短編2

□忘れても忘れない君のこと
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 試合の帰り、帰宅ラッシュをくぐり抜けた時間帯らしく、電車は空いていた。昨日観たテレビなどの他愛ない話が交わされる。最初は抑えていた声も、話がヒートアップすると普段と変わらないくらいの大きさになる。赤司がそれを時たま注意した。


「あっ、ねえ赤ちん、俺今日いちばん点とったよ〜。ごほうび欲しいし」
「別に構わないが……何をあげればいいんだ?」
「んん、明日はまいう棒もっと食べていい?」
「……プラス十本までなら認めよう」


 わあい、と紫原がまいう棒の包みを剥こうとする。電車内でスナック菓子を食べるのは感心しない。赤司もそう思ったらしく、紫原からまいう棒を取りあげる。紫原は玩具を没収された子供のような顔をした。
 それにしても――黒子は先程の二人の会話を思い返す。ご褒美というのは自分も欲しい。ただ、自分に点取りはできないから、条件は他のものにしないと。どういう条件なら、赤司は受け入れてくれるだろう。


「――こ。……黒子?」
「……あ。はい。すみません、少し考え事を」
「駅に着いたよ。降りよう」


 唯一車内で待っていてくれた赤司と一緒に、ホームに立つ青峰達の元へ行く。遅れて降りたことを青峰と黄瀬にからかわれたから、相応に棘を混ぜた返答を返しておく。
 男子中学生が持つ話題はまだまだ尽きない。人気のない暗い道だが静けさはなかった。
 最初に別れるのは青峰と桃井だ。次に緑間と黄瀬が、その次に紫原が、分かれた道の違う側を選んで消えていく。
 二人きりになった途端、赤司が心配そうにこちらを見てきた。


「いつにも増して口数が少なかったけど、気分でも悪い?」
「いえ、考え事の続きをしていまして。今、考え終わりました」


 きょとり、と赤司が首を傾ける。黒子は、不思議そうにしている顔を見上げた。悔しいことに、見上げた。


「次の試合、全て完璧にパスを回します。ですからボクにもご褒美をください」
「まったく。紫原の影響を受けたか? いいよ、何が欲しい?」
「赤司くんからのキスと愛の言葉が」
「っば、馬鹿じゃないのか……」


 こちらを見ながら言葉を聞いていた赤司だが、顔を背けて黙り込む。肩にかけた鞄を掴む手に力がこもっている。やがて、俯きがちながらも真正面を向いた。けれどだんまりは解けない。
 告白は黒子からだった。シンプルに、好きですと一言。赤司はそれに俺もと答えただけで、黒子が好きだとは言っていない。それから今まで、赤司からその二文字を聞いたことはなかった。ついでにキスも黒子からばかりだ。赤司から、は一度もない。


「……駄目ですか?」
「…………いや、いいよ。あげる。……二つもねだるなんて、欲張りだな黒子は」
「キミに関してはどうしても貪欲になってしまうので」


 もう一度、馬鹿と詰られた。黒子を傷つけるような威力はなかったが、別の意味で破壊力があった。赤い顔で睨んできながら馬鹿――ムービーに撮っておけばよかったと後悔しつつ、赤司の宙ぶらりんになっている方の手を握る。指を絡める。強張った手を逃がさないように力をこめる。


「外だぞ」
「暗くて見えませんよ」
「……」
「握り返したり、してくれません……?」


 振りほどかれないだけマシなのかもしれない。だが、言った通り、自分は赤司に関しては貪欲になるのだ。
 何の力もこもっていない赤司の手は躊躇っていた。恥じらっていた。黒子は、それらが乗り越えられることを願って、手を握り続けた。
 ゆるく伸ばされていた指が動くのが、己の指を通じて伝わる。最後の迷いが指の曲がりを止めたが、黒子はやがて、手の甲に指の腹がついたのを感じた。くすぐったいくらいの力しかないが、十分だ。


「頑張りますね、試合」
「確か三軍の試合だったな……頑張れ」


 せっかく繋いだのに、分かれ道が見えてきた。離したくなくても、繋いだままでは帰れない。仕方なく指を一本ずつ離していく。赤司がさっさと指を離さなかったことが、堪らなく愛しかった。



* * *



 これで、赤司くんからのご褒美がもらえる……!


 ロッカーで更衣をしながら、黒子は引き締められない唇にすらも幸せを感じていた。顔の筋肉が緩むのを止められなくて、小さくガッツポーズすらしてしまう。
 パスは、全て上手く通った。気を抜けなかったから通ったことに安堵する余裕しかなかったが、いつもなら、上手くいきすぎて驚いていただろう。
 高速で着替え終え、他の選手にお疲れ様ですと声をかけてから外に出た。何か着信や新着メールはないかとケータイを開き、目を見張る。数十の着信と一通のメールがあると画面は教えていた。
 さすがに固まる黒子の目の前で、またケータイが着信を告げる。相手は黄瀬。今までの電話全てが彼なのだろうと半ば確信しつつ、度重なる着信に不安を感じながら通話ボタンを押す。


「……どうしま」
『あっ、出た! 出たっス! 黒子っち、赤司っちが車に轢かれて……っ』


 何も言うことができなかった。
 頭の中が真っ白になり、目の前の景色すら眼中から外れる。握力を消してしまったらしい。ケータイは手から滑り床に落ちた。
 それから何秒かしてから頭が回復した。黄瀬の声が漏れるケータイを慌てて拾う。


「すみません。それで、……赤司くんは……?」
『今手術が終わったっス。成功したんスけど、いつ目を覚ますか分からないって……市の中央病院っス。三〇八号室』


 自分の声も、黄瀬の声も震えていたと気付いたのは、電車に乗ってからだ。不安で叫びたくなってしまうのを抑えつけた声。今も叫んでしまいそうで、左手で口を覆った。
 恐らく黄瀬からだろうメールを確認してみると、やはりだった。送られた時間帯は試合がもうすぐ終わる頃。この時にはもう、赤司は――。
 駅に着き、電車を降りて走った。タクシーを使える金がなくて自分の身一つで移動せざるを得ないのがもどかしい。徒歩五分の距離を三分で埋めた。
 院内に入り、看護師に三〇八号室の場所を聞く。階段を駆け上がり、三階最奥の部屋を目指す。横開きのドアを開けた時にはもう、息も絶え絶えだった。


「赤司くん……っ!」


 白い病室は六色に彩られてカラフルだった。たった今、七色に増える。色彩達が黒子の為に端へ寄った。ただ一つ動かないのは赤――赤司の赤だった。包帯を巻かれた赤色で、きっと大量に流れ出てしまった赤色。
 元から白い肌は今は病的な青さも兼ね備えてしまっている。幽玄な美しさにゾッとする。布団に投げ出された左腕には管つきの針が刺さっていて、それは透明な液体が入った袋に繋がっている。
 部活中厳しく声を飛ばす赤司が、部誌を書く時たまにうたた寝する赤司が、黒子の嫉妬に呆れる赤司が、好きだと告げると赤くなる赤司が、笑って黒子を呼ぶ赤司が力なく横たわっている様が、黒子の箍を外した。


「あか、しく……赤司くん、赤司くんっ、起きてください……っ、赤司くん! 赤司くん!!」
「やめるのだよ!」


 いつもより細く感じる赤司の肩を掴み、揺さぶる。衝撃を与え、声をかければ、目を開けてくれるのではないか。そう思い、赤司を揺さぶり続ける。呼び続ける。緑間の制止は振り払った。
 揺さぶり声をかければ目を開ける。それはある意味正解だ。雨ごいで雨が降るのは、雨が降るまで雨ごいをするから。それと同じだ。赤司の目が開くまで、黒子はずっと同じ動作をする気でいた。
 だが、終わりは案外早く訪れた。


「……ん…………」


 安らかに弧を描いていた眉が歪む。黒子は息を詰めて様子を伺った。鼻にかかった息が漏れる。黒子は裏切られたら狂ってしまうのではないかというくらい期待した。うっすら開かれた瞼から赤い目が覗く。
 覚醒した赤司はぼやけた表情で周囲を見回した。眉を潜めたまま、己に覆い被さるようにしている黒子を見つめる。


「赤司くん……! よかった……」
「……だれ……?」
「黒子です、意識がまだハッキリしないんですか?」


 赤司の視線が黒子に置かれる。黒子は嬉しすぎて緩む涙腺を引き締めるのに必死だった。手術までし、いつ目覚めるか分からないと言われた赤司がこんなにも早く、自分を見てくれている。
 黒子も、黄瀬達も何も言わずに赤司の反応を待った。状況説明を求める言葉でも何でもいいから、何か、話してほしいと思った。



「――……くろこ……知らない。誰だ……?」



 何でもいいから話してほしい。それは嘘だと今知った。
 赤司の両目にはしっかりと光が灯っている。黒子を網膜に映している。意識の混濁はないと、素人の黒子にも分かる。
 訝しげにしながらも赤司が上体を起こした。何なんだ、と呟く声が自分の知る赤司と違うように聞こえる。赤司が轢かれたと聞かされた時のように頭が真っ白になった。


「嘘……でしょう? ボクです、黒子テツヤです。ちゃんと思い出してください……!」
「いっ――痛い、離せ!」
「キミは寝ぼけているだけです! それとも冗談ですか? ねえ、赤司くん、ボクが冗談嫌いって知ってるでしょう!? 早く嘘だって言ってください!」
「だからやめるのだよ!」


 前回振り払われて学んだ緑間に羽交い締めにされる。再度掴んでいた赤司の肩を離すまいとしたが、緑間が後ろに下がったせいで離してしまう。驚きながら怯える赤司を庇うように、黒子が掴んでいたかった肩を黄瀬が抱える。赤司に触れたのが他でもない黄瀬というのが、黒子の頭を更に乱れさせる。


「赤司っち、大丈夫っス。今お医者さん呼んだから一緒に話聞こう?」
「……君は」
「黄瀬涼太。赤司っちの友達で、部活仲間っス」
「部活? ………………俺は、あかし?」
「そ。下の名前は征十郎。俺も赤司っちも……ここにいるみんな、おんなじバスケ部っス」


 やはり元から状況処理能力が優れているのだろう。赤司はすぐに己に記憶がないことを理解した。
 ナースコールに呼ばれた医者が看護師を従えやって来た。桃井が軽く状況を説明する。医者は「見ず知らず」の人間に囲まれることによる赤司のストレスを考慮したのだろう。黒子達を病室から出す。


「……黄瀬、も出るのか?」


 目元を翳らして赤司が言った。黄瀬の服の裾を摘まみ、離した様は、自分の願いをワガママだと考え遠慮する子供のようだった。
 医者が黄瀬を引き留める。驚きに染まったモデル顔が、次の瞬間優しく笑む。
 その笑顔は、赤司の側にいられる理由を持った黄瀬は、もはや放心状態の黒子の胸にタールのような醜いものを生ませた。

 
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