短編2

□灰崎くんの強奪
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※灰崎の祖父捏造







「いいんです、気にしないでください」


 赤司が正式に主将になった日の、二人きりの部室でのことだ。
 副主将から主将へ昇進した赤司に言うべきは「おめでとう」。緑間達はそう言った。虹村も、あんな理由でなければ言えたはずだった。
 実際に口から出したのは「悪い」。対する赤司の返事が、先のソレだ。
 悪い、だなんて。改善もできない癖に言うのは自己満足だ。それでも言ってしまったのは、こちらが一方的に沈黙に息苦しさを感じていたから。吐き出したかった。


「本当に、いいんです。もっと重いものを背負ってきたから、これくらい」


 笑顔だ。緑間達といる時のような、甘くはない雰囲気の時に虹村に向けてくるような笑顔。この帝光バスケ部を束ねる重荷を苦に思わない器に、虹村は頬の強ばりを解く。


「これで貴方がお父様と過ごせるなら、なおさら」


 息が心臓ごと止まった気がした。

 ただの穏やかだった赤司の笑みに、悲しみや寂しさが混じっている。虹村でなければ見過ごしたくらい小さな感情を、だからこそ虹村は見逃さなかった。
 どんな言葉を伝えれば、その悲しみ達は消えるのか。探しても、さらに赤司を傷つける結果しか見えない。結局何も言えずに彼を抱きしめた。背中に回された手が、愛ではなく慰めに思えてしまう。


「悪い、赤司。……ごめん」
「……虹村さん。貴方にとって、父親はどういう存在ですか?」
「どんなことより、……誰より、大事、なんだ」
「はい。そうですよね」


 今もあの笑みでいるだろうに声だけは平素だ。
 普通なら。悲痛をより露にするのは赤司の方だ。なのに赤司は虹村を宥めるように背中を優しく叩いてくる。


「虹村さん。貴方の幸せが、俺が何より望むことなんです」


 俺だってそうだ、というのは本心だ。だというのに嘘でもあるから、口を閉じ、ひたすらに赤司を抱く腕に力を込めた。女より丈夫な体で良かったと思うくらいに、つよく。



* * *



「はーいーざーきいぃぃー」
「あ? って、うわ!? コワ!」


 例によって練習に参加していない灰崎を探しに、屋上へ行った。ビンゴだった。持ち込み禁止の小型ゲーム機で遊んでいた。なので殴る蹴る。


「ってー……何で来んだよ、あれ主将の仕事じゃねえのかよ!」
「先輩の仕事だし敬語使えっての馬鹿野郎。つうか赤司が来ないだけありがたく思え」
「あー? ったく、はあ……」


 情け容赦なく仕置きをするのが虹村だが、情けも容赦も存在しないのが赤司だ。だからこそ来てやったというのに灰崎はやさぐれた顔をやめない。初めて仕置きをした瞬間からそうだが。
 灰崎を練習に連れていくのは先輩だから。きっと嘘ではない。本当でもない。先輩の仕事だと言うが虹村以外の上級生が灰崎を連れたことはない。
 こうして灰崎を連れに来る理由は――


「つーか赤司の為だろ、それ」
「っ……」


 先読みしたように灰崎が吐き捨てた。まだ可愛いげのない表情をしているから、実際は皮肉だろう。
 赤司のため。瞼に浮かぶのは穏やかな笑みだ。悲しみや寂しさがあるかは、虚像では分からない。
 部員が練習に来ないと主将である赤司の肩にまた負担がのしかかる。少しでも負担を減らしたいから、今自分は、メニューを考え直しているだろう赤司を体育館に置いて灰崎と屋上にいる。
 胸焼けがする。赤司のためと言いながら自分の罪悪感を減らすためでもあるのだから、吐き気がした。
 殴られた箇所をさすっていた灰崎が、ふと思い出した顔で聞いてくる。


「そういや虹村さん、オヤジが入院してんだっけ?」
「……どこで知ったんだよ」
「いつだっけな、他のセンパイと話してんの聞いた」


 あの時か、と舌打ちする。部室で他の三年に主将を交代する話をしたことがある。どうしてと詰め寄る彼らに理由も話した。あれが最初で最後の、彼らと交わした父についての会話だ。
 灰崎はこのことを大したことないように受け取ったようだ。こんな風に赤司も気にしないでくれたら、とは思うが、そんなところも引っくるめて虹村の好きな赤司だから仕方ない。大体、気にしない灰崎の方が一般と離れている。


「言いふらすなよ」
「しねえよ。んなことしても得しねえし」


 灰崎が億劫そうに立ち上がるのを見届けてからドアへ向かう。解放された気分になり、息が楽になる。ノブに手をかけた時後ろから名前を呼ばれた。


「俺がいなくても赤司は困んねえよ」
「……は?」


 夕日になりかけた太陽が後ろで輝いていて、灰崎の表情は暗く見える。言葉の意味を問おうとした時、また灰崎の口が開いた。


「アンタ、オヤジが一番なんだよな?」
「っ、……お前、そろそろ黙れ」


 意図的に低くした声に、灰崎は笑う。逆光で顔が陰になっているせいもあり、ひどく不気味だ。「素行の悪い」というよりは「よくない」。今の灰崎はそんな不良だ。先程のような暴力による鎮圧がほぼ無意味な、一筋縄でいかない性状になっている。
 何かを企んでいて、矛先は恐らく自分に向かっている。中身が分からないという意味でブラックボックスのようだ。気味が悪い。


「……親父に手ぇ出すなよ」
「病院内で殴ったりするバカいねーだろ」


 それもそうだが油断できない。虹村は胸に湧く焦燥感に苛つきながら、ドアを開けた。




 そしてその時は、三日と経たずに訪れた。




「――……ほら」


 机に乾いた音をたてて投げ出されたのは、白い紙に黒で書かれた退部届け。虹村は赤司と並んで紙を見つめた。
 灰崎は、口を歪めて嘲笑いを作る。


「止めもしねえ……だから言ったろ? 虹村さん。俺がいなくても赤司は困んねえって」
「去る者は止めない。たとえ青峰でもな」
「つってもさすがに退部勧めたりしねえだろ?」
「お前と違って誰かに抜かれそうにはならないからね」


 瞬時に頭に血を昇らせた灰崎が体を前にのめらせる。胸ぐらを掴もうとしたらしい手は途中で下ろされた。虹村の手は、赤司を庇おうと動き出したところで止まった。
 数秒激情に震えた灰崎の顔が、だんだん嘲笑いに戻っていく。その様に虹村は危機感を覚えた。得体の知れない悪寒がする。


「退職金でも、もらおうかねえ」


 赤司を見つめていた灰色の目が虹村に移動する。


「虹村さん。オヤジ、ホントは中央病院に移したいんだよなあ? でも金が足りない」
「……?」


 父に話が及んだことが予想外すぎて言葉が出ない。直感で心の身構えをした。隣の赤司までもが警戒心を強める。


「あそこならいい治療ができる。寝たきりになるまでの時間も伸ばせる」
「…………何が言いてえ」
「院長なんだよ、じーさんが」


 展開が少し読めてきた。鼓動が焦りや警戒で早まる。
 灰色の目が、まっすぐに見てくる。いやらしく唇を吊り上げながら。


「赤司をよこせ」
「な、っ」


 肩がひくりと跳ねて体中が強ばった。灰崎の言葉だけが脳を回り、頭がボーッとする。喉の奥が乾く。手足が、冷えたような感覚が消えたような変な感覚になる。
 赤司は一音も溢さなかった。呼吸さえ乱していない。


「今はうちで払ってやるよ。奨学金みたいに、将来返してくれたらいい」
「……ふざ、けやがって……っ」
「ほんと、早く思いついときゃよかった。条件飲んでくれんなら、やってやるぜ? じーさん俺に甘いからよお」


 ス、と。隣で空気が動いた。目をやるまでもなく、灰崎の元へ歩く赤司が視界に入った。


「赤司……っ」


 せいいっぱい伸ばせば手は届く。けれど虹村は伸ばしきれなかった。物理的には何の弊害もない。
 灰崎が上機嫌な笑みを浮かべて赤司の腰を抱いた。目がカッと熱くなり、伸ばしかけたままの手で握りこぶしを作る。力を入れすぎて震える。


「虹村さん」


 振り向いた赤司は笑顔だった。穏やかな、緑間達といる時のような、甘くはない雰囲気の時に虹村に向けるような笑顔。悲哀も、寂寥もない。いつだったか綺麗な色だと言ったら嬉しそうにはにかんだ目は、柔らかく細められている。何度も口づけた唇から淡々と言葉が紡がれる。


「何より大切なんでしょう? 決めたんでしょう? 何よりもお父様を優先すると」
「そう、だけど……っだからって」
「いいんです、気にしないでください。俺も、気にしませんから」
「……っ、ク、ソ」


 どうして。こんな風に、なりたかったわけじゃないのに。
 なぜあっさり受け入れるのだと赤司を責めそうになる。答えは主将を交代したあの日、その体を抱きしめた時にもらっているのに。
 大切な人が他の男に奪われそうなのに止められない。無理矢理、赤司より父を選んだと決定づけられた。
 灰崎が赤司の目尻に唇を落とす。驚いたのか、赤司はん、と鼻から抜けるような声を出した。触るなと言えない。怒りだけが胸に溜まる。


「じゃあ成立ってことで。出てってくんねえ? 虹村さん」
「……何する気だ」
「やっと手に入ったし、どんな味か確かめてみようと」
「て、めっ――」
「虹村さん」


 ついに気持ちのままに灰崎に殴りかかった虹村を止めたのは赤司だ。他でもない赤司の制止に少しだけ血が下りる。赤司は虹村の手をとって歩いた。行き先が廊下だと分かっても、振りほどけない。


「……それでは」


 もう何度も見た穏やかな笑顔。やはり悲哀も寂寥もなかった。しかし、何か違和感がある。と思ったら、ドアに遮られた。
 静かな廊下で虹村は、壁に額を当てながらズルズル座った。悔しくて、ふがいなくて、情けなくて、目頭が熱くなる。
 赤司の最後の笑顔が、いつまでも胸にひっかかった。



* * *



 ドアを閉めた瞬間引き寄せられ、口づけられた。強引さは同じでも、匂いや味や貪り方がまったく違う。今すぐに引き剥がしたいが、契約を反故にされかねないから耐える。
 数十秒してようやく解放された。唇を拭いたくなる衝動と戦っていると、灰崎が笑う。


「いやそーな顔。さっきの笑顔は演技かよ」
「当たり前だ。……本当は、離れたくないに決まっている」


 虹村の父の話になる時少しだけ、悲しい寂しいと訴える。顔に出す。そして優しくしてもらう。自分にそれくらいの我が儘は許していた。だが今回そんなものを出したら、虹村が今まで以上の罪悪感に苛まれる。それが嫌だから、自分なんか殺して、何でもない風を装った。
 最後の最後、一瞬だけ、迎えに来てくれればと願ってしまった自分が恨めしい。


「ま、約束は守るから安心しろよ」
「……ああ」


 嫌でしかないのは事実だが、灰崎には一応感謝している。財閥の跡取りといっても自由にできる財は少なくて、代わりに治療費を払うなんてできなかったから。


「虹村さんの幸せが、俺の望みだ」
「ふーん……オヤジが大事、って言ったの、あてつけか?」
「違うと言ったら嘘になるな」


 自分が一番でないのが嫌だ。だが仕方ないと納得する。納得は恐らくフリで、きっと心の奥底では一番を欲している。
 灰崎が真正面から緩く抱きしめてきた。頬を撫でられるのを無心でやりすごす。
 他人のものを欲しがる灰崎は、手に入れたらすぐ飽きる。自分にも早く興味をなくすのでは――赤司が条件を飲んだのはそんな計算も含まれているが、何だか飽きられる気がしない。勿論、一生灰崎のものになる覚悟はできていた。


「ぜってえ心も俺のものにするからな」
「……それができて、虹村さんも俺を忘れてくれたら、ハッピーエンドだね」


 無理な話だ。自分が虹村を忘れる日は訪れない。
 ネクタイに手がかかる。また唇が近づいてくる。赤司は瞼を閉じ、それを受け入れた。





END.









* * *
小説四巻読んでからずっと書きたかったネタです。灰崎のじーさんバレたら捕まりますね多分。
ハッピーエンド好き(でもバッドエンドも好き)な私としてはハッピーに終わらせたいのですがどう続かせたらいいか……。ううむ。

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