短編2

□時間は戻ってくれないの
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「黒子っち今日もかわいいっス! 好きです、付き合ってください!」


 騒がしい体育館で、その声はなかなかよく通った。またか、と大半が呆れの目をする中、水色の嫌気を目に差しこむ少女が一人。たった今告白された「黒子っち」その人である。顔までも嫌気で歪め、ドキドキと答えを待つ少年を見上げる。


「お断りします、と何回言えば分かるんですか。日本語を理解できない低能なその頭は、どうしたら分かってくれるんですかね」

「え〜、つれないっスよ〜!」


 少年は――黄瀬は多くの女子をクラリとさせる顔を嘘泣きの形にした。タオルを用意する黒子に追いすがるその姿は、こうも顔面偏差値が高くなければ、とてもみっともない。
 呆れでも嫌気でもない目で二人を見ていた赤司は、いつまでも黒子の後ろを付いていく黄瀬に練習の雰囲気が崩れるのを感じた。溜め息を吐いてから、黒子を追う黄瀬を追う。高い位置にある金髪をバインダーで叩いた。


「いでっ!」

「無駄話をするな。そんなに元気があるなら外周に行け。三十周」

「ええええ!?」

「気持ちをしっかり切り替えろ」


「しっかり」の部分を強調すると、黄瀬は一瞬、おちゃらけた表情を消した。浮かんだのは、赤司の真意を感じ取ってハッとした表情。
 妙に元気よく外周へ行く黄瀬を見送ると、黒子がトコトコ近寄ってきた。相変わらずの無表情で、大きくて楕円ぎみの目をこちらに向けてくる。


「すみません、ありがとうございました」

「気にするな。それにしても、黄瀬には困ったものだね」

「ビシッと言っているつもりなのですが……」

「十分ビシッと言っているよ」


 アイツが打たれ強いだけだ、そう言おうと思った。けれどできなかった。今の黄瀬の胸中を、赤司は想像できる。想像しきれていないことも分かっている。黄瀬の心は、きっともっと――。


「……さあ、ドリンクの準備をしよう。そろそろ休憩だ」


 はい、と滑舌よく返事をした黒子を従えるように歩き、赤司は自分が言った通り、ドリンクの準備を始めた。



* * *



 休憩が、そろそろ終わる。
 赤司はドリンクとタオルを持って外へ向かった。今までの黄瀬の体力やスピードなどから考えると、もうすぐ走り終える頃だ。
 体育館の外壁に凭れ、走る黄瀬を眺める。少し前の明るい表情はない。真剣な顔がそこにあって、格好いい、と素直に感じた。明るい顔も格好いい。好きだ。
 走り終えた黄瀬がこちらに気付いて走り寄ってきた。段々とスピードが落ちてきている。急に止まったら体に悪いから、徐々に落としているのだろう。赤司も歩き、黄瀬との距離を埋めた。


「ほら、タオルとドリンクだ」

「ありがとっス。でも、わざわざ持ってきてくれなくても良かったのに……短時間でも日焼けはするんスよ」

「別に気にしないさ。それに、練習に戻させる前に確かめたかったからね」


 体育館と校舎は屋根付きの渡り廊下で繋がっている。その屋根の下で二人は同時に立ち止まった。黄瀬の目元がフ、と翳る。


「大丈夫っスよ。ちゃんと気持ちは切り替えたっス」

「……黒子の、こと……辛いか」

「辛くないっス! って言っても、見破っちゃうでしょ?」


 黄瀬は、黒子が好き。細くてか弱い小さな体を、強くてどこか弱い心を、守りたいのだと。危うげで儚げで消えそうな黒子を、ずっとずっと、好きなのだ。
 黄瀬の告白はいつだって真剣なものだと赤司は知っている。黄瀬が黒子を想う気持ちの大きさが、赤司が想像する以上だと、赤司は知っている。だから、毎度冷たく拒絶されて黄瀬が相当傷ついていることも、知っている。

 赤司は黄瀬が好きだ。チャラチャラした軽い男に見えて実はそうでないところ、何気なく優しいところ。キラキラした笑顔。恋人になれたらどんなに幸せかと思うけれど、叶わないから、せめて黄瀬の想いが叶うように応援している。
 黒子は小さくてかわいい。肩についたボブの水色の髪も、大きくて深い瞳も、白い肌も。内面だって、黄瀬には毒舌だが、思いやりがあって、真面目で。外見はもちろん内面も、厳しいだけの自分では敵いっこない。


「なあ黄瀬。もしかしたら、毎日告白するから冗談だと思われているかもしれないぞ」

「えー……オレめちゃくちゃ真面目なんスけど」

「知っているよ。けれど当事者の黒子はそれに気付けていないと思う」

「……つまり?」

「毎日告白するのはやめた方がいい。あと、場所もわきまえろ。公衆の面前での告白は良くないな」


 そろそろ戻ろうと落ち着けていた腰を上げる。練習はとっくに再開されているだろう。
 先に歩く。するといつもの愛称で呼ばれた。


「いつも、アドバイスくれて、ありがとっス」

「……別に。お前が幸せになれば、僕も嬉しい」


 笑顔を作って見せ、そしてすぐに体育館へ戻る。
 いつもいつも傷心の黄瀬を慰めて、赤司もそれなりに心に傷を負っていた。



* * *



 それから、黄瀬は練習中の体育館で黒子に愛を叫ばなくなった。が、アピールらしきスキンシップはむしろ増えた為、諦めたとは誰も思っていない。


「抱きつかないでください。暑苦しいです。気持ち悪いです。勘弁してください」

「まったまた〜黒子っちったら照れ屋さんっ」

「……死ね」

「えっ何か空耳が……」


 余程のことがない限り敬語を崩さない黒子にああまで言わせるとは。感心すると同時に、赤司の胸は痛む。


 どうして、黄瀬を好きでなくなることができないのか。


 微かな気配を感じて横を見ると、黒子が真横にいた。ここまで近付かないと気付けないなんて、本当に影が薄い。


「ミニゲーム始めます?」

「そうだな。すまない、得点板を運んできてくれ」

「分かりました」


 本来なら、黒子より力がある自分が行くべきだ。だが黄瀬にアピールチャンスをあげたくて、わざと行かせた。案の定、黄瀬が黒子について行く。
 笛を吹いて選手を集める。ミニゲームをすると伝えると青峰が喜んだ。チーム分けを発表し、あとは黒子(と黄瀬)が得点板を運んでくるのを待つだけ――

 がしゃんがしゃんっ、と何かが崩れる音がした。金属が床に数本ぶつかった音。黒子と黄瀬が入っていった、用具入れから。


「黄瀬、黒子!」


 誰より早く走り出し、用具入れに足を踏み入れる。そこで目にした光景に思わず息を飲んだ。
 黄瀬と黒子が倒れている。詳しく言うと、黄瀬は膝と肘をついて四つん這いになっていて、黒子はその下で仰向けになっていた。がしゃん――黄瀬の背中に倒れていた、二メートルはある何に使うかも分からない金属棒が床に落ちた。同じものが他に三本転がっている。
 呻きのような息を吐いて、黄瀬が上体を上げた。黒子も無言で起き上がる。赤司は棒を越え、二人の傍に膝をついた。


「大丈夫か? 頭に当たってないか?」

「大丈夫っス。頭も平気。背中はちょっといてーけど。黒子っちは?」

「………………本当、何なんですか」


 はてなマークを頭上に浮かべ、赤司も黄瀬も首を傾げた。いつの間にか用具入れの入り口まで来ていた他の部員も同様にしている。
 黒子の、嫌悪に満ちた瞳が黄瀬を捕らえた。


「この期に及んでキミのイメージを上げるつもりなんですか。ポイント稼ぎになったとでも思いますか?」

「え、黒子、っち……?」

「僕の為に自分を犠牲にする、そんな自己犠牲に酔うなんてヘドが出ます。本当に君は――」


 気が付いたら右手が動いていた。パシン、と乾いた音が響いて、黒子の口が閉まる。皆が、白い頬を張った赤司を見ていた。反射で手を出してしまったが構わず、赤司は口を開いた。


「勘違いするな、黒子。黄瀬はお前の中での自分の株を上げたいから、お前を庇ったわけではない」


 その気になれば何十倍も辛辣な言葉を吐けた。吐けるくらい、赤司は怒っていた。


「桃井が同じように危なくても、黄瀬は桃井を庇ったよ」


 それでも、本来の何分の一の辛辣さで、黒子を諭す。黒子が羨ましくても、黒子のことも好きだから。怒りだけで責められはしなかった。


「これは推測だが。お前も、突然のことに驚いたんじゃないか? 自分を庇ったせいで黄瀬が痛い思いをしたことが、嫌だったんじゃないか?」

「……そう、かも、しれません」

「けれどあの責め方は、良くないと思う」

「…………そうですね。黄瀬くん、すみません。酷いことを言ってしまって……」


 赤司と黒子のやり取りを黙って聞いていた黄瀬だが、黒子にいきなり話しかけられ肩を震わせた。「平気っスよ! 気にしてないっス!」と元気に立ち上がり、だが顔をしかめた。
 そんな彼に保健室に行くよう告げ、用具入れを出る。
 最後に出た黒子が己の胸をそっと押さえていたが、見えていない赤司には気付けなかった。



* * *



 保険医の手当てを受けて体育館に戻ると、部活は終わっていた。冷やしたり薬を塗ったり色々したが、こんなに時間が経っていたのか。
 静かな体育館を寂しく思いつつ部室に入る。誰もいないと思っていたのに電気がついていて、人がいた。


「赤司っち……」

「やあ。コーチに急用が入ってね。部活は終わったよ」

「そうなんスか。手当てに時間がかかりすぎて部活終わっちゃったかと……」


 会話が消える。沈黙が無性に気まずくて落ち着かない。黄瀬は頬を掻いたり横髪を指で弄りながら、何を言おうか考える。そして、ここに来る前の出来事を思い出した。


「赤司っち。あの、ありがと。誤解、といてくれて」

「ああ……誤解なんだから、解くのは当たり前だ。気にするな。それに黒子にああ思われるままなのも嫌だろう?」

「はいっス。だから嬉しくて……あれ?」


 違う。嬉しいのは、誤解が解けたからではない。いや、それもあるが、それ以上に。


 赤司っちがオレを分かっていてくれたことが、嬉しい……?


 何かを感じる。赤司に、言い様のない何かを。得体が知れないからといって、嫌なものでは決してない。胸がズキズキ――ドキドキ? するような。
 語尾に「あれ?」を付けたからだろう。赤司が不思議そうに黄瀬を呼んだ。黄瀬は、感じた何かの正体を考えることを止める。


「何でもないっス。ちょっと考え事」

「黒子のことかい? だったら相談に乗るよ」

「……あの、赤司っちってどうして、こんなにオレを応援してくれるんですか」


 一瞬、にも満たない時間だった。短いと言うには長すぎる時間。それでも確かに、赤司の笑みは翳った。一ミリの変化だったけれど、黄瀬には見えた。


「――お前が幸せになれば、僕も嬉しいから」


 それはどこかで聞いた言葉――渡り廊下で聞いた言葉だ。
 あの時は何も思わなかったのに、今は何だろう。胸がズキリとするような。ドキリとするような。
 今すぐに、目の前の少女に手を伸ばしたい衝動に駆られる。鮮烈な赤い髪や瞳を、黒子ほどではないが細い手足を、か弱く思えた。

 ――赤司が立ち上がって、衝動は消えた。幻のようにあっさりと。


「時間か……。僕はもう行く。また明日」


 最初の方は小声だったが、はっきり聞こえた。黄瀬は別れの挨拶を返し、何の時間か気になって、彼女の跡をこっそり付いていった。
 着いたのは裏庭。そこに立っているのは男子生徒。わざわざ待ち合わせを――? 心臓の辺りが重くなる。
 男子生徒が赤司に頭を下げる。同時に聞こえたのは交際を申し入れる言葉。心臓が重い、痛い。どうしてだろう、男子生徒と赤司の間に割り込みたい。
 黄瀬はドキドキと様子を見た。赤司は何と答えるのか。

 数秒の後、赤司が首を振った。男子生徒が悲しげな顔をした。


 黄瀬が感じたのは、紛れもない安堵だった。

 
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