短編2

□悪い夢
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赤司様化捏造・220、221Qネタバレ注意





『オレより弱い人の言うこと聞くのはやだなあ』


 笑顔の欠片もない、ひどく乾いた瞳が自分に向けられていることが怖かった。
 いつも後ろを引っ付いて回って、常に僕の命令にだけは従ってきた敦。忠犬か子供のようだとは思っていたが、犬という表現が一番合っているようだ。真に忠実ではない犬。自らが認めた相手に屈服するというのは犬の性のようなものだ。


「――どうしてよりによって、オレとの対局中に考え事をするのだよ」

「……ああ、悪い。どうしてかこの時が一番落ち着くんだ、今は」


 言った瞬間、しまったと思った。今は、だなんて、聡い真太郎に言ったらそこに込めた意味も読み取られる。誤魔化すように角行を斜めに飛ばして香車を取った。
 まあ、そんな事で誤魔化されてくれる真太郎ではない。


「やはり仮初めの好意は不満か?」

「黙れよ、踏み入ってくるな」

「…アイツが関わると、一気に人間らしくなるな。お前は」

「僕はいつでも人間だよ。無駄話をするからこっちが疎かになったな……王手」

「む」


 真太郎が王様を逃がす。悪あがきに見えるその行動は、投了するよりマシなのか否か。
 結局、追い詰めて追い詰めて、僕は真太郎の王を盤上から落とした。裏面には何も書かれていないその駒は、とてもとても、惨めに見えた。動かしていたのが真太郎だからだが、金や銀――部下に最後まで見捨てられなかったところは羨ましい。
 駒を片付けながら、真太郎に聞こえるように言う。



「アイツが強い僕に、偽物でも好意を向けてくれるなら。僕は何事にも勝ち続ける」



 父が言おうと義務感以上の感情は湧かなかった。だが敦がああ言うなら、違う。
 真太郎に宣言するみたいに言ったのは、決意を表すためだった。表さなくても勝ち続けてみせるが、表した方が自分を引き締められる気がした。


「…………お前はどうして……」


 僕は読心術なんて使えないから、真太郎がその先、何を言おうとしたのかは分からない。聞いても真太郎は、無言で首を振って帰り支度を始めた。



* * *



 成長していくにつれて、だろうか。赤ちんはどんどん固くなっていって、子供っぽさを無くしていった。昔は虹村元しゅしょーの後を雛鳥みたいについて回ったり、オレに柔らかい笑顔を見せてくれたのに。
 今の赤ちんの前には誰もいない、横にもいない。オレは隣に立ちたいけど、まだ赤ちんの背中にも手が届かない。
 昔――一年くらい前までは、赤ちんが大人びていても、人間離れしていても、強いなら関係なかった。強い人に従う、それがオレなのだ。
 でも今は、赤ちんがああなってしまってとても悲しい。


「あーあ、卒業したくね〜」

「中学生が留年するには相当の理由がいるのだよ」

「わかってないねミドチン。中学出んのがヤなんじゃなくて、赤ちんと離れんのがヤなの〜」

「赤司、か…。お前、アイツにきちんと気持ちを伝えているか?」

「うんー。ミドチンが口うるさく言ってたからね〜。ほぼ毎日言ってるよ」


 赤司に自分の気持ちを伝えろ、って、いつからだろうか。ミドチンに言われるようになった。恥ずかしいからイヤだったけど、言うのに慣れたら平気になった。むしろ伝えないと落ち着かない。赤ちんは一度も同じ言葉を返してくれないから、言い続けていないと忘れられそうで。
 ならばとミドチンは安心したみたいに頷いた。このやり取りももう何度もしているけれど、飽きずにミドチンは聞いてくるのだ。
 騒がしい休み時間の教室で、そしてオレの頭は卒業へ戻る。


「卒業したくないよー……赤ちんと離れるとかホントない」

「お前も洛山に行けば良かったのだよ」

「赤ちんの言うことはゼッタイなの、分かってんでしょ?」

「……お前まさか、まだ赤司が強いから言うこと聞いているのか」

「? うーん、どうなんだろうねー。多分そうなんだろうけど、もし赤ちんが弱くても、オレは赤ちんの言うこと聞いちゃうと思う」


 だって赤ちんが大好きだから。大好きな人の願いは叶えたいから。

 前までは、弱い赤ちんの言うことなんか聞きたくなかったけど。今は違うのだ。
 ミドチンはオレに何か言いたそうにしていたけれど、オレはそれを無視してトイレに行った。

 そうして季節が回って、オレはミドチンを無視して立ち去ったことを、ミドチンはオレに言わなかったことを後悔するのだ。



* * *



 ブザーが鳴り響いて試合の終了を告げる。僕は息を切らせて立ち尽くしていた。
 結果なんて見なくても分かる。一点差で、洛山の、負け。
 ごめんなさいと玲央達が謝ってくる。謝るべきは僕の方なのに。今、自分が玲央達に何て言っているのか分からない。
 全身に巣食う感情は、恐怖。強い人の言うことを聞く敦は、テツヤや火神の言うことを聞くようになるのか。そして僕は、またあの乾いた瞳で見られるようになるのか。
 頭がフラッとしたけれど、まだ死ぬわけにはいかない。試合に負けたショックで主将が倒れたなんて思われたら、玲央達まで笑われる。

 だから僕が病院に運ばれたのは、四日後のことだった。



* * *



 赤ちんが倒れて目を覚まさないって連絡が来たのは、WCが終わって四日経った日だった。秋田に戻っていたオレだけど、とんぼ返りみたいに東京に行った。赤ちんは東京の大きな病院にいるらしい。アカシのケンリョクだろうか。


「赤ちん……!」


 大きな個室にはキセキのメンバーと洛山の無冠がいた。向かって左にあるベッドに横たわっているのは、数本の管に繋がれた、オレの大好きな人だった。赤い髪が白いシーツに散っていて綺麗で、でも見とれる余裕はない。洛山の人達を押しのけて赤ちんを揺さぶる。すぐにミドチンに止められた。振り払おうとしたら峰ちんも止めに加わってくる。


「っ、離してよ…! 何で、赤ちん、こんな…っ」

「落ち着くのだよ! 揺すって起きるならとっくに起きている!」

「とりあえず緑間の話を聞いてやれ! なんかお前のことずっと待ってたんだぞ!」

「はあ? ミドチンとかどうでもいいし」

「…赤司に関する話でも、か?」


 条件反射だった。赤ちんの命令を聞く時と同じ。
 暴れるのを止めてミドチンを見る。止めるのに加勢しようとしていた洛山のゴリラみたいな人が、ホッとした顔をした。
 ミドチンが付いてこい、と病室を出た。なんで隔離して話すんの。やな予感が消えないまま、付いていった。
 人払いされているわけでもないだろうに廊下には誰もいなかった。病室のドアがあるのと反対側の壁にもたれて、ミドチンは口を開いた。


「始めに言うが、話を遮るなよ」

「……がんばる」

「…………赤司が倒れた原因は恐らく、お前なのだよ。紫原」

「………………は?」


 オレが、赤ちんを、あんなにした?

 じょーだん。オレは赤ちんを傷つけたりしない。絶対に。というかオレなんかが赤ちんに影響を与えられるわけがない。
 びっくりしすぎて逆になにも言えない。そんなオレに、ミドチンは続ける。


「中学の時、白金監督が倒れた後くらいだったか…。お前、一度だけ赤司に反発しただろう。あれが全ての原因だ」


 言われて思い出した。ちょうど体がよく動くようになった頃、調子に乗ったオレは赤ちんにデカイ口を叩いた。何て言ったかな、確か――


「『オレより弱い人の言うこと聞くのはやだなあ』」


 ミドチンの声と記憶の中のオレの声が重なった。ミドチンはすぐ後に「だったか」って付け足したけど。
 何となく、分かってきたかもしれない。どうして気付かなかったんだろう。赤ちんが固くなっていったのは、あの時からなのに。


「赤司は言っていたのだよ。紫原――お前が強い自分に偽物でも好意を向けてくれるなら。自分は全てに勝ち続ける、と」

「……赤ちん、」

「負けてお前が離れていくのが、怖かったのかもしれない」


 あの頃からミドチンが赤ちんに好意を伝えろ、っていっぱい言うようになった意味が分かった。こうならない為だったんだ。オレの伝え方は間違ってた。弱くても、赤ちんだから好きだよ、って、そう言わなきゃいけなかったんだ。


「あの時、お前にちゃんと教えておくべきだった…」

「……オレも、あの時ミドチンが何を言いたかったのか、聞いとけばよかった」


 後悔が胸を詰まらせる。
 赤ちんの目を見ることは、声を聞くことは、できないのかな。そんなのは絶対に嫌だった。



* * *



 目を開けたら自分の部屋だった。倒れたはずなのに、不思議だ。四日も経てば試合に負けたことと関連付ける奴はいないだろう、もう死んでいいと思った瞬間、意識が遠退いたのだけど。眠かっただけだろうか。
 ケータイのメールランプが光っていた。テツヤから、キセキへ一斉送信――なのにアイツの文字が見当たらない。彼へのサプライズをするという内容でもないのに。
 ボタンを押してテツヤへ電話をする。ワンコールで出てきた。早い。


『おはようございます、どうしました?』

「メール、読んだ。敦の名前だけないのは何故だ…?」

『……アツシ…? すみません、どなたのことですか?』

「え?」


 何かの悪戯か。それならやめろと言っても、テツヤは困惑した風だった。
 通話を切って他のキセキに聞いても、答えはテツヤと同じだった。
 まさかと思って月バスのページを捲る。必ず、キセキの世代であるアイツの名前は、写真はある。
 なのに。

 紫原敦という名前はどこにもなくて。


 僕はようやく、自分が夢の中にいるままだと知った。



* * *



 赤ちんが倒れてから二日経った。
 お医者さんが言うには赤ちんは精神的な問題で眠っているらしい。精神的な問題って、やっぱりオレのせいかな。赤ちんを眠らせるくらい、赤ちんの中のオレは大きいみたいだ。こんな状況じゃ、全然喜べないけれど。
 オレはというと、ずっと赤ちんの側にいる。ここで食べた。ここで寝た。今日か明日にはお風呂に入んなきゃ、臭くて赤ちんが嫌な思いするかな。


「……赤ちん」


 返ってくるのは寝息だけだった。呼んだら目を覚ますなんて、そんな都合のいい話はない。


「赤ちん、目、開けてよぉ……」


 強く揺さぶったら、最終手段に殴ったりしたら、目を覚ますんじゃないか。寝起きが悪い兄ちゃんを起こす時、そうやったら起きてたし。
 ……揺すったり殴ったりするんじゃダメなことくらい分かってる。それで起きるならとっくにそうしてるって、ミドチンも言ってた。
 そろそろ秋田に戻んなきゃいけないけど、絶対に戻らない。冬休みが終わっても、赤ちんがこのままなら、戻らない。
 オレは呼び続けるのだ。赤ちんに届くように、何度も何度も、何万回でも。赤ちんがあのキレイな瞳を見せてくれるまで。



 
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