短編3

□勇気をひとかけら
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『黄瀬は、髪や肌の手入れに詳しいか……?』


 黒子を尊敬してから二週間経った昼休み、部室に呼び出されて聞かれたのは、そんなことだった。何を怒られるのかと身構えていた黄瀬は拍子抜けしたが、赤司の質問と頬の赤さに、また構えた。
 スカートは折らず切らずの膝丈、第一ボタンもきっちり留める赤司は、自分の外見には無頓着だ。そんな彼女がそんなことを聞いてきた。嫌な予感しかなかった。


『……もしかして赤司っち、好きな人が……?』
『…………ああ、まあ』


 言葉自体はぼかしているが意味ははっきりしていた。イエスだ。
 くらくらする頭を抑えるのを我慢し、自分は聞いた。相手は誰なのかと。
 赤司はびくっ、と体を固くし、俯き。蚊の鳴くような声で言った。


『く、黒子、が』


 正直、頭の隅で、自分の名前を言ってくれるのではと思っていた。現実は上手くいかない、と数ヵ月前とは真逆のことを思った。
 そしてここでやっと察した。黒子を好きな赤司は、黒子を振り向かせるために綺麗になりたいのだ。そのままでも十分な赤司だが、まだまだ綺麗になれることは、普段から彼女の無頓着さを嘆いていた自分が一番知っていた。


『ん、おっけおっけ。分かったっス。協力したげる』
『本、当か?』
『もちろん。じゃあまずは髪の毛の手入れから――』


 それが、失恋の始まり。
 あれから一ヶ月近く経った今も、それは継続している。


「赤司っち、髪綺麗になってきたっスね」
「そうか?」
「うん。頑張ってるの、すげえ分かる」


 帰り道、黄瀬は赤司と並んで歩く。夕陽を反射して天使の輪を作る赤司の髪は、嘘でなく綺麗になっていた。


「……でも、肌はあんまり変わってないっスね。メニュー作りとか?」
「まあな。夜更かしだけは、変えられないよ。部活や学業を疎かにはできない」
「夜更かしは髪にもよくないんスからね!」
「善処する」


 口では夜更かしよくないと言うが、実際は嬉しかったりする。赤司のそういう真面目なところ好きなのだ。
 そういえば、と何となく思ったことを口にする。


「何で俺に相談したんスか? こういうの、桃っちも詳しいのに」
「だって、さつきは……」


 赤司は言いにくそうに言葉を止めた。黄瀬は数秒で察し、慌てて言葉を取り消す。桃井は黒子が好きなのだから、相談できるわけがない。
 何か話題を探し、思い出す。今日は赤司に渡したいものがあるのだ。機会がなくて忘れるところだった。鞄を漁り、紙袋を出す。


「ハイこれ。化粧品」
「え……?」
「赤司っちにあげる」


 反応が鈍い赤司の手を取り、紙袋を渡す。そこで赤司は意味を飲んだらしい。慌てた様子でこちらを見上げた。


「そんな、悪いよ。くれるのはアドバイスだけでいいから……!」
「いやあ、気にしなくていいんスよ? 仕事先で貰ったヤツだし」
「でも……」
「俺、まだまだいっぱい持ってるから。ね?」


 赤司が遠慮することは分かっていたから、用意していた台詞を並べる。黄瀬がもらうのは男性用の物ばかりだ。紙袋に入っている女性用の化粧品をもらうことはないとは、おしゃれを頑張りだしたばかりの赤司にはまだ、気付けないだろう。
 二人はいつからか立ち止まっていた。紙袋と黄瀬を交互に見て、赤司は迷っている。黄瀬は笑顔を保ったまま待った。


「…………あり、がとう。黄瀬」


 泣きそうだと一瞬勘違いするくらい、申し訳なさそうに赤司は笑った。ただ、笑顔は本物のようだったから安心する。


「いいえー、お安い御用っスよ」


 好きな人の恋の応援なんてしたくない。上手くなんて、行ってほしくなかった。黒子と桃井が付き合えばいいのに。しかし自分の勘だと黒子も赤司を憎からず思っているのである。
 なのに協力するのは単に、赤司が喜ぶ姿が、笑う顔が見たいからだ。協力という名目で話も増える。


「ちなみに、告白する予定は?」


 歩き出しながら茶化して訊くと、赤司の頬がみるみる赤くなった。黒子の前では涼しい顔の仮面を隙間なく被っているのだが、隠す必要がない相手にはこんなに分かりやすくなるらしい。
 落ち着いたのか、やがて頬の色を戻しながら俯き、赤司は言う。


「できたらいいのにな。僕には、勇気がないから」
「や、赤司っちすげえじゃん。新入生代表の挨拶してたし、歌のテストでも堂々としてたし」
「いいや。自分のことは何も伝えられない臆病者だよ」


 自嘲じみた笑みに、これは踏み込まない方がよかったのかなと反省する。告白しようとして土壇場で怖じけついてしまったのだろうか。それくらいリアルな自嘲だ。
 角を曲がると分かれ道が見えてきた。黄瀬は左、赤司は右に行く。もうここまで来てしまった、といつも残念に思う。
 応援の言葉を送り、挨拶を交わし、そしてバイバイ。


「……黄瀬」


 しかし今日の赤司は、また明日の後も立ち止まったままで黄瀬を呼んだ。黄瀬は彼女を振り向いたが、目線は合わされない。


「明日、放課後、告白するよ」


 沈んだ表情で赤司は宣言した。今から胃が痛くなっているような顔だ。
 明日の放課後――理由は忘れたが、部活は休みだ。告白のことなんか話題に出すんじゃなかった。上手くいかないでほしいと願う自分が嫌すぎた。
 自分の反応を待つ赤司を見つめる。赤司がこんなに勇気を出している姿を目の前にすると、これでいいのかという自問が浮かんだ。何も告げないまま、二人を祝福するのか――


「お、俺!」


 浮かんだ問いを振り払う。バスケ中みたいに頭が熱くなっていた。


「明日、放課後、話があるんス! だから、告白する前に聞いてほしいっス」
「……? うん、いいよ」


 赤司は不思議そうに首を傾けた。告白すると宣言したら話があると返されたから当然だ。
 今度こそまた明日をして分かれる。心臓が暴れている。胃がキリキリする。いつもと変わらず、この恋は辛い。けれど後悔はなかった。



* * *



「うわあ、きーちゃん顔白いよ? 大丈夫?」
「だ、大丈夫っしゅ」
「ちょっ……本当に平気? 征ちゃんも真っ青になってるし……」


 心配する桃井からタオルを受け取り、笑う。職業柄、笑顔は得意だ。自分と同じく顔色が悪い赤司をちらりと見ると、部員に激を飛ばしていた。


「あ、そういや黒子っち今日の昼休み図書室行くって言ってたっスよ」
「え、ホント!? ありがときーちゃん!」


 恋する乙女の笑顔になった桃井が微笑ましい。
 赤司を好きな黄瀬と黒子を好きな桃井は共同戦線らしきものを張っている。黄瀬は黒子の情報を桃井に教え、桃井は赤司の情報を黄瀬に教えるのだ。桃井は赤司が黒子を好きなことを知らないが、やはり女子である赤司が黒子といるとハラハラするらしい。


「あ、ドリンクの用意しなきゃ……じゃ、きーちゃん、頑張ってね」
「桃っちもねー」


 桃井が背を向けた途端、笑顔を引っ込める。この朝練と、六時間ある授業を終えたら、とうとう決戦だ。黄瀬は表情を隠すようにタオルで濡れてもいない髪を拭いた。



* * *



 屋上の扉に背を向け、フェンスの手前に立っている赤司の顔は見えない。ただ、小さな手が固い拳を作っているのは見えた。


「は、早いっスね赤司っち」


 声をかけると赤司は肩をひくりと動かして振り向いた。眉根は寄っていないが険しく、唇は真っ直ぐ結ばれていている。多分自分も似たような表情だ。


「お前は掃除当番だからな。仕方ない」
「……ん、まあ、そうっスね。で、話なんスけど……俺っ」
「黄瀬」


 壇上での声よりしなやかなソレに、思わずハイ、と返事をして背筋を伸ばす。想い全部を込めた告白の出鼻を挫かれたという気持ちが、微かに生まれた。


「好きだ」
「……はい?」
「僕は、黄瀬が好きだ」


 ぱちくり、ぱちくり、黄瀬は瞬きした。赤司の言葉が頭に染み込まない。緊張も何もかも、飛んでいった。
 赤司の拳はまだ握られていて、ああまだ緊張しているんだなと頭の隅で思った。


「綺麗になろうとしたのはお前の目に留まりたいと願ったからだ。黒子を好きと言ったのは、……お前が好きだと正直に言えなかったから」
「え、や、でも、だったら桃っちに相談してもよかったんじゃ」
「お前に相談したら、お前ともっと話せると思った。……それに」


 どこまでも堂々と、射抜くようにこちらを見据えていた瞳が、わずかに揺れた。


「……さつきも、お前が好きそうだから」
「いや桃っちが好きなのは黒子っちっスけど」
「え」


 でもよく話しているし、お前と話す時のさつきの顔は――信じられないらしく、赤司はまくし立てた。


「桃っちとは情報交換で話すだけっスよ。顔が赤くなってんのは、黒子っちが話題だからだし」
「っな……」


 力が抜けたらしく、赤司がぺたんと座った。それを見て黄瀬も一気に脱力して屈む。どうしても赤くなる頬を、顔に手を当てて隠す。手のひらの向こうで赤司が身じろぎした。


「……一応、返事をもらいたい」
「一応って何スか一応って」
「振られると分かっているからな」
「何でそうなる――」


 手をどけて言いかけて止める。黒子に好きになってもらう為、という理由で頑張る赤司を、自分は完璧な笑顔で応援していたのだ。


「俺、今日赤司っちに告白するつもりだったんスよ」
「え……?」
「先越されちゃったけど。……好きです、赤司っち。応援するの、本当は辛かった」
「え、……と、それ、じゃあ……?」


 さっきの黄瀬のように言葉を飲み込むのに時間がかかっている赤司をまっすぐ見つめる。


「俺と付き合ってください」
「……はい」


 いつも苦しく見ていた赤司の恋する顔を、初めて幸せな思いで見ることができた。





END.









* * *
前後に分けたはいいですが文字数のバランス悪いですね……。でも一ページには収まらなかったんです、はい。
結局黒子が誰を好きなのかは謎です。赤司が好きなんじゃ〜というのはあくまで黄瀬の勘ですので。。ここは桃井さんを応援したい。

 
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