短編2
□偽る必要なんてないから
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恋人になってくれ、とお願いするように命令したソイツは、真っ白い頬で、微笑みすら浮かべていた。聞き間違いか――歩兵を一歩前に進めてから聞き返す。同じ言葉を放たれた。
「本物の恋人になってくれとは言わない」
「どういう意味なのだよ」
「最近告白が鬱陶しくてね。告白だけなら断ればいいんだけど、しつこくされると辟易する」
「……で?」
「珍しく察しが悪いな――いや、恋愛面ではお前はこんな感じだったな」
虫除けの為の、見せかけの恋人になってくれ――三回目の命令は、少し詳細になっていた。不誠実は嫌いだと断れば、お前にしか頼めないだなんて殺し文句が返ってきた。それにあっさり殺られて頷いたオレは馬鹿だ。
幸せな思い以上に、嫌な思いをするに決まっている。好きな女の偽物の彼氏ほど得と損が両立するものはそう無い。
ありがとう、と微笑む赤司の王手が、部室にこだました。
* * *
「え、赤司さんって緑間君と付き合ってるの?」
「うん。少し前から」
「うわあ、すごくお似合い! 美男美女だね!」
「そんなことはないよ」
クラスの女子の恋愛話に引っ張りこまれた赤司が、昨日の今日でもうカミングアウトした。きゃあきゃあ騒ぐ女子がオレまで呼ぶ。無視したが、赤司に呼ばれたから仕方なくそちらへ向かう。赤司の隣に立った。
「絵になるわぁ〜」
「そりゃあ男子の告白断るよね、こんな素敵な彼氏がいるんだから」
「どこまでいったの? キス? それとも…」
「きゃー!」
それとも、の続きがいまいち分からなかったが、恐らくはアレのことだろう。キス以上といったらそれくらいしか思い浮かばない。
体の左側が少しあたたかいと思ったら、赤司が寄り添っていた。モジモジと俯いて顔を赤くしている。大した演技だ。
「……その、まだ、手を繋ぐ……まで……」
「赤司さん可愛いいいい!」
「緑間君は奥手なのか…」
試合会場などの人混みで、確かに手を握ったことはあった。はぐれたら困るからで、赤司のもう片方の手は紫原が握っていた。
赤司の頬を染める幸せの色が本物だったら、こうも胸が重くなることはなかったのに。気を抜けば真実だと錯覚してしまう嘘は、錯覚から醒める度に心臓に傷をつけた。
* * *
恋人のふり、といっても、特別変わったことはしない。ただ二人で帰るだけ。以前と変わらない。まあ、本当に付き合っても、赤司が手を繋いできたり腕を組んできたりするとは思えないが。そして、恋人のふりだからさすがにキスはできない。
「これは、効果があったのか?」
「ああ。しつこい奴は諦めたみたいだし、告白も少なくなった。緑間に勝てるとは思えないんだろう」
「当然なのだよ。オレはお前以外には負けんし、いつかお前も負かす」
「ははっ。格好よさでは負けるよ」
「…からかうな」
「本心だよ」
大体、自分の彼氏を褒めて何が悪い――クスクスと、赤司は笑った。急に歩調を速くし、オレがそれに合わせる直前、目の前に来て立ち止まる。歩けなくなり、オレも止まる。
夕暮れの電灯がスポットライトのように赤司をゆるく照らす。企んでいる笑顔で、光の円から薄い暗闇に踏み出して、オレのブレザーの裾を掴んできた。くい、と引っ張る動作は可愛らしい。
「緑間、キスしよう」
「…………………………は?」
また幻聴、聞き間違いか。頭を軽く振って聞き返す。同じ言葉を放たれた。
キス。恋愛に疎いと言われるオレもそれくらい知っている。一応、その先だって知っている。
かさつきなんて少しもなくて、濃すぎないくらいに赤くて、小さい。そんな赤司の唇に口付けるのか。
頭を驚きがグルグル走る。赤司はその間にも、オレに体を密着させて、つま先立ちを始めていた。
「あ、赤司……っ」
「躊躇う必要はないだろう?」
「何を言って――」
「人はいないし、僕達は恋人同士なんだから」
恋人同士。
その言葉が鼓膜を叩いた途端、パニックになっていた頭が、高鳴っていた胸が、落ち着いた。赤司の両肩を掴んで押す。大して力を入れていないのに、小柄な体は簡単に後ろに下がった。
心から驚いている様子の赤司がオレを呼ぶ。
「偽物が、そこまでする必要はないのだよ」
「…でも、偽物でも、一応恋人…」
「オレは不誠実は嫌いなのだよ」
「っ…」
赤司が俯く。沈黙が気まずくて逃げるように辺りを見回したら、ここが丁度、オレと赤司が別れる道だということに気付いた。赤司といると周りが見えなくなる。車などには注意するが。
早く帰らないとお互い親が心配する――言うと、赤司は小さく頷いた。
何も解決しないまま別れる。明日からどうなってしまうのか不安で仕方ない。せめて以前のように接してくれたら、というのは、無理な願いだろうか。
* * *
「さ、緑間。帰ろう」
結論から言うと、昨日の心配は全くの杞憂だった。悩んで、数々のシミュレーションをして潰れたオレの睡眠時間を返してほしい。
昨日までとあまりにも変わらない赤司と、昨日も通った道を歩く。なるほど、コイツにとって、昨日のあれは取るに足らないことなのか。
もう我慢できない。演技をやめて、元通りになって、限界を越えるまでアプローチしてから気持ちを伝えよう。昨日も立ち止まった場所で足を止める。
「…緑間?」
「お前はいつまで偽物の恋人を演じる気なのだ?」
急所をつつかれたかのように、赤司が息を飲んだ。間を置かず、お前に好きな人ができるまで、と答えてきた。前々から答えを用意していた早さだった。
だったら、そうならば、
「それなら、もう終わりなのだよ」
固まった。息を飲まず、目も見開かず、赤司の顔は固まった。いくら恋愛では猿並みのオレでも軽く傷つくくらいに驚いている。
「…誰なんだ、相手は」
「……ひ、ひみ、秘密……ナノダヨ」
「可愛いのか?」
「可愛い。のだよ」
唇を「う」を言う形にして赤司が息を吐く。目を伏せて口角を上げて、そうかと呟く。虚ろにも吹っ切れたようにも見られた。また始まる誰かのしつこさを憂えているのだろうか。
これで恋人ごっこは終わって、スタート地点に戻れる。ごっこ中感じた幸せが心地よすぎたからもう諦められない。
「…初めて何かに失敗したよ」
「いや、失敗とは言わないだろう」
「ううん、失敗だ」
だって――昨日触れかけた唇が固く弧を描いた。
「恋人ごっこをしてる間に、緑間に僕のこと、好きになってもらえるよう画策してたんだから」
――今、なんと。聞き間違いが聞こえて聞き返す。赤い頬で断られた。
断られたが、聞き間違いに思ってしまいそうな幸せな言葉は続けられる。
「…緑間は恋愛に関しては猿未満だから……こうすれば、少しは意識してくれる、かな、と…」
言っているうちに俯いていく赤司の旋毛を、呆然と見ていた。両方の手でスカートのヒダを強く掴んでいる様子が可愛かった。わざわざそんな作戦に出たことが、いじましかった。
次に赤司の目が見えた時、瞳がくにゃりと歪んでいた。口元は相変わらず弧を描いている。
「まあ、そんな工作もこれで終わりだ。お前に好きな人がいるなんて知らずにこんなことをしていて滑稽だが…お前を虫除けに利用した罰なんだろうな」
「滑稽なんかではないのだよ」
「お前は優しいからそうは思わないだろうね。他の人や僕から見たら、やはり滑稽なんだよ」
「…違う、優しさで言ったのではない」
「じゃあ、なに?」
「……その好きな人、というのが、……赤司だから、なのだよ」
赤司は聞き返してきたりはしなかった。歪んでいた瞳を綺麗に歪めて、口元の弧のラインをやわらかくして、ただ笑った。
先程と一転して幸せそうな赤司に比べると、オレのテンションは下がっていた。それを見つけた赤司が不安げに口を開く。
「…どうしてそんなに不満げなんだい?」
「……こんなはずではなかったのだよ。もっとこう、雰囲気やら何やらを…」
「緑間は乙女だなあ。僕はゴミ捨て場でプロポーズしてもらえても泣けるよ」
さらりと未来の話をする赤司。中学生が語る結婚なんて絵空事くらいに不確かなのに、赤司が語るとしっかりして見える。泣くほど嬉しいと言われたことも混ざって、心臓をあたたかいものが覆う。演技の時よりあたたかい。
こうして、この日を境に、恋人ごっこは終了したのだった。
END.
* * *
六月四日、ということで緑赤。けれど中学時代のお話ですすみません。しかも女体化。
赤司さんはわりと乙女でわりと男前がいいなあ、と今のところは思っています。