短編2

□その目に光はあるか否か
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これの続き





 雑踏なんだから人は沢山いる。そんな大勢の中の一人にふと目が引き寄せられたのは、何故だろうか。彼の顔立ちが整っていたからか、赤い髪があまりに鮮やかだったからか、色違いの瞳に引力があったからか。とにかく、目がその赤い少年を追っていた。
 進む先は今のところ同じ。少年の斜め後ろから、少年を盗み見ながら、付いていくように別々に歩く。服の質なんて分からないが、見た目はありきたりなワイシャツとカーディガンと、スラックス。なのに浮世離れして見える少年。
 赤信号に辿り着いて少年と共に立ち止まる。つまり、位置関係は変わっていない。
 それは、運が良かったのか。
 信号が青に変わった途端に少年は歩いていた。

 だが、信号を無視してトラックが走る。少年が踏もうとしている横断歩道を、踏み潰しに。


「っ危な……!」


 自分が叫んだのと少年が立ち止まったのはどちらが先だったろう。
 叫ぶと同時に伸ばした腕は、少年が止まっていることを理解する前に、少年の予想通り太くない二の腕を掴んでいた。目を見開いた少年が振り向いてくる。目が見開かれていて、赤と橙の瞳が小さく見えた。
 己の腕を掴む手を見、視線を腕に這わせるように上らせ、こちらを見つめる少年。ただ、彼の視線の先は、ずれている気がした。


「…………あ、の」
「あ……すみません、いつまでも掴んでて」
「いえ……」


 少年は自分より少し年下に見えたが他人だ。フランクには話せない。少年の腕を離して、さてどう対応しようかと悩む。気を付けてくださいとだけ言って去ろうか。 言おうと口を開けて、違和感が声を殺した。少年の目はどこかおかしい。色がおかしいという失礼な違和感ではなく、焦点があっていないような、ぼんやりとしているような。
 少年がふと、視線を宙にさ迷わせた。といっても彼の目はさっきからずっと、さ迷うように揺れていたが。


「もしよければ、お礼をさせてくれませんか」

「お礼? …ああ、いいですよ別に。君、俺がいなくても立ち止まってたような気がしますし」
「いなかったかもしれない。…迷惑だったり、他に用事があるなら、いいのですが」
「……行く」


 お礼なんて悪いと思ったが、それで少年の気が軽くなるなら、構わないかもしれない。悩んだ末に頷くと、少年の顔が地味に明るくなった。



* * *



 どんな料理が好きかと聞かれて「和食」と答えると、高級な匂い漂う料亭に連れていかれた。自分が場違いに思えて肩身を狭くしていたら少年はさっさと店員と話を決めた。そして個室な座敷に案内され、今に至る。
 少年が、操作していたスマートフォンをポケットにしまった。


「…何か、悪いな、こんなすごいとこに連れてきてもらって」


 注文して店員が出ていった後に肩を縮めて言う。奢られるといってもファミレスレベルかとばかり思っていた。まさかの高級料亭に申し訳なさが波打つ。少年は「そんなにすごくないですよ」と笑った。謙遜の気配がないところがまたすごい。
 会話が途切れたら何を話そうか。悩む直前に少年が居ずまいを正した。先程はありがとうございました、と改めて言われて照れる。


「…何で渡ろうとしたの?」
「気付かなかったので」
「ぼーっとしてたのか…」


 悩もうとしていたのが嘘のように、会話はどんどん広がっていった。歳や趣味など。少年が今年二十の大学生だというのが意外で仕方ない。高校生かと思っていたのに同い年だ。
 やがて頼んだ品がやって来た。目の前に寿司が置かれる。寿司は高級だと思っていたし実際そうだが、ここには寿司以上に高いものが色々あった。ともあれ、久しぶりのご馳走に腹と喉が鳴る。


「お先にどうぞ」
「…え、いいの?」
「ああ。出来立ての方がいいだろう」


 いつの間にか敬語を取っていた少年が笑う。そういう自分は、少年より先に敬語を取っていた。というより、忘れていた。
 少年の言葉に甘えて寿司の一つ、サーモンを口に入れる。美味しかった。とろけるようなサーモンも、丁度よく酢がきいた銀シャリも。
 しばらくすると少年が頼んだ湯豆腐がやって来た。少年は手を机に這わせるようにして移動し、箸箱から箸を取った。これまた手を机に這わせるようにして移動し、碗を持つ。不思議な動きだった。


「――はー、うまかった! ありがとう」
「気に入ってもらえたようで何よりだよ」


 双方ほとんど同時に食べ終え、姿勢をゆるやかにする。ゆるゆる、少年は笑った。
 このまま別れるのが惜しいと思えた。少年との時間は楽しくて、また過ごしたいと願えるもので。また会えたらいいのに。連絡先を、聞いてしまおうか――その前に名前だ。


「あのさ、そういえば名前――」


 聞いてなかったね、と笑おうとしたら。まるで声を遮るように、襖が勢いよく開かれた。驚いてそちらを見ると、金髪の青年がズカズかと入ってくる。
 闖入にムッとして文句を言おうと口を開いたら、青年が少年に文句を言った。


「赤司っち! ここに寄るから遅れるって連絡来たから来てみれば……何スかこの男!」
「まさか来るとは思わなかったよ…彼はね、僕の命の恩人だ」
「は? っつーかまた杖置いてってたし!」
「気にするな」
「するっスよ!」


 いきなり展開される喧嘩。どこか痴話喧嘩に見えるのは気のせいに決まっている。
 少年――アカシが済まなそうにコチラを見た。多分、迎えに来た青年と帰るのだろう。こちらから「そろそろ出る?」と言うと、ホッとした顔で頷いた。
 なぜか青年が会計をし(赤司っちの命の恩人はオレの命の恩人っス、と嫌そうな顔で言われた)、店を出る。行く先は違うようで、ここでもう別れることになった。連絡先を聞きたいのに、青年が威嚇のような顔をして見てくるから聞きにくい。負けるかと自分を鼓舞してアカシへ声をかけようとした時、本人が喋った。今日は遮られてばかりだ。


「名前は?」


 どうしてか目を見開いてしまった。向こうから知りたがってくれるとは思わなかったからだろうか。
 ぽそりと自分の名前を呟く。アカシはひとつ頷いた。


「また、会えたら」


 そう言って最後に、教えられたばかりの名前を付け足して。アカシは青年と一緒に遠ざかっていく。黄色い頭と赤い頭がやけに鮮やかだ。
 そういえば、と、今さら青年のことを思い出した。最近CMで見る黄瀬涼太だ。有名人に会ったというのにそこまで嬉しくない。
 黄瀬がアカシに何か白い棒を渡していた。アカシはそれを受け取って、黄瀬の手を取る。棒を地面につけて、歩いていく。
 あれは、視覚障害者の白杖だろうか。


「…まさかなあ」


 だとしたら違和感や不思議の正体に納得するのだが、信じられない。
 また会えた時に聞けばいい――雑踏に紛れた二色の頭を見送って、自分も歩き出した。



* * *



「――はあ!? トラックに轢かれかけたぁ!?」


 声が大きいと注意されるが反省できない。そんな暇はなかった。
 隣を歩く彼は、「曲がり角で人とぶつかった」と言うのと同じ雰囲気で、轢殺されかけた事実を報告してきたのだ。命の恩人、の意味がやっと分かって、今さらながらあの青年に感謝する。


「どうして杖を使わないんスか! 危ないでしょう!?」
「周りに気を使われるのが嫌だ」
「それで事故ったら迷惑っスよ…大体、オレと出かける時はちゃんと使ってるじゃないっスか」


 きちんと理由を言わないと許さない、と、道の端で立ち止まる。事故未遂の話を聞いた時どれほど自分が恐怖したか、赤司に分かってもらえればいいのに。


 今、手を繋ぎあっている存在が、いなくなっていたかも、しれないのに。


 怖かった。いや。怖い。今でも、怖い。震えてしまいそうなくらい、怖い。胸に穴が開いたような。実際赤司がいなくなっていたら本当に穴が開くかもしれない――想像しなくても怖い。
 握る手にギュッと力を込めるとキュッと可愛らしく握り返される。



「逆だよ。涼太がいない時に使わないんじゃない。涼太がいる時に使っているんだ」



 どういう意味――聞く前に続きを言われる。純粋な顔がこちらを見上げ、直後に繋がった手を見た。



「だって、こうして手を繋げるから」



 手を繋いでも視覚障害者の介護にしか見えないから――


 敵わない。赤司が白杖を使う理由は、見えないからではなく、自分と手を繋ぐため。まったく、予想外すぎる。
 まるで当たり前のように言う赤司の、無垢で純粋な笑顔には微塵の照れもない。


「…それでも、一人の時でも、杖使ってください。今日みたいなことがあったら、……」
「……まあ、実際事故になりかけたからね。これからは使うよ。だから涼太、そんな顔しないで」


 そんな顔ってどんな顔。そう言う赤司の方が酷い顔だ。眉も口も歪んでいて、泣きそうな顔。そんな顔をさせるくらい今の自分の顔は酷いのか。
 頬に伸びてきた手を受け入れて、受け入れたくらいじゃ足りなくてこちらから押しつけて。
 あの青年に、もう一度感謝した。



END.









* * *
今回は短く終わりそう→あれ…?→いつも通りの長さ…、な今回でした。
10000hit時のリクのお話の続きです。モブ視点好きとかどっかに書いておきながら、モブ視点はこれでまだ二回目です、多分。
トラックって急には止まれないらしいですね〜。怖。

 

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