短編2

□構いたい、構われたい
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 東京と京都のように三百キロの隔たりがあるわけではない。同じ市内、同じ学校。会おうと思えば簡単に会える距離は、会おうとせずとも会える距離の次に長い。
 虹村と赤司はそんな二番目の距離のスタートとゴールで過ごしていた。あと数年すれば物理的にも一番の距離でいられるようになるな、と未来をぼんやり見た経験有だ。


「あの、しばらくは事務以外で話すの、やめたいです」


 ――人生最大の危機だ。
 また明日、と片手を上げるのが通例の別れ道で、赤司はそう言った。力で固めた声はいつも通りの強さだ。
 効果は抜群で、虹村は上げた片手を中途半端な形で一時停止した。え、と詰まってからどうにか理由を訊ねる意味の文を作る。関係はそこらの男女カップルより良好で、喧嘩は全て仲直りしてきていて、突然そんなことをお願いされる覚えはない。
 いや、それは「お願い」でなんかなかった。
 虹村のしどろもどろの言葉は聞こえなかったのか、赤司はぺこりと、こんな時でも可愛く感じるお辞儀をしてから帰路を歩いていく。命令でも宣言でもなかったが、相手の了承を得ないそれはお願いではない。
 呼びとめようとした声は唇の真ん前で萎んだ。また明日の形に上げていた手は小さくなる背中に半端に伸ばされ、花火みたいに落ちた。追いかければ間に合う距離なのに脳みそは足に「走れ」と命令しない。
 こうして理由も話されないまま、物理的な距離は変わらないまま。二人の距離は見えなくなった。



* * *



 命令と宣言とお願いを一まとめにした言葉の後、虹村は赤司と話す機会を失った。主将の責を、席を、渡したから、二人での事務的な会話は皆無だ。去年の今頃だったら、副主将に成り立てのちょっと初々しい赤司と、メニューやら何やらで沢山話せたのだが。
 周りに気付かれないよう、横目を限界まで使って赤司を見る。紫原に後ろから勢いよく抱きつかれよろめいていた。そして、紫原を振り仰いで笑っていた。


「虹村ー、柔軟手伝ってー」
「……おー」


 皮膚の内側に仕舞った色んな負の感情を、更に内側へ追いやる。胸の真ん中に閉じ込めたらすごく苦しくなった。
 足を広げて座る同輩の背中を押しつつ考える。赤司がああ言った訳は思いつかなかったから、訳を聞き出す方法を画策する。が、赤司が誰かと話す声が耳に入ってくる度、その声に頭をぐちゃぐちゃにされて上手くいかない。


「――たい痛い痛い! ちょ、痛! いだっ」
「ん? ……うわっ、ワリ」
「ぼんやりすんなよー……いてて……」


 濁った悲鳴で我に返る。背中を押す手に力を入れすぎたようだ。


「ったく、どうしたよ……」
「あー、疲れてんのかもなあ」
「ふーん……」


 未だ白い病室で暮らす虹村の父親のことを思い出したのだろう。同輩はそんな顔になるよう努めた素知らぬ顔で、軽い相槌を打った。
 勘違いされた形だが、完全な勘違いでもないから気にしない。部活の練習、父親のこと、それと受験のことで疲れていて、赤司の件で疲労に輪がかかった。
 視界の隅ではまた紫原が赤司に抱きついている。


「わっ。こら、練習中だぞ」
「お菓子なくなったからテモチブサタでー」
「まったく……俺はお菓子の代わりか」
「んん……赤ちんとお菓子……どっちも同じくらいだし、うーん……」
「お菓子と同レベルと評されても嬉しいのは、言ったのがお前だからだろうな……」


 筋トレに戻れ、と赤司が柔らかく紫原を押し返す。紫原は今度は大人しく練習に戻った。次は外周の刑だったろうから、駄々を捏ねてほしかった。赤司に近づいた者のちょっとした不幸を願う自分がとても醜い。分かっていても、自分は綺麗になってくれなかった。



* * *



「……欲求不満だ」
「なら止めればいいのだよ」
「それが出来ればとっくにしている」


 放課後の部活の休憩中。座ってドリンクを飲んでいる緑間の背中に少しだらしなく凭れた。隣に紫原がやって来て、座る。昨日は菓子を切らしたからか、今日はいつもより多く持ってきている。ペース配分を考えるという選択肢はなかったようだ。
 何か身動きをしているのだろう。緑間の背中が細かく動く。さざ波のような揺れに寄りかかったまま、赤司は虹村を見やった。三年生と雑談している、いつも通りの彼を。


「――で、上手くいっているのか?」
「……、いや。酷くなっている気さえする」
「それでは意味がないのだよ……」
「そんなことはない。俺がこうしていなかったらもっと酷くなっていたということだろう?」


 緑間と背中合わせに会話し、膝枕をねだってきた紫原に膝を、正確には腿を貸す。
 寂しくて、肺にガスが溜まっているみたいだ。シャツの胸元を握りしめてもマシになってくれない。恋い焦がれるじれったさは虹村にしか治せない。


 俺は寂しいけれど、虹村さんは違うのだろうか。


 寂しがられたくてこんなことをしている訳ではないけれど、堪えていない表情や態度は、見ていて辛い。
 指通りがいい紫原の髪を梳きながら目を伏せる。背中越しに渡されたドリンクを一口飲む。
 話したいのも触れたいのも自分だけだろうか。
 早く良くなってくれないだろうか――むしろ酷くなっているという事実が、更に胸を重たくさせた。



* * *



 自分はよく頑張った。突然の理不尽な言葉に従い、接触は抑えきった。他の男との過剰な触れ合いにも乱入しなかった。だがそれも終わりだ。
 つまり、限界なのである。
 自主練する部員すら帰っただろう時刻、電気もつけず自分の教室でだらだら時間が過ぎるのを待った虹村は、部室へ歩いた。赤司が下校するのはもう少し先の頃だ。思った通りに光が漏れているドアに口が笑みを描く。獰猛な笑みだった。
 勢いよくドアを開け放ち、問答無用で押し倒す――つもり、だったの、だが。


「……っ」


 勢いは途中で消えた。
 赤司は部室にいた。帰り支度は既に整えているようだが、ずっと長椅子に座っている。膝を立てた窮屈そうな体勢で。
 そんな赤司の顔は白い何かに埋まっていて窺えない。白い何かはここからでは詳細が分からないが、虹村は直感に従いスポーツバッグを中を確かめた。タオルがなかった。
 限界が来た。
 さっき来たのは我慢の限界だったが、今迎えたのは理性の限界だ。
 荒々しい足音をもって赤司に近付く。赤司は一歩目で闖入者に気付いたが、遅い。赤司の体を長椅子に押し倒す。
 ぱちくり開いた大きな目、特別細くないのに華奢に感じる手首、長椅子に収まってしまう体の幅。


 ――ああ、赤司だ。


 赤司が口を開く。多分、何か言おうとしたのだろう。虹村には赤い唇が誘っているように見えたから、誘われるままに唇にかぶりつく。
 だから赤司の言葉は、虹村の食道を滑って胃に落ちた。



* * *



 そのタオルを見つけたのは帰り支度も済んだ時のことだった。
 ロッカーの前に落ちた、踏まれた跡もない白いタオル。ロッカーの名札は「虹村」。衝動のままに歩み寄り、拾い上げた。ふわりと香ったのは虹村の匂いだ。この間までは嗅ぎなれていて、隣にいたくらいでは分からなかった匂い。
 もう随分と虹村と話していない、歩いていない。虫の声さえ聞こえる静かな部室で再認識すると、泣きたいくらいに切なかった。
 三十秒数える間だけ。ぐだぐだここにいてしまうからそう決めて長椅子に座る。膝を立て、抱きしめるようにタオルを持ち上げ、鼻先を押しつける。ゆっくり数を数える。
 足音がしたのは十を数えてからだ。反射で体を固くして音のした方を見ると、久しぶりの距離に虹村がいた。驚いたままでいると手が伸びてきて、長椅子に背中を押しつけられた。
 口を開いたが、自分は何を言うつもりだったのか。ただ虹村を呼ぶだけだったかもしれない。出した言葉は虹村の口へ消えたから、赤司本人にも、その言葉が何なのかは分からなくなった。
 唇が離れた。長椅子に押さえつけられたまま、見つめ合う。埃が舞いそうなくらい大きな溜め息を吐かれた。


「なんか、もう……んっとにお前は……」
「……事務以外で話さないでくださいと言ったはずですが」
「あ? 俺ぁ分かりましたなんて言ってねえよ。なのにこんだけ我慢したんだから、あとは好きにさせろ」
「……、っ」


 臨界を超えて逆に静かになっている表情に、心臓が暴れた。
 スラックスに仕舞っていたシャツの裾を出され、熱い手が忍びこむ。性急な手はまだ柔らかい胸の突起を摘まんで揉みしだいた。


「っ、待ってください……! ここ部室、ぁっ、……っれに、話さないって……っ」
「お前の嫌がっても感じるとこ、けっこー好きだぜ。変なのに手ぇ出されたらって思うと心配だけどな」
「ん……ん、やっ……」


 シャツが胸の上まで上げられ、弄られてピンと立った乳首が明るみの中に現れる。直後、熱い唇に口付けられ、含まれた。左側は未だに指で押し潰されたりしている。少しざらりとした舌に転がされる。


「お前さぁ、何であんなこと言ったんだ?」
「ぁっ……そ、こ、喋ら――っひん!」
「……もう余裕ねえの? なら話は後でいっか」
「あ、ちょ、やめ……っ」


 下着とスラックスを足首までずり下げられた。明るい場所でこんな姿でいるのは恥ずかしい。閉じようとした足の間に虹村の体が割って入ってきた。膝裏を押され、腰を少し上げさせられる。勃って震える性器から流れる先走りを絡めた指が、閉じたすぼまりに押し入った。


「ん! ん、ぁ……っ」
「なんかすっげえビクビクしてる、お前の中」
「実況いらな、です、っ、恥ずかし……ひ、ぁあっ」


 指先が大きく回って中を広げた。もう一本入ってきて、奥の方のしこりを揉む。摘ままれる度に体の奥を刺激が走った。


「ひ! あ! ぁあっ! ひ、やめ……っぁ、あ! に、むらさっ……」
「ん。もう挿れてほしいのか? 悪い悪い」
「ち、ちが――っぁ、ぁっあああっ!」


 腸液だか先走りだかをやや引きずって指が抜けた。小さく空間を空けた入り口に熱の塊が当てられ、当てられたと認識する前に中を貫かれる。
 抵抗心はないが意地は残っていたから、虹村にしがみつかず、空の手を握りしめて空気を潰した。
 久しぶりだからか、今まで我慢してきた反動か。予想以上に気持ちよくて、出入りする熱が愛しくて、すぐに絶頂に追いやられる。


「ぁっ、あっ! ひ、んん……っ! ふ、ぅあ……も、イっちゃ――ぁっ……ひっぁ、ぁぁあああ!」
「ちょ、はや……っぐ……!」


 搾るように締めつけると、虹村も耐えきれなかったようで、赤司の中は精液で満たされた。
 脱力して重心を下へやる。ぼうっとした頭で、虹村の手が頬に当てられるのを感じた。


「……お前なんで、あんなこと言ったんだよ」


 普段からは考えられない弱い声だった。多分赤司しか知らない、不安に駆られた時の虹村の声だ。
 ここまでされては隠すのも無意味に思えた。鼻で嘆息して口を開く。


「虹村さん、最近お疲れのようなので。俺を構う暇があるなら他のことをして、休む時間を増やせればいいと思いまして」
「は……?」
「でも虹村さん、逆にもっと疲れてるみたいです。一体何をしていたんですか?」
「お前にああ言われた理由考えてたんだよバカ野郎!」


 後半は半ば文句だったが、それを上回る怒りで返されて息を飲む。
 間近で見るとやはり疲れているのが分かった。少しやつれたし、隈もある。それなのに虹村は言う。


「お前がいない方がストレスになって疲れるわ。だから離れんな」


 射抜くような目に心臓を射抜かれる。押し倒されたままだからというのも相まって無性に頬が熱い。
 はい、と言った自分の声は、少し掠れてしまった。





END.









* * *
Q.虹赤はこれからどうするか。
ヒント.例のブツを抜いた描写はない。

リクエストありがとうございました!

 

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