって「再会」した時、初めましてと言われた瞬間の衝撃は忘れられない。彼の中で黄瀬は、二週間ちょっとで忘れられる存在だった。
 思い出してほしいが、思い出さなくても構わない。今、赤司は自分の腕の中にいるのだから。肩を触れ合わせることさえできなかったあの時と比べたら、たいした進歩だ。


「照れなくていいんスよー赤司っち。誰も来ないんスから」

「照れてない! この体勢だって恥ずかしいのに『あーん』なんてできるか!」

「やっぱ恥ずかしいんじゃないっスか〜!」

「っ……」


 図星を指されると墓穴を掘りやすい赤司の耳がみるみる赤くなる。立ち上がろうとしたのを押さえて、卵焼きを自分の口に入れた。


「んーじゃあ、赤司っちがオレに『あーん』してくれたらいいっスよ」

「……ちっ、仕方ないな」


 赤司がモソモソ黄瀬から数十センチ距離を置く。


「おすわり」

「はいっス!」

「お手」

「はいっス!」

「……ぁ……あー、ん…」

「あーん」

「待て」

「…あー」

「……よし」


 お許しを得てから、差し出された肉じゃがのじゃがいもを口に含む。おいしかった。
 どうだ、と赤い上目遣いに射抜かれる。弁当は赤司のお手製で、味を訊いていることは分かっていた。うっとり微笑んで赤い髪を梳く。


「ちょー可愛かったっス。真っ赤になってて、お箸持つ手、震えてて」

「馬鹿、そっちじゃない…!」

「肉じゃがもすっげえおいしかったし。オレ、あれくらいの味つけ好き」

「……それ、は、よかった」


 髪に触る手を振り払われた。だが、照れ隠しされるというのは、それはそれで嬉しい。
 赤司の体を反転させて、また後ろから抱き込む。食べにくいと文句を言われるのを聞き流して桃色の耳に甘く噛みつく。


「ちょ、黄瀬…っ」

「弁当食べ終わったんでデザートっス」

「ん、っ、……調子に乗るな……っ」


 ゴン、と鈍い音が、秋の蒼穹に響き渡った。



END.









* * *
どうでもいい人のことはすぐに忘れる赤司様、でした! 確か、短編の黒赤にも似た設定があった気が…。全校生徒の顔と名前は把握させている赤司様もいいですが。随分やる気のない白馬の王子様でしたね、黄瀬が。けれど今同じことをする輩がいたら、恐怖の白馬の王子様になりそうな。怖すぎて。
リクエストありがとうございました!

 

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