短編2
□セミの死骸で繋がる恋
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放課後。
「主将」
赤い髪の後輩が天然にあざとくも、両手でボールを持ってやって来た。紛れもない喜びで心臓が跳ねるが、虹村はそれを完璧に隠して赤司の方を向いた。虹村胸中を知っている他の二年生がうるさい。女子みたいに騒いでいる。外で鳴いているセミよりうるさい。
「少しボールの投げ方を教えていただきたくて……」
「珍しいな、お前そーいうのも完璧かと思った」
「主将が投げる方が痛がるんです、灰崎」
「灰崎?」
赤司が黙って白い手で体育館の隅を指した。そこには、寝転がってケータイを弄っている灰崎の姿があった。指ではなく手で指すあたり、育ちの良さが窺える。
「ああいうのは士気に関わりそうで……余計なことでした?」
「いや、全然」
必然的な上目遣いがとにかく可愛い。眉尻を下げているところがまた可愛い。
衝動を咳払いで誤魔化し、赤司からボールを奪うように取る。大きく振りかぶって投球。ボールは矢のように飛んで灰崎の頭にヒットした。残念な悲鳴が上がる。
「とまあ、こんな感じだ。一回投げてみろ」
「はい」
「いってーな何すん――びぶっ」
「フォームはさすが、完璧だ。腕力が足りないんだな。あとはこう、もっと殺意を込めて」
「はい」
「なあコレなんのイジメ――ぐぼぁっ」
その辺に転がっていたボールを投げさせていたが、そのボールが無くなったので終了する。反応を窺うような上目遣いにまた悩殺される。周りの二年生のニヤニヤや生温かい目を気にする余裕もない。
恐る恐る、というのがバレない程度にそうっと、赤司の頭に手を乗せた。女ほどやわらかくないが男にしてはやわらかい髪。赤司の髪に触っているという事実が鼓動を加速させる。
「最初より良くなった。その調子で頑張れよ」
「……はいっ」
がんばんなよ……、という灰崎の呻きは、彼の隣でお菓子を食べている紫原にしか届かなかった。
虹村はというと、ふにゃりとした赤司の笑みに、悶絶を表に出さないようにするのに必死だった。頭を撫でられたことがないという赤司を初めて撫でた時はまだこの笑顔に耐性がなくて、直視できなくて顔を背けた覚えがある。
以前も今も、ポーカーフェイスはバッチリだ。ゆえに誰にも知られていない――二年生が知っているのは、うっかり漏らしてしまったからである。
「あ、埃ついてますよ」
「……おお、サンキュ」
いきなり肩に触れられても鉄仮面はピクリともしない。が、恐らく、ビクッと動いても目の前の鈍感な後輩は気付かないだろうなと思った。
* * *
帰り道は街灯のお陰で暗くない。塀を挟んだ向こう側の家の灯りも微かに届いている。
虹村は下校していた。隣には赤い目の後輩がいる。二人きりで帰るよう画策した同級生を恨めばいいのか感謝すればいいのか。緊張と幸せが同居した頭で考えた。
「日もすっかり長くなりましたね」
「そうだな……もう夏か。セミの声も耳にいてぇわ」
「求愛活動ですし、応援してあげたらどうです?」
クスリと赤司が笑った。宵闇の影を纏った顔はどこか儚く見えた。赤司が儚いなんて、灰崎辺りが聞いたらこちらの体調を心配してくるだろう。
自転車を漕ぐ、四年前の虹村と同じような年の少年四人とすれ違う。夏休みを満喫している顔だった。
「そういや、ゆうやけこやけの曲が流れるよな。子供は帰れ、って」
「パンザマストのことですか? とっくに鳴っているだろうから……あの子達は悪い子ですね」
クスリと、また笑顔。穏やかな笑い声だ。
ことですか? と確認されても、パンザマストなんて初耳だから答えられない。代わりに「悪い子」の方を話に繋ぐ。
「あんなん守ってる奴いねえだろ。みんな悪ガキだ。……お前は守ってたのか? 真面目だし」
「オレはゆうやけこやけ、いつも自分の部屋で聞いてましたよ」
「……確か、今度の休み、一年連中でストバス行くんだろ? そん時パンザマスト? を無視してこい」
「何で命令形なんです」
今度の笑いは年相応のものだった。それは三秒続いて、赤司はそして、少し下を向く。
普通と違う十二年間を悲しんでいるのとは違うようだ。悲しんでいるというより、憧れているような。
虹村は、そんな赤司に中学生らしいことを全部教えようと決意した。
「――ぅあ……!?」
「っ、と」
真っ直ぐ歩いていた赤司が急に肩を跳ねさせよろけた。虹村はとっさに動いて、小学生の名残を残した体躯を受けとめる。後から考えれば大きくたたらを踏むだけで済んだと分かるが、この時は必死だった。ドキドキする余裕はなかった。その時は。
そろりと顔を上げた赤司とばっちり目が合う。ドキドキした。バランスを崩した恥ずかしさからか、頬は赤い。虹村が都合のいい解釈をできるくらいの楽観主義者なら、照れていると受けとるような顔だ。
「…………大丈夫か」
「………………はい」
名残惜しい、と肩を掴んだままでいたがる手をそそくさと離す。歩みはどうしてか再開されない。
「立ちくらみか?」
「……いえ。セミが落ちていたので、びっくりして……」
「セミ?」
アスファルトを見下ろすと、あった。仰向けになって白い腹を晒したセミの死骸。虹村もいきなり見たら驚きはしたと思うが、未だに肩を縮めている赤司は多分、
「嫌か?」
「……すみません」
「いや。可愛いとこもあんじゃねえか」
本当はもっと、可愛いところを知っているけれど。
いつも通りに頭を撫でて、歩き出す。踏みたくないから下を見る、けれど見たくないからチラチラとしか見れない。そんな赤司の代わりに地面をチェックしてやる。
それから一週間、虹村は赤司に避けられ続けた。
* * *
「――丁度一年か……」
帰り道は街灯のお陰で暗くない。塀を挟んだ向こう側の家の灯りも微かに届いている。
虹村は下校していた。隣には赤い目の恋人がいる。二人きりで帰るよう画策した同級生には一応感謝だ。
ポツリと呟かれた言葉。敬語じゃないのは独り言だからだろうか。そんなことを思いながら、何が? と聞いてみる。丁度一年という言葉を、一週間後になら自分も使えたのだが。
赤司が虹村を見上げ、
「オレが虹村さんを好きになった日、です」
何食わぬ顔で爆弾を放ってきた。
噎せるのを堪え、虹村は驚く。自分をどうして好きなのか、この一年で一、二回くらいは訊いたが、答えが返ってきたことはない。そういう話題を赤司から持ってきたことも。なのに今は。
「丁度ここで、セミに驚いたオレを虹村さんは支えてくれましたね。あの時虹村さんがすごく格好良く見えて」
「……そ、それで?」
「その後、虹村さんと話しながらずっと考えてました。虹村さんが頭を撫でてくれた時はすごく嬉しい。虹村さんはいつも一生懸命。虹村さんはいつも真剣にオレの話を聞いてくれる――」
あの涼しい顔の下でそんなことを考えていたのか。さすがの一言につきる。
「――そういうことを思い返して、考えてみたら、虹村さんが好きだって気付きました。それで気恥ずかしくなって……」
「一週間オレを避け続けて告白、と。あの一週間、結構キたぞ……」
「……すみません」
赤司に避けられる日々は、赤司に告白されたことで終わった。暗黒の一週間の終わりは光に満ちあふれていた。大げさではない。
頭を撫でようと伸ばした手は、アスファルトに例のアレを見つけたことにより肘下に到着した。ぐい、と引っ張り、踏むのを回避させる。
「――って熱! 熱い! お前熱あんだろ!」
赤司の手首が異様に熱い。成程、熱で朦朧としていたから好きになった経緯を話したのか。
「イエ、僕ハ平熱デス」
「一人称変わってっし片言だぞ」
鞄を奪い、中学生らしい体躯を背負う。抵抗されたが、元からこちらの方が力はあるし、今の赤司は不調で力が出ていない。大した影響はなかった。
隠し通す赤司も赤司だが、気付けなかった自分が情けない。虹村は八つ当たりぎみに、昼間の熱を抱いたままのアスファルトを蹴った。
END.
* * *
何かタイトルすみません。地面のセミにビビったのは私です。自転車で踏みそうに……。
今気付いたんですが、一人称が「僕」になったのは嘘が下手だからや熱で変わっちゃった、って理由以外に、僕司が出かけているから、というのもアリかもしれませんね。その場合は少し切ない。。