短編2

□悪い夢
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 夢の中で、二週間が経った。ずっと「紫原敦」の名前を探したけれど見つからなかった。分かっていたことだ。ここは僕自身が作った世界なのだろうだから。
 ただ、よく考えてみると、ここが夢だと断定できない。もしかしたら紫原敦がいる世界こそ、この世界で僕が見ていた夢の世界かもしれない。「胡蝶の夢」に似ている。


 胡蝶の夢――宋の思想家荘子の説話だ。


 夢の中で胡蝶として飛んでいて、目が覚めた。自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか。という話だ。
 まあ、たとえ敦がいない世界が夢でも、死ぬまで――現実世界の体が死ぬまでここで暮らすなら。ここが現実でいいだろう。



* * *



「紫原君。もう三日目ですが、部活の方は……」


 夜。部活帰りだろう。黒ちんがやって来た。じぃっと赤ちんの寝顔を見てから、言いにくそうに訊いてきた。


「部活なんか行くわけねーし。赤ちんのが大事に決まってんじゃん」

「……赤司君が目を覚ました時、悲しみますよ。君の時間を縛ってしまった、と」

「んなの、そうだとしてもお互いさまだし。……オレだってこうやって、赤ちんをしばってんだから」

「…?」


 どういう意味か、っていう目で黒ちんが見てくる。答えるのが面倒だからそっぽをゆっくり向いといた。
 赤ちんはオレに嫌われてるって思いこんで、自分を現実から切り離した。オレがしばっているも同然だ。


 皆に好かれいて、多分それに気付いてなくて。周りに期待されていて、それに応える為の努力をいっぱいしていて。

 そんな赤ちんをオレがこんなにしたんだ。どうすれば、いいのかな。

 ヒントをくれるのはいつも赤ちんだった。でもその赤ちんは今、眠ってる。


 いつの間にか黒ちんはいなくなっていた。荷物もないからミスディレしてるわけじゃないだろう。
 布団の中の手を握った。生きてるって分かる手だった。


「赤ちん、もしかして、いい夢見てるから起きたくないの?」


 オレが赤ちんに応えてきたみたいに、赤ちんはいつもオレに応えてくれた。けれど今、手は握り返されない。


「……オレもそっちに行けたらいいのになあ」


 それが夢の中でも、赤ちんがいるなら十二分。
 このベッドを二人で使って、オレ達以外はNPCの世界に行けたらいいのに、なあ。



* * *



「全っ然よくないなこの世界は……」


 一日一度来るメール。お菓子がどうの、学校がどうの、お菓子がどうの、お菓子がどうの部活がどうの。そんな、他愛なくても毎日来ていたメールが来ない。
 三日に一度は来た電話。少し独特の、間延びした口調。耳に心地よい低い声。もう随分と聞いていない。

 敦がいない日常には慣れたのに、敦がいない世界はいつまでも寂しいままだ。
 どうして敦がいない世界ではなく、敦に好かれている世界を夢見なかったのか。さすが僕。ひねくれている。


「征ちゃん? 大丈夫? 顔色悪いわよ」

「あーっ、あれだろ、昨日湯豆腐買い損ねたからだろ!」

「牛丼いるか?」

「…………平気だ。問題ない」


 今日は里帰りをする日だった。三月、春休み。キセキと火神とで集まってバスケをする約束もしていた。ぴったり三対三ができますね、とテツヤが嬉しそうにしていたのを思い出す。
 火神を入れるなら一人余る、はずだったのに。
 なぜか見送りに来た玲央達に軽く手を振って新幹線に乗る。皆に会うのは嬉しい。なのにどこか憂鬱だった。





 二時間と少しの時間を経て東京に滑りこむ新幹線。ホームに降り立つと、目立った髪色の集団を見つけた。


「お久しぶりです、赤司君」

「あれ、お前縮ん――いでででっ」

「赤司っち! プレゼ――貢ぎ物の湯豆腐っス!」

「なぜ言い直したのだよ……今日のお前のラッキーアイテム、まいう棒だ」

「よぉ赤司。お前とバスケすんの、楽しみにしてたんだぜ」


 集まった面子を順に見てもやはり、紫色はいない。
 涼太と真太郎から湯豆腐とまいう棒を受け取る。まいう棒のパッケージは、ここにいない敦を表すかのように紫色をしていた。


『赤ちん、それちょーだい』


 敦の声が、幻聴が聞こえた。ああ、確かにアイツならそう言うだろう。僕はそれに、真太郎がせっかくくれたから明日になったらなと答えるんだ。そうしたらきっと、十二時過ぎたらもらうねと、何気なく日をまたぐその時も一緒にいると宣言するのだろう。


 …敗者になってしまった今、そんなやわらかい言葉はもらえないかもしれないけれど。


「――赤司君?」


 テツヤが最初に、立ち止まった僕に気付いた。どうかしたのかと不思議そうに訊ねてくる。他の四人も、同様に。
 真っ先に気付くのは敦だった。声をかけながら抱きしめてくれるのが、敦だった。


 蔑んだ目で見てきてもいい。冷たい態度で接されてもいい。本当は嫌だけど、敦がいないよりずっとましだ。




 会いたい。



* * *



 明後日、陽泉は三学期を始める。戻る気なんてないのに、室ちんも皆も、戻ってこいって言ってくる。どれだけ言ったってオレは赤ちんから離れたりしないのに。
 赤ちんの様子は変わらない。時々ピクリと動くけど、目覚めの合図じゃあないんだってお医者さんが言ってた。言ってたその通りに、赤ちんは目を開けない。


「……赤ちん」


 赤ちんの手を握ったままベッドに俯せる。シーツの匂いに混じって、赤ちんの匂いがした。


「赤ちん、あいたいよー……」


 また頭を撫でてほしい。抱きしめさせてほしい。
 京都限定だよ、って言ってまいう棒をちょうだい。
 中学の頃――いや、あの日、WCの前に言っておくべきだった言葉が口から出てくる。目を覚ました赤ちんに言うつもりだった言葉達。


「オレさあ、赤ちんに逆らったこと、ちょー後悔してんの。あんなことしなきゃ、赤ちん、こんなにならなかったもん――」


 聞き手がいない独り言だった。



* * *



「オレさあ、赤ちんに逆らったこと、ちょー後悔してんの。あんなことしなきゃ、赤ちん、こんなにならなかったもん」


 駅にいたと思ったのに、ふと気が付いたら病室にいた。僕はまた倒れたのだろうか。目の前に敦がいて、一瞬、現実に戻ってきたのかと錯覚する。けれどすぐに違うと分かった。敦が負けた僕のところにいてくれる訳がない。
 とするとこれは、夢のまた夢、か。会いたいと望んだからこうして敦が出てきたのか。都合のいい世界だ。
 何を言おう。負けてから初めて敦に会ったから、何を話せばいいか迷う。


「…後悔する必要はない。お前のせいじゃないんだから」

「もうすぐ始業式だけどね、オレ、ずっと赤ちんとこにいる」

「駄目だ。学校にはちゃんと行け。というか無視するな」


 僕の言うことを聞かない、しかも無視をする敦に胸が痛む。やはりもう僕のことを嫌いなのか。でも敦は何だか泣きそうだ。


「あとね、オレ、もいっこ後悔してんの」

「だから無視するなと……」


 言いかけて、途中で飲み込む。おかしくないか。会話が噛み合っていない。三軍の選手とも、会話は一応成り立たせていた敦なのに。まるで一人で話しているような話し方だ。


「ちゃんと赤ちんに言っとけばよかった。赤ちんが大好きだよ、って」


 大好き、それは中学時代に何百回と聞いた言葉だ。僕はそれを複雑な気分で聞いていた。敦が好きなのは僕じゃなくて、強い僕だから。今も複雑なのは変わらない。
 僕よりよっぽど逞しい腕が、ベッドに座る僕を抱きしめた。後ろからやわらかい抱擁を受けることはあったけれど、こんな、力加減を知らないような、痛いくらいに強いのは初めてだ――ドキドキした。特に寒さは感じていなかったが、とてもあたたかい。



「負けちゃった赤ちんでも、弱い赤ちんでも、オレは大好きだよ」



 紡がれた言葉にビックリする。負けた僕も、弱い僕も、大好き?
 だから戻ってきて、と。動揺したままの僕に、敦が泣きそうな声で囁いた。



* * *



 ピク、と赤ちんの手が動いた。何度もそうなったけれど赤ちんの目が開いたことは一度もなくて。今回もそうなのだろうと、オレはじっとベッドに俯せていた。
 くしゃり、と。頭に何かがのった。撫でるみたいに動く。



「――……泣く、な、あつし」



 掠れた声に目を見開く。これは、何日ぶりかに聞いた――

 勢いよく頭を上げて見てみると、赤と橙の目が、オレを見ていた。オレの頭から落ちた手はベッドの上だ。


「お前が泣く、と、どうしたらいいか、分からなくなる……」

「赤ち……」


 ぼんやりした目は眠たそうで、今伝えなきゃまた眠ってしまいそうだ。


「オ、オレ、赤ちんが大好きだよ…! 負けても弱くても、赤ちんのこと……っ」

「……知ってる」


 言葉を詰まらせていたら、目を見開いて赤ちんが言った。知ってる、じゃあ何で倒れたの。何でそんなに驚いてるの。
 わけが分からない、そんな感じの顔で赤ちんが話す。


「夢の中に、お前はいなくて。嫌われるよりは、お前がいない世界の方がいいって、思ってたけどちがくて。そしたら夢の夢に、お前が出てきた」


 何とか意味を呑み込む。赤ちんは話すのが辛そうだ。目を覚ましたらナースコールを押すように言われていたのに思い出せない。


「学校に行かないでここにいるとか、僕にちゃんと…大好きって言っておけばよかった、とか」


 弱い僕も、負けた僕も好きだ、とか。

 そこまで聞いてたまらず、赤ちんの体を抱きしめた。力を加減できない。夢に届いたらしい。オレの言葉は。
 正夢みたいだ、と赤ちんが呟いた。何がなのか分からない。でもかまわなかった。大事なのは赤ちんだ。
 赤ちんの腕がオレの背中に回って、そんで、


 ――病室のドアが開いた。



* * *



 朦朧感が消えない意識も、ドアが開いた後の騒ぎで吹き飛んだ。
 最初に入ってきたテツヤは絶句。大輝と涼太が騒いだ。真太郎も、絶句。


「赤司っちいいいい目が覚めたんすねぐぼっ」

「黄瀬ちんうるさい」


 飛びついてきた涼太が敦に頭を殴られて伸びた。伸びた涼太を呆れた目で見るテツヤと大輝も何だかんだでうるさい。そんな二人と敦が言いあいを始めたから更にうるさい。
 同室者に迷惑がかかるかと思ったが、ここは個室だった。ただの寝坊助に宛がう部屋を個室にするのは金の無駄遣いと思ったが、この状況を考えると、そうでもなかったようだ。
 三人の騒がしさに切れた真太郎が、声が嗄れた僕の為に水を買ってこい、と怒鳴った。その際目配せしてきたので、渋る敦に飲みたいな、と頼んだ。ダッシュで行ってくれた。


「…で、何か言いたいことがあるんだろう?」


 一気に静かになった病室で、真太郎が訊いてくる。さすが、聡い。


「僕が『何事にも勝ち続ける』と言った時、お前が言いかけていた言葉の続きが気になってね」

「ああ…よく覚えているな」

「お互い様だよ」

「そうだな。……なぜ、本物の好意を得る努力をしないのか。そう言いたかっただけなのだよ」

「…なるほど、その手があったね」


 一本取られた、そう言うと、答えを出しやすい第三者の立場で勝っても勝ちとは言えない、と堅苦しい答え。
 声を上げて笑うと喉が痛くて咳き込んだ。ナースコールを押したか聞かれ、首を振ると、真太郎が大慌てでナースコールを押した。





END.









* * *
お久しぶりの紫赤がえらくシリアスになりました。。220、221Qは本当に紫赤がたぎった…。もちろんいつでもたぎっていますが!

 
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