短編2

□小ネタ
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※赤がモブと結婚していたり、死ネタがあったり
※何でも許せる方向け





 遺伝性の、心臓病だった。


「治りますかね」


 診察中、緑間に聞いてみた。カルテにドイツ語を書き込んでいる彼の左手、その薬指には、七年ほど前から指輪がはまっている。独身なのに。彼はカルテから目を離さず言う。


「治るのだよ」
「治療法は?」
「作るのだよ」
「無責任な発言ですね」


 緑間が顔ごとこちらを見る。そこには苛立ちというには刺がなく、悲しみというには情緒がない、憮然という表現が恐らく一番似合う表情があった。


「治ると言われた方が精神的に楽だろう」
「正直者ですね。やっぱり治るとは限らないんじゃないですか」
「……今日はやけに棘があるのだよ……。何かあったのか?」


 困ったように聞いてきた。
 自分が可愛いげのない言葉を吐くのはいつものことだ。なのに緑間は胸の苛立ちにあっさり気付いてくる。
 問われてはじめて、赤司は己の気が立っている理由を探す。冷静に胸の痛みを分析する。痛い、つまり苦しい。つまり。


「……死んで、それからのことを考えていました」


 急に弱ってしまった心臓は、赤司にバスケを許さない。爆発するかもしれない恐怖を常に隅で主張し、安らかに過ごす時間を奪った。嫌なことをするより好きなことができない方が辛いのだと、少なくとも自分はそうだとはじめて知った。希望が見えなくて脱力することも。
 緑間が椅子と共に近づいてきた。大きな手が頭に乗ってくる。重く、あたたかかった。記憶にある父の手と、温度は同じだ。重さは、太さは、全く違う。


「そんな先のことは考えなくていいのだよ」
「……真太郎……」


 もう子どもではないのだからと纏わせていた敬語が、絹のように滑り落ちた。



* * *



 赤司が彼と初めて会ったのは、赤司が赤ん坊の頃らしい。赤司は、看護師と産婦人科医、両親の次に緑間に抱き上げられた。
 緑間は父の一番の友人だった。二人の空気の独特さを、赤司は記憶している。父は母や赤司を、これ以上愛しいものはない、といったような穏やかな眼で見てくれた。父と緑間が互いを見る眼はそんな穏やかさの中に熱を煮詰めたような眼だ。


「緑間。母も同じ病気だったんだ、この子も俺と同じ病気になる可能性が高い。母方の遺伝子はどうしたんだってくらい俺にそっくりだし……」
「確かに、昔のお前を女にしたような姿なのだよ」
「だからその時は頼む。この子は助けてほしい」
「言われなくとも必ず助けるのだよ。お前のこともだ」
「ふふ、そんなに熱い目で俺を見てはいけないよ緑間」
「っ、ごほっ、何を言っているのだよ……!」


 赤司は保育園の帰りに母と病院に寄り道をし、父の腕に抱かれ、よく二人のやり取りを見ていた。だからか記憶は全体的に夕暮れの橙がかっている。父と緑間−−特に父に似合っていて、父をより綺麗にしていた。
 父は緑間の前だと元気に笑ったし、寂しげに微笑みもした。二人の時は脆い面を晒したかもしれない。
 あの頃の緑間は、現在のような自信に溢れてはいなかった。治すと言いながら、治らない場合に父以上に怯え、身を削って治療法を探していた。


「緑間は本当は外科医を目指していたんだ。けれど十九の頃、父さんが病気にかかってね……内科医に転換したんだ」


 相変わらずの橙の、二人きりの病室で、内緒話のようにこっそりと父が教えてくれた。緑間の進路を変えさせてしまった、と父は申し訳なく思っていたらしいが、赤司には分からない。緑間は父を己の手で治したいから内科の道を進んだのに。
 父の病状が悪くなるにつれ緑間から余裕が削ぎ落とされていき、反対に父は、治らないことを申し訳なく思いながらもどんどん穏やかになっていった。


 そして赤司が七つの時、父は死んだ。友人と写った写真や填めなかったのに気に入っていたらしいいくつかの指輪と共に焼かれた。
 緑間はその後長い間、落武者のような空気で仕事に打ち込んでいた。その病の権威になってからも、ずっと。赤司が父と同じ病気にかかるまで。



* * *



「お待たせ」
「ん」


 診察室を出ると、廊下で待っていた彼が背中を壁から離した。去年−−中学二年時から同じクラスの彼は保険委員で、赤司の家か病室にプリント等を届けてくれている。具合が悪い時に保健室へ運んでくれたり、鞄を持ってくれたりと面倒見がいい。以前は体育館を取り合う女子バスケ部と男子バスケ部の部員と言う関係でもあったが、今は部員とマネージャーだ。今日は赤司が登校できたので一緒に帰っている。病院に寄り道して。


「君はどうしてそんなに他人に優しくできるんだ?」


 唐突に聞いたが、彼はこちらの意図を問わずに考え出した。すぐにこちらを見て、深めに息を吸う。赤司は直視できずに目をすがめた。心臓が速く鳴る。
 最近気付いたが、彼が自分を見る眼は父と緑間が互いを見る眼と同じだ。彼が自分をどう思っているか聞けば、父達の眼の意味を知ることができる。赤司はけれど、彼の答えが己が望むものでなければ、残っている気力も消えて空っぽになってしまいそうで聞けずにいた。


「……他の誰かだったら、プリントは届けるけど、一緒に帰ったりしない。赤司じゃ、なかったら……」
「それは、君が私を好きだという風に聞こえるが」


 語尾を不明瞭にする彼に、何でもないことのようにそう言った。実際は期待で声が上擦らないようにするのに必死だった。答えにより、「死んでもいい」が二葉亭四迷かそのままの意味か決まる。
 彼は「うえ!?」と固まった。そのまま目を泳がせ指先を意味もなく動かす。女子かと思うくらい細い声で、うん、と頷いた。


「……私も同じだ」
「え」
「私も……」


 口のなかで呟いた言葉は赤司だけに響いた。
 父と緑間は赤司の憧れだ。あんな風に誰かを見つめ、その誰かも自分を見つめてくれたら、と夢見ていた。夕焼けのようなのに移ろわない。ガラス玉のようなのに割れない。そんな美しくて固い何かに、自分も彼と共に、なれるだろうか。


「私はこんな身体なのに、いいのか?」
「そんなの、クラスの誰より俺が知ってる」
「プリントを届けたり、倒れたのを保健室に運ぶのとは訳が違う」
「治療がうまく行かなくて八つ当たりされるとか? いいな、赤司はもっと弱いところを見せた方がいい」


 穏やかさに熱を煮詰めた眼。夕暮れとあいまって、赤司のなかのやわらかいところを刺激する。
 保険委員だから、彼は自分を見てくれる。保とうとすれば繋がりは切れない−−生きていれば。そう思って緑間に八つ当たりじみたことをしてしまったが、もう大丈夫だろう。恐らくは。
 赤司は彼の手を取る。両手で包んでゆるく力を込める。父とも緑間とも違うけれど、一番安らぐ手だった。
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