短編2

□片恋終点切符
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 何事にも波立たされることのなかった赤司の心を、起伏させる存在が現れた。

 最近になってキセキの世代、と呼ばれる彼らと、幻の六人目、と噂される彼。

 中でも、灰崎とは別の意味で不真面目な青峰がもたらしてくる起伏は、尋常ではなかった。



* * *



「練習に顔を出せ、青峰」


 声をかけた瞬間はこちらに背を向けていた青峰は、名前を読んだ時には面倒臭いと顔で言って振り向いた。
 冬の初めの屋上。他の季節とはどこか違う色の寒空の下で二人、向かい合う。赤司は立ったまま、青峰は寝転んだまま。吹いた風は赤司の背中に阻まれて青峰には届かなかった。
 嫌そうなその表情を向けられるのが嫌で堪らない。嫌、と言うより怖い、と言った方が適切で、そんな事実が嫌だ。


「いつもいつもしつっけーなあ…」

「お前が来ないと黄瀬のやる気がでない。黄瀬は今でもまだ伸びる」


 暗に「お前は伸びない」と言われたからだろう。青峰の顔が苛立ちに歪んだ。だが彼が伸びないのは事実だ。また伸びだすのはもっと先、高校に上がってから。
 舌打ちが広く響く。と同時に青峰が、腹筋を使って起き上がり、立ち上がった。あからさまに目をそらして赤司の横を通る。そう遠くない、どちらかといえば近い場所で、扉が乱暴に閉められる音がした。屋上に、自分一人だけになる。


「……っ」


 また、だ。

 青峰といると、青峰のことを考えると、胸の中に変化が起きる。それは甘さの漂う疼きだったり、苦しいだけの痛みだったり、様々。最近は痛みしかない。
 青峰は練習に行くだろうか。赤司が声をかけても行かない時もあり、確率は半々なのだ。
 黄瀬の伸びを思うなら、手を引っ張って無理にでも連れていけばいい。それができないのはこれ以上鬱陶しがられたくないからだ。


「…こんなの、オレじゃない」


 たった一人の機嫌を損ねるのが怖くて動けないなんて。嫌われたくない相手が、――好かれたい相手が、いるなんて。

 ふらふら足を後ろへ動かすと、背中が冷たい壁に当たった。その固い冷たさに体の後ろ側を押しつけながら立つ力を抜く。ズルズル擦り付けながら座ったから、シャツには汚れが白く付着しただろう。かまわなかった。

 休憩時間は後何分だったか、そんなことを思いながら、たてた膝を腕で抱え、顔をうずめた。



* * *



 寒さがなくなりだし、朝の目覚めが随分と楽になった。
 中学に入って三回目の春がすぐ後ろまで来ていて、抱きしめようと腕を伸ばしてきているような、そんな季節。

 卒業前夜、赤司は自室で机に向かっていた。机の上には白い紙と、墨汁を注いだ硯と、愛用の筆。
 手紙を書こうと思った。今決めたのではない。ずっと前から――秋と冬の境のある日、屋上で膝を抱えたあの時から決めていた。


『はじめに記しておくが、お前は絶対、これを読んだことを後悔する。それが嫌なら先に進まずこれを捨てろ』


 同姓に好かれていると知って気味悪く思うかもしれない。だからまずそう書いて、前置きした。
 書こうと決めていたが、何を書くかはぼんやり思い浮かべるくらいにしか考えていなくて、考えながら考えながら書いた。けれど下書きはない。


『ずっとお前が好きだった』


 笑いかけられると体温が沸騰して、


『安心しろ。こうして伝えたら諦める、と決めていたから』


 あの褐色の手が触れてくれたら、と思い描いては自己嫌悪に浸りながら打ち消し、


『出来ることなら、これからも今までと同じように接してほしい』


 あの目や声が――青峰の何かが他の誰かに向けられては嫉妬に胸を痛ませて。


『ではまた、IHで』


 辛かったし悲しかったが、素敵だ、と思えた。幸せだった、と言ってもいいかもしれない。

 最後に自分の名前を書き、封筒に青峰の名を書き、墨汁を乾かす。そして手紙を封筒に入れ、断ち切るための材料は完成した。


 翌日、卒業式後、自分を呼ぶクラスメイトの声も何か言いたげな青峰の視線も振りきって、彼の靴箱に手紙を置いた。


 これで思い残したことはないと、まるでこれから死ぬ人が言うような言葉を思い、門をくぐった。



* * *



 ケータイを見ると、また着信と受信があった。相手は青峰だ。
 中学を卒業して約一ヶ月。青峰からの電話とメールは毎日来ていた。少なくても二回、多ければ十回。
 電話には出ていないし、メールは見る前に消している。本文は、恨みや非難でいっぱいだろう。

 昼と夕方の合間の時間、学校から寮へ移動する途中、こちらに向かってくる長身を見つけた。この辺りで背が高い人間というのは、洛山バスケ部のメンバーしかいないと言っても過言ではない。
 部員の誰かだろうか。そう思って何となく、その男の顔を見る。


 そして足が止まった。
 男は足を速めてこちらに向かってくる。


「赤司――!」


 怒声と共に殴りかかられ、思わず避ける。
 相手はよろけたが地面に倒れはせず、赤司を睨んだ。第二撃を繰り出すつもりはないらしい。
 一方の赤司は、久しぶりに驚いて男を見上げた。


「……大、輝。お前、どうしてここに…」

「んなこたぁどうでもいいんだよ……赤司」


 低い声で呼ばれる。脊髄が肩を跳ねさせた。
 本気で怒る青峰を前に、本能で身構えた赤司だが、心はどんどん落ち着きを取り戻していく。
 それほどまでに自分の想いが嫌だったと言うのなら、殴られるくらいしてやろう、と。ただ静かに、黙っていた。
 青峰はきつく握った拳を震わせていた。だが、やはりもう一度殴る気はないらしい。そして更に、激昂すらも怒りに縮めていく。


「あれ、あの手紙。どういうことだよ」

「……そのままの意味だけど」

「諦める、って、」

「そのままの意味だけど?」

「……お前、もうオレのこと好きじゃねえの」


 手紙で書いた通りだと言おうとして、出来なかった。出ない声の代わりに頷こうとし、失敗した。
 それでも何度も挑戦してやっと頷けた。途端に舌打ちされる。すると変わらず、胸が痛んだ。
 青峰が頭を掻きむしる。今は怒りより後悔や悔しさの色が濃いようだが、何を後悔して、何に悔しがっているのだろう。


「何を後悔してるんだい?」

「…………卒業式の後、ムリヤリにでも、お前を引き留めればよかった」

「…何が悔しいの?」

「引き留めて、ちゃんと言えなかったことが」

「何を言えなかったんだ?」


 すると青峰は口を閉じた。催促すると、それは更に固く閉じられた。貝のように。
 それでも聞きたくて、半ばイタズラ心で問う。怨み言でも怒らないから、と。


「何でわざわざ怨みなんて言わなきゃなんねえんだよ」

「それが一番確率が高いだろう」

「あ? バカじゃねえの」

「大輝?」

「…オレも、同じこと言おうとしたんだよ」


 鋏でも突き出そうと思ったが、直後の青峰の言葉が謎めきすぎていて、手が止まった。同じことって何だろう――赤司の頭は自問した次の瞬間に自答していた。
 自分が伝えたのは「青峰が好き」。
 なら、青峰が伝えたかったことは。


「……自分が好きなのか?」

「ばっっっかじゃねえの!?」

「…ああ、今のはさすがに冗談だよ」


 万が一にもそういうナルシストな意味だったら、勘違いした自分が恥ずかしいから。一応確認しただけだ。
 自分が好き、という意味ではないのなら。


「…僕が好き、なの?」

「そうだっつってんだろ。……なあ、もう遅いのか?」


 怒りがすっかり潜められた目で見つめられてドキリとした。そんな真剣な瞳、ボール以外に向けたことはなかったのに。反則だ。
 必要のない諦めをいつまでも抱いていられるほど、自分は強くない。赤司は無言で首を振って、青峰との距離を埋めた。
 確かな逞しい腕に抱き止められて、ここが外だと思い出してすぐに離れる。名残惜しそうな顔をされて嬉しくなる。
 この後どうしようか、なんて多少浮かれた頭で考え、今日部活がなくて良かった、と運の良さに感謝し。
 青峰が何故ここにいるのか、改めて疑問に思った。


「…お前、部活はどうした」

「…………やすみ」

「目をそらすな」


 コイツは部活をサボってきたのか――溜め息を吐いて呆れる。吐かれた息の音に青峰が眉をひくつかせた。


「お前今呆れたろ」

「だからなに? 部活をサボってまでどうして来た」

「だってお前、電話に出ねえしメールも返事くれねえし!」

「メールは目を通してすらいないな」


 空気が一気に悪くなった。赤司も機嫌を損ねているので、青峰だけが怒っていた時より悪い。言い合いに発展した二人に、先程の甘さは欠片もなかった。
 赤司の「とにかく戻れ」の一点張りに青峰が抵抗する。
 言い合いは平行線を辿るかと思われたが、赤司のケータイにかかった着信が流れを変えた。まるで、黒子がパスの方向を変えるように。
 電話の相手は目の前の男のマネージャーだった。青峰に断りを入れてから出る。


『赤司君! 青峰君そっちにいない!?』

「今目の前にいるよ」

『あーもうやっぱり!』


 桃井の大きな声が、青峰が部活にも来ないで行方不明になっていたと教えてくれた。聞きながら青峰に笑いかけると怯えられた。


「僕がこってり絞っておくよ」

『そう? でも、程々にしておいてあげてね』

「…なぜ?」

『だって青峰君、すごく頑張ったんだから』

「あ、おいさつき!」


 聞かれたくないらしい。青峰がケータイを奪おうと動く。赤司は青峰を転ばせて桃井に続きを促した。


『青峰君、卒業式のすぐ後京都に行きたがってね。赤司君を追いかけたかったんだと思う』

「うん」

『お金がないからお年玉の前借りしようとして、でもおばさんもおじさんも許してくれなくて』

「…うん」

『でも青峰君がしつっこく頼むから、「テストで平均点以上とったら」って条件を出されたの』

「……」

『条件をクリアしたから、青峰君はそこにいるんだよ』


 青峰を何度も転ばせてまで聞いた事実は、赤司の顔に熱を与えるには十分な内容だった。
 満身創痍の青峰が「もういいだろ」と虫の息で言うが、桃井の話はまだ続いたから、また転ばせておく。


『それに、中三の時、青峰君が練習に行かないくせに帰らなかったのはね? 赤司君に声をかけてほしかったからなんだよ。構ってほしかったの』

「…ばか、だな」

『ふふ。…赤司君に構われるきーちゃんにヤキモチやいてたし』

「本当にばかだ」

『ね、だから程々にしておいてあげてね?』

「…ああ、そうしておく」


 通話を切って、途中から起き上がろうとしなくなった青峰を見下ろす。全部聞こえていたらしく、分かりづらいが、耳が赤い。
 赤司が黙ったので通話の終わりを知ったらしい。顔を上げて情けない表情を見せてくれた。手を差しのべて引っ張り起こす。


「…さつきに感謝するんだな」


 差しのべて繋いだ手を離さずに引いて寮に戻る。泊めてやる、と言えば情けない顔は笑顔に変わった。
 二人で同じベッドに入って身を寄せ合う。好きな人の温もりが温かいと初めて知った。

 片想いしている時、幸せだと思ったが、今の方が幸せだ。

 普段以上に安眠できて目覚めは最高だったが、青峰は目の下に隈を作っていた。環境が変わると眠れないタイプではなかったから不思議で堪らない。どうしたのか訊いたが、頑として首を振って、何も答えてくれなかった。後で桃井に聞こうと決め、追求は終わった。



END.









* * *
最近筆が進まないです。死。スランプってやつでしょうか…。
赤司と桃井、単体ならまだ抵抗できる(でも負けるけど)けど、タッグ組まれたら抵抗すらできない青峰。赤と桃の組み合わせ、けっこう好きだと思いました。

 

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