短編3

□いつでも寄り添う月のように
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※俺と僕が一人になっています 
 



 
 赤司から電話がかかってきたのは、夜中の九時を少し回った頃だった。
 電話でもメールでも赤司の用件は業務連絡ばかりで、それは高校に上がってから途絶えた。当然だ。あのキセキ召集が高校初の彼からの連絡だったが、あれだって業務連絡の範疇内である。
 ゆえに緑間には不安しかなかった。もう誓いを確かめる必要はない。共にする業務なんてない。赤司がわざわざ、こんな時間に、いったいどんな用件で。
 
 
『初詣に行こう、緑間』
 
 
 だから、赤司の声を模した電気信号の言葉を聞いた途端、脱力した。
 嫌なのだよと反射的に答える。中学時代にもキセキと黒子と詣でに行ったが煩いことこの上なかった。広い視野を持つ赤司がいたのに何故か黒子がどこにいるのか気を配り。黄瀬が騒いだらいさめ。出店の食べ物がこぼれた青峰の服をハンカチで叩き。すぐどこかへ行こうとする紫原の耳を引っ張った。小学生の引率の先生の方が楽そうだと思えるくらいに大変だった。
 しかし赤司がもう二度、いや三度『行こう』と言ったなら承諾しよう。「仕方ない」と頷こう。もし、もしも赤司が『そうか、ならいい。黒子達と行ってくるよ』などと返して来たら、三秒前の自分を殴ろう。三秒後になってしまっても殴ろう。とりあえず、アイツらと行くと疲れるのだと言い訳しておいた。
 少し溜まってしまって飲みこみにくい唾液を喉へ追いやる。ここでふと思い出したのだが、祭りやプールなどの遊びの提案は常に黄瀬がメンバーに誘いをかけていた。それは初詣も同じだったはずだ。
 
 
『黒子達には声をかけていない。お前と行きたいんだ、緑間』
「行くのだよ」
 
 
 あと何回か誘われてからイエスを告げるはずが、赤司のあまりにもこちらの心臓を射る文句で狂ってしまった。せめて一呼吸おいてから答えたかった。
 三秒前の自分を殴りたくなっている緑間の耳に、わずかに弾んだトーンでこれからの流れが紡がれる。九時半に迎えに行くから用意をしておくように、以上。
 ブツリと通話が途切れる。通話時間は二十秒もない。今のやり取りをどこかに仕舞っておけはしないかと束の間考えたが後の祭りだった。
 それからの緑間は忙しく――はなかった。入浴は済ませたが髪はとっくに乾いている。黒い袢纏と緑のパジャマを脱いで、スラックスと靴下に足を、セーターに頭や腕をつっこみ準備は八割終わった。これでは黒づくめだがコートはベージュ、手袋とマフラーは緑だから不審ではない。腕時計を腕に巻く。財布の中身を確認すると、小銭はそれなりに入っていた。左の尻ポケットにねじ込む。スマホはコートのポケットに滑り込ませた。
 さすがというべきか、赤司は九時半ぴったりに来た。緑間家の時計は九時三十分二十秒を指していたが、恐らく今が明石市の九時三十分ジャストだ。
 
 
「急にすまない、緑間。だが俺もお前もオフの日は明日くらいしかないから」
「迷惑だとは思っていないのだよ。なぜ秀徳のスケジュールを知っているのかは聞かないでおこう」
「今行っても日が変わるまで時間が出来てしまうな。少し話さないか?」
「かまわないが」
 
 
 赤司の半歩後ろを歩いてついて行く。緑間は喋ることが嫌いではないが多弁でもない。赤司は気分や何を考えているかで口数が変わる。今は寡黙な時らしい。一方の緑間は珍しく、話したい、というより聞きたいことがたくさんあった。だが黒いコートをまとった背中は沈黙を望んでいるようで、辺りには結局、靴の裏とアスファルトがこすれる音だけが響いた。
 冷たい空気を切りながら、住宅街を進み、大通りで信号を渡り、路地に入り、また通りに出る。そうして着いたのは、屋上から飛び降りれば確実にあの世へ行けるマンションだった。赤司は住人のようにオートロックを解除し、エレベーターに乗り込む。稼働音とともに昇った先は、自殺が出来る屋上だった。
 
 
「二人で会うのは久しぶりだね、緑間」
 
 
 手すりまで歩いて、振り返ってもたれ、赤司が言った。高層マンションには電灯の光も町の喧騒も届ない。雲を通していぶし銀の色になった月明かりが、自分達を頼りなく照らす。影を幾重にも重ねたような夜の暗さが、景色の彩度を落としていた。
 久しぶり。最後に二人で会ったのは卒業の少し前、たまたま部室で会った時だろうか。あの頃にはもう、二人で帰ることも将棋を指すこともなくなっていた。赤司は赤司でなくなっていた。
 緑間は手を伸ばしきらずとも触れられる位置まで赤司に近づく。この帰ってきた笑顔が後ろの空へ倒れこんでしまうという妄想が、頭にへばりついていた。
 暗くても分かるくらい赤司の両の目は赤かった。あの頃は視界に入れるのも苦しかった赤司だが今は、もっと近づきたい。
 
 
「……ああ、帰ってきたのだな」
 
 
 美化しなくても綺麗でまぶしい思い出。赤司が、背景を部室に、夕焼けに、夜に、教室に、体育館に変えて、笑う。聖母のようにやわらかく。
 目の前の赤司の笑みは、思い出のそれと重ねると歪みが生まれた。細部が違っていてうまく重ならない。まるで双子の弟か兄と入れ替わっているかのように。
 
 
「それは違う」
 
 
 いつの赤司でもそうだったように、赤司はきっぱりと述べた。否定した。違うとはどういうことだ、とろみを帯びた不安が胸を這い上る。
 赤司から笑みが消える。表情は無いように見えたが無表情ではなく、目を凝らせば辛うじて、憂いのように沈んだ造形を見つけることができた。
 
 
「お前が望んだ赤司征十郎はもうどこにもいない。俺の中には僕がいる。お前が受け入れることのできなかった赤司征十郎だ。俺もいるよ、お前が好いてくれた赤司征十郎だ。けれど僕にも俺にも会うことはできない。……結局、一つになってしまった」
 
 
 両目が赤い赤司征十郎が出てきたあの試合の後、彼は言った。僕は消えていないと。消すつもりはないと。僕の方も消えたくなかっただろう。二つの人格はしかし、本人達の意思に反して溶け合ったというのか。
 衝撃だった。緑間は舌先を唾液で湿らせて口を開く。
 
 
「あの頃のお前が主人格ではないのか?」
「そう、主人格。つまりあの頃すでに、赤司征十郎は二つに分かれていた。それが一つに戻ったから、穏やかなだけの俺はもういない。確かに、今の俺の主軸は主人格だった俺だけどね。俺の中に僕が入ってきた、そんな感じだ」
「……そうか」
 
 
 赤司の重心が目で見て分かるくらいに後ろへ移った。緑間は咄嗟に、親指と人差し指で簡単に一周できるような手首をつかんで引っぱる。赤司はわっ、と唇から声を漏らして不可解そうに緑間を見上げる。
 笑顔以外の彼との記憶を掘り進めていくと、彼が時折沈んだ顔をしていたことを思い出せた。記憶と今はやはり重ならないがこれは赤司征十郎が新しく身につけた顔だ。やりたくないことをやる時の人間の顔だった。どうしてそういう顔をするのかは鈍感だと評される自分でも分かる。そんな心配をするのかは理解できないが、そうしたことで表情を曇らせていた赤司征十郎を知っている。
 
 
「アイツの勝利を望む性格は、恐らく誰もが持っているものなのだよ。大抵の人間は己の道徳に当てはめ、そこへ至るまでの道を選ぶがな。赤司征十郎の道徳は、俺が知っている赤司が持っていたのだろう? だから俺はもう一人の赤司が苦手だったのだよ」
 
 
 あの赤司には包む綿がなかっただけで、あの苛烈さは本当は、彼以外だって抱いている。
 怒鳴っているわけではない。怒っていない。多少興奮しているかもしれないが、語気を強めた程度だ。緑間はそのまま、子どものように目をぱちくりさせる赤司を真正面からとらえて言いきかせる。
 
 
「お前は今も勝利を望んでいるのだろう。俺が知る赤司も望んでいたのだからむしろそれは強まったのかもしれないのだよ。だがお前には他人を思いやれるだけの心があるだろう」
 
 
 ならばもう仲間を見限り一人で戦おうとはしないだろう。二人に分かれたままでも、もしかすると。
 もういないだなんて言うからうっかり絶望しかけたが、何てことはない。変わったところはあるだろうが、変わらないで欲しかった部分が変わっていないから問題ない。
 キセキの世代は面倒な人間ばかりだ。全員が問題児で性格が捻じれていて、一筋縄ではいかない。例外は赤司で、彼はその実力は一筋縄ではいかないが問題点なんてないような優等生で――だがしかし、例外なんていなかった。赤司は面倒くさい。いつの間にか二人になって気付けば一人に戻っていて、腹の中では色々考えている。しかも何故か不安がっている。
 
 
「俺はお前が嫌いじゃないのだよ」
 
 
 どんなテストでも、国語でも満点を叩きだす天才は、読解力を発揮できずに混乱していた。だがこれだけ言えばさすがに意味をくみ取れたようで、そうか、と独り言のように宙を見て呟く。
 
 
「なるほど。俺はお前にとって、何かを思う価値もない人間だと」
「どうしてそうなるのだよ! 赤司貴様、分かっていて言っているのだろう! 確かにあの赤司の面影があるのだよ……!」
「いや、苦手から嫌いじゃないにランクアップしただけでも素晴らしい」
 
 
 にやにやと、あの頃には絶対に見られなかった、想像しようとも思わなかった笑みが赤司を彩る。緑間は赤い左目に橙の幻覚を見た。
 うんうんと一人で頷いて納得している赤司にさらに言葉を重ねようと、掴んだままだった手首を掴み直す。緑間が何かを言う前に赤司がにやつきを消す。
 
 
「お前はまだ、本当には分かっていないよ。赤司の重圧に耐えなければいけない息苦しさや父への反抗心……僕の方に押し付けていた、逃げ出したくなるような嫌なこと。久しぶりだね、帰ってきたんだ」
 
 
 自嘲も孕んだ台詞に、緑間は目を見開いた。どうして驚いたのか、自分でもすぐには分からなかった。言おうとした言葉を、何度もそうしたあの頃とは違う理由で飲みこむ。赤司の声を脳内で反芻して、チョコレートを溶かすように自分が驚いた訳を解いていく。
 冷たい風が目に入り、水が膜を張る。そこに溶かしきった訳が来て、胸が嬉しい言葉をかけられたときのようにきゅっとなる。そして右の目から頬へ、熱いものがこぼれる。
 
 
「え、どうしてなく」
「風が冷たかったからなのだよ」
 
 
 風が来なければこうはならなかっただろう。歓喜と感動が、水膜が頬に流れる後押しをしてしまっただけだ。下まぶたの中側は、感情で涙したときのようにじわりとして、熱かったが。
 簡単に表現するなら愚痴、と言えるような台詞を赤司が吐いたからだ。灰崎は喧嘩っ早いとか、黄瀬は忙しいみたいだとかいったものより赤司の内側にある暗いものを、初めてさらけ出された。そのことに目を見開いたのだ。
 わけが分からないと言ったようにぽかんとしていた赤司が、もう一度笑顔になる。蕾が開くようにゆるりとふわりと、笑う。緑間は、赤司が自虐に戻らないうちにと、今度こそ紡ぐ。どうしても言えない二文字の代わりに喋る。
 
 
「もう行くのだよ。出店を回ればあっという間に日が変わるだろう。明日はお前が言った通り予定はない。だから日の出を見たっていいのだよ」
「なんだか必死になっていないか、緑間」
「……あの頃のように、お前のそばにいられないか」
「主将と副主将?」
「そっちじゃないのだよ」
 
 
 さっきより、赤司が明るい。上からやわい光がとぎれとぎれにそそいでいた。手首をつかんだ腕を振り払われ、逆に掴まれる。元気な力で引っ張られた。
 
 
「デートに行こう、緑間」
 
 
 生き生きとした顔に、もう不安の色はなかった。緑間にも懸念はない。あの頃よりも寄り添って歩ける。
 赤司が通常に戻ったのなら緑間もらしくない言動をする勇気をなくす。初詣なのだよ、と呆れた風に返して、一緒にエレベーターに乗りこんだ。





END.









* * *
緑赤の雰囲気は難しいけど好きなんです。題名は完全にフィーリングです。寄り添ってるのは月と地球ですかね多分。一人になった設定で黛赤も書きたい。

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